おとなたちが国連「子どもの権利委員会」に提出した報告書に引き続き、「子どもの声を国連に届けるプロジェクト」(略称「届ける会」)も、3回目になる「子ども報告書」を完成させました。
新政権によって子ども施策はどう変わる(5/5)
今、子ども手当の財源を捻出するためとして、「公的な福祉に使われてきたお金が削られる」可能性はとても高くなっています。
昨年末に話題になった事業仕分けでも、「子ども夢基金」など子どもの福祉に使われてきた財源が削られました。
実際、長妻昭厚生労働大臣は「保育サービスの充実など子育て支援策にあてる『安心子ども基金』を活用し、児童福祉施設の子どもにも子ども手当が行き渡る措置を検討している」(『朝日新聞』2010年2月4日)と語っています。
新政権によって子ども施策はどう変わる(4/5)
子ども手当てについての財源や、そもそもの考え方も気になります。
まず、財源のこと。
不勉強な私がつい最近知ったことなのですが、児童手当は公費と事業主拠出金を財源にしているそうです。
すごく簡単に言うと、児童手当は国や都道府県、市区町村などが出すお金(公費)と、厚生年金保険に入っている企業を経営する人が出すお金(事業主拠出金)でまかなわれているのです。
対象となる事業主は、会社の中に児童手当を受けている人がいるかどうかは関係なく、厚生年金保険料とともに、この拠出金を払わなければなりません(児童手当と年金)。
新政権によって子ども施策はどう変わる(3/5)
教育に関することだけではありますが、民主党(や議員)のやってきたことを振り返ってみると、「子ども関連施策が大きく変わる」とは思えない気がします。
それどころか、自民党時代に積み上げられたある一定の、けっして子どもたちのためにはならない部分が強調されていくような感じさえもします。
いわゆる規制緩和や「多様な働き方」、「市場の拡大」などというオブラートに包んだ言い方で、「人間が人間らしく幸せに生きていくために聖域でなければならない場所」までを市場開放し、競争と評価による統制システムをつくり、効率性や経済性を何よりも優先してすべてを決めていくという路線です。
子どもが育つ家庭や保育所、学校などは人と人との情緒的なつながりこそが重視される場所ですが、そうした場所ほど市場経済や効率性となじまないものはありません。
「市場の開放ありき」のように見える民主党の教育施策には大いに疑問を感じます。
新政権によって子ども施策はどう変わる(2/5)
民主党の子ども施策について考えたときに、どうしても頭をよぎってしまう人物がいます。
文部科学副大臣の鈴木寛氏です。
鈴木氏はかつて、長年、民主党の教育分野に関する施策のアウトラインを描いてきた人物です。かつて教育基本法「改正」が強く叫ばれていたとき、自民党が示した「改正」案への対案を作成したのも同氏でした。
その対案の細かい内容について今回は触れませんが、私がそれを読んだときの印象だけを述べさせていただくとするなら「自民党の『改正』案以上に、子どもたちを“自立”に向けた競争に追い込むのではないか?」というものでした。
子ども問題に精通した研究者などの中には「今も民主党の教育関連施策に最も影響を与えているのは副大臣である鈴木氏」と、断言する人もいます。
新政権によって子ども施策はどう変わる(1/5)
昨年末は「子どもの貧困」について書きました。
今回は、去年「子どもの貧困」と同じくらい良く使われていた言葉である「チェンジ」にまつわるお話しを書きたいと思います。
アメリカにオバマ政権が誕生したこと、そして日本でも自民党に代わって民主党政権が生まれたことなどから、「チェンジ」や「変革」などという言葉が飛び交いました。
昔の社会党(現・社民党)から移った方も多いる民主党。その支持層には、「アンチ・体制派」と言われている組合なども多く含まれています。また、過去の選挙では「今の政治を変えたいけど、あまり過激な政党は選びたくない」というような人々からも表を集めてきていました。
「自分はここにいていいんだ」と思えるような社会を!
新年あけましておめでとうございます。
早いもので、このブログが始まってから今年で4年。
皆様にこうして新年のあいさつをさせていただくのも4回目となりました。
昨年は、このブログを書かせていただいきたおかげで、地域猫・ミーちゃんの話が本になり、『迷子のミーちゃん 地域猫と地域再生のものがたり』(扶桑社)として出版されるというビックリするような出来事がありました。
「子どもの貧困」の何が問題か(6/7)
さらに「『子どもの貧困』の何が問題か」(1)でも紹介した国連へのNGOレポートには、
「私立から公立中学校に編入してきたAくんは、部活動の時間になると手のしびれや吐き気を訴え、保健室に来る。それを受け入れられない母親は『部活の顧問は問題教師』『指導の仕方が間違っている』とクレーマーと化し、やがてAくんは教室にも行かれなくなった。それでもバブル世代の母親は、『私学から落ちこぼれたという挫折感を持ったうえに、部活動まで続けられないなんて“負け犬”』と“励まし”続けている」
「子どもの貧困」の何が問題か(5/7)
前回紹介したような「先進国に生まれ育ちながら、努力しようとしなかったり、他人様に迷惑をかけるような人間は甘えている」という考え方を持つ人たちは、発展途上国の子どもも、もちろん先進国の子どもも、視野に入れてつくられた国連の条約である子どもの権利条約について、間違った解釈をすることがしばしばです。
たとえば、元国連人権小委員会委員でもある波多野里望氏は、「この条約は、そもそも発展途上国の子供の人権環境を改善することを主な目的」とし「子供の権利を突出させることを要求しているわけではない」(元国連人権小委員会委員・波多野里望氏)と解釈しています(引用)。
そして、いまだに保守系の議員の方は、これと同様のことをよく口にします。
今年は、ちょうど子どもの権利条約の国連採択20年、日本批准15年の節目に当たる年なのですが、まだまだ子どもの権利条約を正しく理解している人は少数です。何しろ、日本政府でさえ、つい多波野氏のような立場を取っていました。