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幼い子どもでさえ「子どもらしく」振る舞うことが否定されるのですから、大のおとなが甘えることを許されないのはまったくもって当然のことです。

今まで以上に、誰かに頼ったり、弱みを見せたりすることは「いけないこと」とされ、何でも自分ひとりでできるようになること、そのために努力することが「いいこと」と考えられるようになりました。

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そう、「ただ、そこにいる」ことで、ミーちゃんは商店街の人々に幸せを与えてくれていました。
そして、「人は一人では生きていけない」という大切なことを教えてくれたのです。

小さく、弱く、人に頼らなければ生きていけないミーちゃんに、大きく、強く、“自立して”いるかに見える人間たちが心の豊かさをもらっていたこと。
——それは、私にとって「目からウロコ」の大きな発見でした。

195.gif この相談室のブログに書いていた「地域猫」の話が、本日(7月8日)に出版されました。タイトルは『迷子のミーちゃんーー地域猫と商店街再生のものがたり』(扶桑社)です。

考えてもいなかった展開に、ただただ驚くばかりです。
ブログにミーちゃんの話を書いたとき、私が願っていこと。それは、「ミーちゃんが見つかりますように」ーーたったそれだけでした。

本にも書かせていただきましたが、そんな小さな“つぶやき”に過ぎない文章が、まさか本になるとは、想像だにしていなかったのです。

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孤独と絶望から犯罪者予備軍に

それによってようやく、「信じたあげくに捨てられるかもしれない」という恐怖から抜け出せます。しかし一方で、より孤独にさせ、絶望の淵へと追い込みます。

そして、恨みやねたみを増大させ、「自分などどうなってもいいんだ」と思い、新たな犯罪に手を染めていきます。

今回の裁判員制度は、本当であれば生き直すことができたかもしれない子どもたちから、その機会を奪い、孤独と絶望、そして恨みの中へと定着させ、犯罪者予備軍とも呼べる人間をつくってしまいます。

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しかも裁判員制度の導入によって犯罪が減ることはけしてないのです。
前々回に書いた調査官の方の言葉をもう一度紹介したいと思います。

「子どもは『理解された』という体験があってはじめて、罪を反省し、刑も受け入れることもできる。そこが省略されてしまえば『どうせ俺はワルだ』と開き直り、再び罪を犯す子どもが増えるだけだ」

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裁判員制度は、被害者の方々も救いません。

ある調査官は、大勢の被害者やその家族と接してきた経験から、その理由をこんなふうに話してくれました。

「被害者やその遺族が知りたいのは、『自分の大切な人が、なぜそんな目に遭わなければいけなかったのか』ということ。その疑問に応えるためには、被告人がどんなふうに育ったどんな人間なのか、なぜ犯行に及んだのか、などが明らかにされる必要があります」

ところが、裁判員制度にともなう公判前整理手続では、まさにそこの部分が削られることになるのです。

「そんなことになれば、被害者側の傷はもっと深くなってしまう」と、この調査官は心配します。

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確かに2000年の少年法「改正」以降、「刑罰を課すのではなく、少年を教育・保護し、生き直しを援助する」という少年法の理念はすでに形骸化しつつあります。

しかしそれでも今までは、弁護人が頑張ればどうにかできるという可能性も残されていました。ところが裁判員制度が導入されることで、そうした可能性さえも無くなってしまいます。

私がよく知っている法学者は言います。

「要保護性を守る立場の調査官が『刑事処分相当』と言っているのだから、生育歴が争点になって『少年の生き直しを援助しよう』なんて結果が出ることはあり得ない。逆送された少年が刑事裁判で『保護処分相当』となれば家裁へと差し戻すことを定めた少年法55条も空文化してしまう」

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こうした裁判員制度によって、少年法も骨抜きになってしまう可能性があります。
少年法は、もともと教育基本法や児童福祉法と同じように、子どもの成長発達のためにつくられた法律です。

だから、いろいろな事情でうまく成長発達することができず、その結果として罪を犯した少年のやり直しを目的としてつくられています。
刑罰を課すことよりも、少年を教育・保護し、行き直すために援助すること・・・つまり、「要保護性」に力点が置かれています。

そのため、成人の場合よりも生育歴や生育環境がていねいに検討されるケースが多くありました。

ところが、今まで述べてきたように、裁判員制度にともなって始まった公判前整理手続では、「何をやったのか」が中心になります。たとえ少年であっても、生い立ちや犯行動機が十分に検討されなくなるのです。

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そもそも公判前整理手続では、「なぜ犯行に至ったか」という量刑手続に関する資料は簡略化される傾向にあります。
考えてみれば、当たり前です。「なるべく早く」判決を出そうとすれば、当然、注目されるのは「やったこと」(事実認定手続)ばかり。その理由までは、なかなか目がいかなくなります。

こうした裁判が行われるようになればどうなるか・・・。
事件の背景や全体像がなおざりにされ、犯行に至った被疑者(被告人)の生い立ちや犯行動機なども解明されなくなってしまいます。

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裁判員制度になれば、確かに審理期間は短くなります。集中審理が行われるため、3〜5日程度で結審することになるのです。

こうしたスピーディな裁判を実現するために行われるのが、公判前整理手続です。

公判前整理手続とは、初公判に先立って、裁判官、検察官、弁護人、必要な場合は被疑者が話し合い、あらかじめ証拠や争点を絞り込んで審理計画を立てる場です。ここで、法律の専門家ではない裁判員にもわかりやすいよう、証拠が厳選されます。

2005年から一部の刑事裁判で行われていて、その場は“慣例として”非公開です。
たとえ公判が始まった後に重要な証拠などが見つかっても、公判前整理手続で認められていなければ、原則として新たに証拠請求をすることはできません。

代用監獄は残したまま、こうした公判前整理手続を導入することは、弁護人を今まで以上に不利な立場に追い込みます。
前回も書いたように、弁護人には捜査権限が無く、被疑者との面会さえもままならないのです。

公判前整理手続が行われれば、その手続までに弁護人が情報を集められず、十分な準備ができないままに臨む可能性が高くなることは否定できません。しかも「証拠が厳選される」ため、検察官が握っている証拠をすべて見ることもできなくなります。

へたをすれば裁判方針も立てられないまま、公判前整理手続を終えることにもなりかねません。