昨今の取り組みからは、不登校が増え続けていること。学校へ行くこと、もしくは行けないことを苦にして自殺まで考える子どもも増えていること。そうした子どもをどうにか救おうと、親も教員も対応に追われていることがよく分かります。
文部科学省によると令和4年度の小中学校の不登校数は約29万9000人。不登校も増え続け、過去最多を更新中です。
解せない疑問
でも、私には解せません。
これだけ学校を嫌がる子どもが増えているのに、学校へ行くことが子どもの命を脅かしているのに、なぜ、学校教育の在り方を見直そうという声が高まらないのでしょうか。
日本の教育制度の問題を国連も指摘
子どもの権利条約に基づいて批准国を審査した後、国連が批准国に出す『総括所見』(第3回までは『最終所見』と訳されてきた)は次のように述べています。
①成長発達の主要な三つの場である家庭、学校、施設のすべてで競争(管理)と暴力、プライバシーの侵害にさらされ、意見表明を奪われ、その結果、発達が歪められている(Developmental Disorder)」(1998年:第1回)
②「教育制度の過度に競争的な性格が子どもの肉体的および精神的健康に否定的な影響を及ぼし、子どもが最大限可能なまでに発達することを妨げている」(2004年:第2回)
③「ストレスの多い学校現場から子どもを解放せよ」(2019年:第4・5回)
ここまで国連が厳しい指摘をしている学校になど、「行けない」ほうがむしろ正常なのではないでしょうか。
子どもはスーパーマンではない
知人の公立中学校の教員は「子どもに求めるものが本当に多すぎる」と、こう話していました。
「ICT教育でいろんなツール使いこなし、英語のリスニングにヒヤリングもやって、英検やら漢検やら、いろんな検定も受けないといけない。プレゼンテーション能力にコミュニケーション能力も問われる。もっと言えば、さらには歌って、踊れて、明るく学校生活を過ごすことを要求される」
子どもはおとなの要求に応える人形でも、スーパーマンでもありません。
これ以上、異常な教育制度に子どもを適応させようとすれば、子どもの自殺はますます増えていくでしょう。適応できず、壊れる子どもが増えることは想像に難くありません。