
子どもに「どちらの親と暮らしたいか」の決定を迫ったり、「別居親と会うか会わないか」を尋ねたりすることが、子どもの権利を認めることになるのでしょうか?
ちょっと難しい話になりますが、そもそも「意見表明権」がどんな権利として考えられてきたのか、というところから考えてみましょう。
「意見表明権」は社会に参加する権利?
これまで、「意見表明権」は、「子どもは未熟な存在だ」という考えを克服し、子どもが権利行使の主体となることを保障するためのものとされてきました。条約13条「表現の自由」などと同じように市民的自由の流れに属すると理解されてきたのです。そのため、子どもが表明した意見の内容その中身を尊重すること(限りなく自己決定権に近づく)や、子どもが社会に参加する権利を保障したものとされていたのです。
子どもの権利条約の4つの原則のひとつとされる「意見表明権」も、長らく「参加の権利」だとされてきました。
赤ちゃんには使うことができない
しかし、そのような考え方で「意見表明権」をとらえれば、まだ未熟な子ども相手に「自分で決めたのだから、自分で責任をとりなさい」と、早い自立を促したり、自己責任を問うことになってしまいます。なにより、赤ちゃんでは、使うこともできません。
確かに、子どもには年齢や成長発達の度合いに応じて自分の気持ちを表すことができます。ものすごい虐待を受けてきた子どもが、親に恐怖を覚えて、会うことを拒否することも皆無ではないでしょう。
しかし、多くの子どもは、たとえひどい親であっても、親が大好きで、愛されたいと願います。恐怖を感じる一方で、「本当は抱きしめてほしい」と思っていたりします。守ってくれるおとながいなければ生き延びられない子どもという存在にとって、当たり前なことです。
そんな子どもという存在の特性を考えれば、子どもと親の決定的な別離、それを子ども自身に決定させることの残酷さがわかるはずです。
子どもに残酷な決定を迫ることになる
・・・だとすれば、そのような残酷な決定を子どもに迫るものが、子どもの幸せのために存在する子どもの権利条約の重要な「意見表明権」であると言ってしまっていいのでしょうか。
私にはとうていそうは思えません。













