大切なことは、こんな中途半端な、「とりあえず、何かやりましたよ」というアリバイづくりのための通達を出すことではありません。

明らかな虐待行為であるのに、子どもの心や体が傷ついているのに、「宗教」や「家庭内問題」という理由で、もっと言えば保身に走って、おとなたちが看過してきたことを猛省すること。
「○○虐待」とネーミングが付き、世間が騒ぎ、お上が「認定」しないと動かない、そんな行政の姿勢を変えること。

その二点が、重要なのではないでしょうか。

私のクライアントさんの中にも

私のクライアントさんの中にも、宗教二世の人が何人もいました。旧統一教会の方ばかりではありませんが、その過酷さは同じでした。

「深刻な“宗教虐待” ガスホースで親からムチ打ち 宗教2世が苦しみ語る」(『AERA dot.』22年11月1日)という記事を目にしたとき、「もしかしてあのクライアントさんでは?!」と、顔や名前が思い浮かんだほどです。

「だれも救ってくれない」という信念

私が出会ったときには、すでに成人されていました。しかし、子どもの頃に負った傷は、そのときも生々しく血を流し続けていました

多くの場合、「だれも救ってくれなかった」という子ども時代によって、「人は信用できない」「分かってくれる人などこの世にいない」という信念を持っていました。

子どもの頃は、うかつにだれかを信じて、それ以上傷ついたりしないために役立ったその信念。それが、他者と親しくなることを邪魔し、孤独にさいなまれていました。

過酷な子ども時代の影響

一方で、「支配される」ことに慣れているためか、自分を食い物にするような他者を拒絶できず、いいように利用されたりしていました。

過酷な子ども時代の経験が、パートナーをつくったり、だれかとほどよい距離で付き合う、ということを困難にしていたのです。

安倍晋三元首相の襲撃事件以降、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)をめぐる問題が次々と明るみに出てきました。

そのひとつが信者である親からの特定の“教え”に基づく子どもへのしつけ・教育方針等に関する問題などです。

信者を親に持つ、いわゆる宗教二世の人たちが「児童相談所や警察に訴えても、宗教を理由に対応してもらえなかった」などと発言し、その苦しかった子ども時代が世に知られることとなりました。

「物を無駄にしない、循環させる」と言えば、宿のご主人宅の愛犬に「お土産」とおやつを何種類か渡したときも、こんなことがありました。

「ありがとう。だけど最近、このコ、アレルギーになっちゃって、食べられる物が限られているの。試してみて、かゆがるようだったら、それは返すね」(ご主人)

そう、あっからかんと言われたのです。

好きでも無いお土産を「いらない」とは言えず、処理に困ることがたまにあります。そうやって無駄にするより、「返すね」と言われたほうがずっと経済的だし、とってもエコです。うちの犬も喜びます。

最近、やたらと耳にすることが多くなった「SDGs」という言葉。Sustainable Development Goals・・・つまり、持続可能な開発目標のこと(外務省)。

政府や自治体、大企業も、こぞってこの言葉を発し、「環境に優しい」とか「だれひとり取りこぼさない」などと言っては、目標などを掲げています。

親殺し、とくに母親殺しの大事さを説いたのは分析心理学を創設したユングでした。

ユングが言う「母なる存在」とは、二つの面を持っています。ひとつは、「産み・育て・抱擁し慈しむ母」。もうひとつは、「子を呑み込み、抱きしめて殺す(圧死させる)母」です。

母親は、子どもを愛し、自らを捧げて、その成長を助けます。その一方で、子どもを自分の所有物のように感じ、「子にとって良かれ」との思いで、自らの思い通りに育てようとし、過度に干渉・保護し、子どもの力を削いでしまうこともあります。

母親側が、こうした子どものためにならない関わりに気付き、子離れしたり、父親が子どもと母親の関係性を断ち切る役割を果たせればよいですが、うまくいかないこともあります。

そうしたときには、子どもの側がちゃんと「母親を殺せるか」がとくに重要になります。

「母親殺し」とは母親からの自立

ここでいう「母親殺し」とは、もちろん、実際に母親を殺すということではありません。

精神的な意味での母親からの脱却、母親からの自立。つまり、子どもの心理的な成長(母親離れ)です。

抱きしめよう(支配しよう)とする母親の手を振り払い、「こうあって欲しい」という母親幻想から抜け出すこと、と言ってもいいでしょう。

違う生き方も出来たはず

あんなに偉大に見え、愛されたいと願った母親は、「結局のところ、神でも聖母マリアでも無い、つまらない人間に過ぎない」と、諦めることができたなら。親からの無償の愛や、親の期待に添えない罪悪感から抜け出すことができたなら。

彼らは、もっと違う生き方が出来たのでは無いでしょうか。そうすれば、彼らによって命を絶たれる人たちもいませんでした。

本当の償いとは

残念なことに、加藤死刑囚は、多くを語れないままこの世を去りました。

安倍元首相襲撃事件の容疑者には、ぜひ、彼の思いや人生について、話して欲しいと思います。そして、二度とこんな事件が起きないよう、その引き金や抑止力となるのは何かを私たちに教えて欲しいと思います。

それこそが、本当の意味での償いなのではないでしょうか。

前回、ブログで書いた安倍晋三元首相の襲撃事件の容疑者にしても、秋葉原殺傷事件の死刑囚にしても、その生い立ちが人生に与える影響の大きさです。

もっと端的に言えば、親の影響、というのでしょうか。

教育虐待の犠牲者

加藤死刑囚は、いわゆる教育虐待の犠牲者でもありました。死刑執行後、SNS上で同情の声も広がっています。

同死刑囚は逮捕後、次のように語っていました(『デイリー新潮』22年7月29日)。

「(詩や作文は)私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出した」

「小学校に来ていく服はすべて母親に決められていた」

「高校は自分の希望を変更し、母親の母校に進学」「あの子と付き合うのは止めなさいと、交際を禁止された」

祖母が語った子ども時代

同死刑囚の祖母は、その子ども時代について「幼い頃のあの子は率直ないい子だったんです。でも、両親がスパルタでね。トモがニコニコしていると父親が『締まりのない顔をするな!』と怒鳴る」(『FRIDAY DIGITAL』22年7月26日)とも話しています。

記事の中には、見ることが許されたテレビ番組は『ドラえもん』と『日本昔ばなし』だけであったり勉強ができないと風呂に沈められたこともあったなどのエピソードも載っていました。

彼もまた、結局は親への恨みや親への期待から逃れることができず、人生を破綻させた、「親に人生を支配された人たち」だったのではないでしょうか。

22年7月26日、秋葉原殺傷事件で死刑が確定していた加藤智大死刑囚の死刑が執行されました。

秋葉原殺傷事件は2008年6月に起きました。同死刑囚がトラックで赤信号を無視して歩行者天国に突っ込み、何ら関係の無い通行人5人を次々とはねた上、降車して通行人や警察官ら17人を次々とナイフで刺したのです。7人が死亡、10人が重軽傷を負いました。

当時、同死刑囚の唯一の居場所であったインターネット上の掲示板が、なりすましなどの「荒らし」に遭ったことが、犯行に至る引き金になったと言われています。

実際、一審では「家族はいないし、仕事は辞めてしまったし、職場の友人関係もこれで終わりだと思っていた。居場所がなくなったと考えた」と動機を語っていました(『東京新聞』22年7月27日)。

「だれかを殺して死刑になりたい」

自暴自棄になって見ず知らずの人を巻き込み、自らを葬り去ろうとする「拡大自殺」。2021年10月には「二人以上を殺して死刑になりたかった」(前出の記事)と東京の京王線内で乗客が刺傷される事件がありました。

つい最近(2022年7月7日)では、仙台市内の路上で女子中学生2人を切りつけた男性(43歳)が「刑務所に入りたかった」と供述しています。また、それから10日後の7月17日に福岡の商業施設で男子中学生の首を切りつけた女性(32歳)は、「子どもを殺せば死刑になると思った」と述べています。

救いようの無い深い孤独と絶望

これらが「身勝手な犯行」であることは、紛れも無い事実です。決して許されることではありません。

しかし、そう思う一方で、「だれでもいいから」と道連れになる人を探し、「人生と命を終わらせたい」というところまで追い込まれた、容疑者の絶望感がひしひしと胸に迫ります。
「許す」とか「許さない」という話ではなく、その救いようのない孤独感に圧倒されるのです。

自分で自分のすべてをぶち壊してまで犯行に及ぶ、そんな彼・彼女らの人生とはいったいどのようなものだったのかと、考え込まずにはいられません。

『国葬の成立 明治国家と「功臣」の死』(勉誠出版)の著者である中央大学文学部の宮間純一教授は
「不当な暴力で亡くなったからといって、安倍元首相を国葬にすることがどうして民主主義を守ることになるのか。私の理解では、国葬はむしろ民主主義とは相いれない制度である」
『PRESIDENT Online』2022年7月19日
と、岸田首相の発言を疑問視しています。

同記事の中で宮間教授は、「不平士族の手にかかって落命したことで、反政府活動が活発化することを恐れた伊藤博文らが、政府に逆らう者は天皇の意思に逆らう者であることを明確にし、政権を強化しようとした」と1878年に国葬に準ずる規模で催された大久保利通の葬儀を紹介し、今回の「国葬」も同様の意味があるのではないかと指摘します。

なんとも恐ろしいことです。

「国葬」で「良かった」5割

しかし第1次・第2次安倍政権の3188日という憲政史上最長の通算在任日数で、保守の牙城をつくりあげ、徹底的な競争と自己責任の社会を浸透させた安倍元首相のおかげで、こうした動きを危惧する声はほとんど聞かれません。

『FNNプライムオンライン』(22年7月25日)では、国葬を行うことについて「よかった」と答えた人は、「どちらかと言えば」をあわせて50.1%。世代別に見ると、若い世代は「よかった」が多く、年齢が上がるにつれ、「よくなかった」が多くなりました

若者の保守化が進んでいることは分かっていましたが、この数字にはやはり、驚きというか、残念さを隠しきれませんでした。

孤独で哀れな青年が起こした事件

今回の安倍元首相殺害のどこが、「言論への弾圧」であり、「民主主義への挑戦」なのでしょうか。

私には、「統一教会という宗教のために家族と人生を狂わされた」と信じた孤独で哀れな個人の逆恨みと呼んだ方がいいように感じます。

逮捕された容疑者の取り調べはまだまだこれから。まだ分かっていない真実や、表沙汰にされていない事実もたくさんあることでしょう。

残酷な結果

でもやはり私には、彼は、母親の愛を求めたひとりの寂しい青年に過ぎなかった気がしてなりません。

そんな印象を強く持ったのは、事件後の母親の「旧統一教会に迷惑をかけて申し訳ない」(『NHK NEWS WEB』2022年7月22日)というコメントでした。

息子が命をかけて質そうとした母親の愛、「自分の思いを分かって欲しい」という究極のメッセージさえも否定し、統一教会への謝罪を母親は述べたのです。これほど残酷な結果があるでしょうか。

そんな青年を利用し、保守勢力は憲法改正に大手をかけようとしています。

青年の命と人生をかけた結果がこれだったとしたら・・・どうにもやりきれない思いです。

先日の参議院選挙の応援演説中に銃撃され亡くなった安倍晋三元総理大臣の葬儀を「国葬」として執り行うそうです。

異例の早さで、岸田文雄首相が決定しました。

おごった政権

「安倍一強」のなかで、財務省による公文書の改ざん、防衛省による日報の隠蔽、森友・加計の両学園疑惑や桜を見る会の尻切れトンボの幕引き、集団的自衛権の一部行使を容認する「安全保障関連法」の強行採決等々、挙げればキリがありません。

今回、改めて調べてみたら、あまりにも安倍政権時代の疑惑や不正が多すぎて、すっかり忘れていたこともありました。

ちょっと振り返っただけでも、まさに思うままに国政を牛耳り、したい放題、傍若無人なおごった政権だった痕跡がわんさか出てきました。

「島国根性」と表される排他的で、特異なものや異質なものを敬遠する性質は、いったい何に起因するのでしょう。

その一つと考えられるのが、極端に強い同調圧力ではないでしょうか。
同調圧力とは、「集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること」(コトバンク)。

同調圧力

日本社会では、「多様性」だの「自分らしさ」だのという建前の裏に、「こうするべき」という同調圧力がしっかりと隠れています。

立場が上の人が言っていることや、マジョリティーに対し「自分はそうは思わない」ということはとっても勇気がいります。かく言う私も、日々、なかなか自分の意見を言えない場面に出くわします。

それが忖度や無責任につながっていると分かっていながら、なかなか抜け出せません。