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「ゆとり教育」になったことで、教師は「以前と同じ内容を短時間で、しかも子どもの実感がともなわない方法で教えなければならない」ようになりました。

当然、子どもの理解度は落ちていきます。そして、一度、分からなくなるともう二度と学校の授業には付いていけなくなることも増えました。

「基礎的な学力を何も身につけられないまま、小学校高学年、中学生へと進んでいく子どもが少なくない」
現場の教師はよくそんなふうに嘆いていました。

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教科内容の削減(いわゆる教科書の3割削減)も本当の「ゆとり」にはつながりませんでした。

なぜなら、国連「子どもの権利委員会」から二度にわたってその見直しを勧告されているほどに競争主義的な受験教育体制は、そのままだったからです。

教科書が薄くなっても

たとえ教科書が薄くなったとしても、受験を中心とした教育システムや社会の在り方が同じであれば、「教師が教えなければならない内容」が変わるはずがありません。
ほんのちょっと考えればだれでも気づくことです。

一方、「ゆとり教育」が始まったことで教科の授業時間は減っています。そのため、子どもがゆっくり考えをめぐらしたり、試行錯誤したり、体験をもとに何かを学んでいく機会はぐっと減ってしまいました。

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そもそも「ゆとり教育」は、子どもにゆとりある学びを保障するためにスタートしたものではありません。

その中身は、
「どんな家庭に生まれたどんな子でも、等しく教育を受けられる」
という平等教育を解体して、公教育費を削減させるために
「出来る子には手厚く、それ以外には最低限の教育」
へと、日本の教育を変えていくための装置として準備されたものです。

いったいどういうことなのか。
「ゆとり教育」の現実や、批判論議を振り返りながら、説明したいと思います。

耳ざわりのいい言葉やフレーズを聞くと、ついつい「それってほんと?」と、真意を疑ってしまう自分がいます。
ひねくれ者であるうえに、経験上、本音と建て前がかけ離れたものほど、きれいなオブラートに包まれていることが多かった気持ちがするからです。

最近、私が気になるのは地域のさまざまなサービス。地方負担が増える中で、サービスが低下するに連れて、そのネーミングはどんどんフレンドリーな雰囲気になっています。
たとえば説教ばかりする「さわやか相談員」、まったく相談に乗ってくれない「くらし応援室」、動物を処分する「動物ふれあいセンター」、子どもを縛る「子ども生き生きプラン」などなど・・・。

みなさんもお心あたりはありませんか?

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なぜ、子どもたちがそんなにも孤独なのか。総論は、こんなふうに書いています。

「おとなは『あなたが生きられる場所はここだけよ』と壁を設置して、その壁を乗り越えられない時には徹底的に子どもに烙印を押します。

その壁によじ登ってバタンと倒れて痛んで、泣いて、だれかそばいて、『大丈夫、また登ってみよう』と言ってくれるなら、壁はいくらでも乗り越えられます。けれど、今、おとなが私たちに言っていることは、よじ登ってバタンと倒れてしまったとき、痛みを感じるな、苦しむな、痛いと思ったら終わりだ。だらしない。そんなやつ脱落だ。愛される資格もない。そういうことなのです。

私たちは誰かに愛されたいと願い、たとえそれがおとなの所有物になることであろうが、親自身の商品価値を上げるための道具であろうが、必死になっておとなの揺れる心に付いていこうとします。けれど、おとなは私たちの揺れる心に一度でも向き合おうとしたでしょうか? 一瞬の『負の感情』に苛まれた私たちを抱きしめて、共に苦しんでくれたでしょうか?

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本当は、『届ける会News Letter』に掲載された報告書をすべて読んでいただきたいくらいですが、分量の関係もあるのでちょっと割愛。

今回は「子どもの声を国連に届けるプロジェクト」世話人一同による総論のエッセンスをご紹介したいと思います。

本当は、この総論だけでも全文読んでいただきたいところですが、かなり長くなってしまいますので、少しずつはしょったり、手を加えつつ、ポイントだけをお伝えしましょう。

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それから、今回の『子ども報告書』のもうひとつの大きな特徴。それが「母的環境」(自分をそのままで認め、ニーズを汲み取り応じてくれる関係のこと。
必ずしも母親によってもたらされるわけではありません)の喪失です

自分で自分を守ることなど不可能な子どもは、どうあっても「母的環境」を必要とします。それがあってはじめて、世の中は安全だと知り、自分はここにいてもいいと思い、自分の力を伸ばすこともできるようになります。

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そろそろ話題を「子ども報告書」に戻したいと思います。

・・・が、まずはここでおわびがひとつ。
諸事情あって、今回のブログから一部の掲載を削除させていただきました。それにともない、全体のタイトルも変更させていただきました。
ずっと続けてブログを読んでくださった方には、途中での変更となり、大変失礼いたしました。
お詫びしたいと思います。

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そんなわけでなかなか気持ちを込めて応援したり、楽しんだりすることができないオリンピックなのですが、今回はその気持ちが顕著でした。

それはオリンピック開始前から終了後まで続いていた「母に捧げるメダル」や「母がいたからここまでこれた」という、各選手をめぐる報道のせいです。週刊誌やワイドショーだけでなく、新聞までもが母への感謝と大絶賛に埋め尽くされていました。

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今回集まった子どもたちの国連への報告書(「子ども報告書」)を見ていてつくづく感じたこと。それは、

「こんなにも孤独で生きづらい毎日を生きているのか」

ということでした。

子どもたちの多くが身近なおとな、とくに親との関係に傷ついていました。
それでも親のことが好きで、愛されたくて、受け容れて欲しくて、もがいていました。

過去にも2度「子ども報告書」は提出されていましたが、報告書を読んでここまでやるせない気持ちになったことはありませんでした。