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何しろその後、自民党議員が求めた「生活保護費10%カット」に対し、小宮山洋子厚労相が「自民党の提案も参考にして検討したい」「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課したい」などの見解を示し、いつの間にか「不正受給をどう減らすか」ではなく、「いかに生活保護受給を減らすか」という議論にすり替わってしまいました。

長年、社会保障費を削りたくて仕方なかった政府と、浮いたお金を経済成長に振り分けて欲しかった財界が願ってもない状況が生まれたのです。

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本来、負担を強いられた国民の怒りの矛先は、こうした社会構造をつくり、維持している人々(強者)へと向けられるべきですが、なかなかそうはなりません。

ひとつつまずけば、すぐにも転げ落ちてしまう「すべり台社会」において、必死で手すりにしがみつき、それでも上を目指すことを強いられる世の中において、表に出せない鬱積した不満や怒りは、それをぶつけやすい弱い立場の人々へと向かいがちです。

そして、強者は、その流れをつくるための仕掛けを用意することを怠りません。

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そもそもどうして生活保護受給者がこんなにも増えたのでしょうか。

厚生労働省の発表によると、今年2月の生活保護受給者数は前月に比べ5499人増の209万7401人、受給世帯数は同4483世帯増の152万1484世帯。どちらも過去最多を更新しました(2月の生活保護受給者数は209万7401人で過去最多を更新)。

生活保護生体が急増しはじめたのは2009年度頃。前年の2008年はリーマンショックがあり、世界的な金融不安が起きた年でした。
規制緩和などのいわゆる小泉改革によって、労働条件は悪化し、不安定雇用、生活困窮世帯が増え続けてきた中で景気が落ち込み、「派遣切り」が社会問題として大きく取り上げられた時期でもあります(生活保護世帯数と保護率の推移

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そのことを心底、実感したのが、「生活保護 福祉事務所に『警官OB』」という記事を見たときです(『東京新聞』2012年4月5日)。

背景には、2010年度の生活保護不正受給件数が2万5000件と前年度比29%に膨らみ、総額約129億円という過去最悪の数字を記録したことがあるのかもしれませんが、生活保護費の実態をきちんと検討しているのかは疑問です。

同記事によると、不正受給が増えているのは事実でも、10年度の生活保護費全体に占める割合は金額でわずか0.38%。
近年は0.3%台で推移していて変化は少ないとのこと。

また、記事中に登場する「全国公的扶助研究会」の渡辺潤事務局長は「不正受給とされたケースの中には子どものアルバイト代に深刻義務があることを知らなかったなど、故意ではないケースも多い」と訴え、福祉行政に詳しい弁護士は「まずはケースワーカーが現状では少なすぎる。きめ細かく対応できるよう適正な人数を配置するべきだ。悪質な不正は必ずしも多くない。そのつど、警察と連絡を取り合えば十分だ」と提言しています。

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その理由は、2月〜4月にかけて、うまく福祉につながることができず、命を落とす事件がいくつも報道されたからです。

たとえば東京都立川心マンションで死後約二ヶ月がたった母親と息子の遺体が発見された事件がありました。
報道によると、母親がくも膜下出血で倒れ、後に障害のある息子が食事も取れずに衰弱したということでした。
2人の身元確認 東京・立川の母子死亡 警視庁

『「福祉」が人を殺すとき』(寺久保光良著・あけび書房)

まだバブルが弾ける前、多くの人が「景気は上り調子だ」と信じて疑わなかった1980年代。そんな時代に、各地で福祉につながれずに餓死や自殺が起きていることを綴ったルポルタージュのタイトルです。

同書に登場する北海道札幌市で、3人の子どもを残して餓死したとされる女性の事件については、福祉行政の責任とはまた違った問題があったことが、後になって分かってきましたが(詳しく知りたい方は『ニッポン貧困最前線 ケースワーカーと呼ばれる人々』久田恵著・文藝春秋社をご一読ください)、それを差し引いても日本の福祉行政の問題点がよく分かる一冊です。

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逆に、一見、正義のように見える加害者を死刑などの厳罰に処すこと。
すなわち、加害者だけに責任を負わせ、犯行の背景を一切語れぬように「口をぬぐう」こと。
加害者が「なぜ犯行に至ったか」を注視せず、「やったこと」のみに焦点を当てること。
加害者が犯行に至るまでの間、加害者を救う努力をしてこなかった社会の責任を放棄すること。

それは、加害者のような人間を生み出した社会・環境の問題を温存させるだけでなく、多くの人々を憎しみと恨みの中に定着させ、さらなる破壊的な社会へと人々を邁進させる暴力の連鎖を強めることになります。

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「加害者がどんなふうに育ったどんな人間なのか、なぜ犯行に及んだのか」

そういった被害者の方々が当然抱く疑問を明らかにすること。加害者の生育歴を丹念に調べ、人格形成との関係を検討すること。どのような環境が人を犯罪へと向かわせるかを考えること。・・・それは、被害者の方々を救うだけではありません。

安全な社会をつくっていくうえでも、とても重要です。

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本当に辛く、悲しく、残酷なことですが、奪われてしまった命や傷つけられた事実は何をしてももとには返りません。残念としか言いようがありませんが、たとえ加害者にその命を持って償ってもらったとしても、奪われた被害者の命が戻ってくることはないのです。

その事実を受け止めざるを得ないのであるとすれば、遺族や被害者にとって真に必要なことは、その現実を受け止め、存分に悲しみ、「もう一度幸せに生きて行いこう!」と思えるような手助けすること。遺族や被害者と共に泣き、怒り、「あなたはひとりではない」という実感を与えること。失ったものをちゃんと過去のものにして新たな一歩を歩み出せるように支えること。

そうしたことこそが、私たち周囲の人間にできる遺族や被害者への支援なのではないでしょうか。

少なくとも、遺族や被害者の被害感情をいたずらにあおり、憎しみに定着させ、恨みを糧とし、失った関係性をよすがにして過去の幸せだけを眺めながら生る人生の中に閉じ込めてしまう・・・そんな残酷なことをすべきではありません。

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私も、虐待や不適切な養育を受けてきた子どものセラピーをさせていただくことがあります。

セラピー開始当初は、子どもが発する不信感や巧みな嘘、すべてを飲み込もうとするかのような欠乏感に呆然とさせられます。
私という親の代理にぶつけてくるあまりにも激しい怒りに圧倒されてしまうこともたびたびあります。