確かに自民党という党自体に、安定感や安心感を覚えるという気持ちは理解できます。戦後、長い間、与党として日本をひっぱり、高度経済成長時代をもたらしたのは自民党です
がんばればがんばった分だけ報われたあの時代。
努力すれば夢が叶うと信じられたあの時代。
だれもが学校に行けさえすればそれなりの学力を付けられたあの時代。
文句を言わず、上に逆らわずに従っていれば、それなりに出世できたあの時代。
社会からはみ出るような行為をしなければ、何らかのおこぼれにあずかれたあの時代。
確かに自民党という党自体に、安定感や安心感を覚えるという気持ちは理解できます。戦後、長い間、与党として日本をひっぱり、高度経済成長時代をもたらしたのは自民党です
がんばればがんばった分だけ報われたあの時代。
努力すれば夢が叶うと信じられたあの時代。
だれもが学校に行けさえすればそれなりの学力を付けられたあの時代。
文句を言わず、上に逆らわずに従っていれば、それなりに出世できたあの時代。
社会からはみ出るような行為をしなければ、何らかのおこぼれにあずかれたあの時代。
新年、あけましておめでとうございます。
今年もまた、さまざまな思いをこのブログでお伝えしていきたいと思いますので、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
「ヒトラーが台頭した頃のドイツと今の日本を比べるのは極端だ」とか「今さら世界規模の大戦争なんてあり得ない」などと、笑う人もいるでしょう。
私ももちろん、心からそうあって欲しいと願っています。そして、確かに“第二次世界大戦のような”大規模な戦争など起こらないだろうとも思っています。たとえ安倍首相が「憲法を改正する」とか「国防軍をつくる」と言っていも・・・。
こう書いてくると、では①「こうした所業によってヒトラーは、何を得ることができた(得ようとした)のか」、②「なぜ多くの国民が、ヒトラーにあれほど熱狂したのか」が気になってくるところです。
でも、残念ですが今回はそこには触れず、先へ進みたいと思います。①に関してはさらに心理学的な考察が、②については心理学的考察だけでなく、当時の時代背景や人々をとりまく環境などについての説明が必要になってきますので、説明にはかなりの紙幅が必要になります。
また機会があれば、ぜひ書きたいと思いますが、ご興味のある方はミラー氏の著書『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』と『子ども時代の扉をひらく 七つの物語』(いずれも新曜社)をお読みいただければと思います。
なぜなら子どもというものは親の非常な仕打ちを忘却し、そんなひどいことをする親を理想化しなければ生き延びることはできないからです。
親が“親の都合で”子どもを苦しめているとか、子どもが親の葛藤やストレスをぶつける対象になっているなどという考え方は、子どもにはできません。愛する親が、「自分のことを愛していない」ことを受け入れることほど、子どもにとって残酷なことはありません。
だから子どもは「親が怒るのは自分が悪い子だからだ」とか「自分のためを思って親は自分に厳しく接するのだ」と、親の仕打ちを合理化せざるを得ないのです。
『週刊朝日』で橋下氏の連載をスタートさせた動機について、執筆者である佐野眞一氏は次のように述べています。
「橋下氏という人物を看過していたら、大変なことになる。あたかも第二次大戦前夜のようなきな臭さを社会に感じた」(『東京新聞』11月28日「こちら特報部」)
佐野氏は同記事中で、橋下氏の振る舞いに1930年代のドイツを想起したと話し、「ワイマール憲法下で小党が乱立し、閉塞状態が続く。そこにヒトラーが登場する。彼は聖職者や教師、哲学者らを“いい思いをしている連中”とやり玉に挙げ、求心力を高めた。その手法は現在の橋下と似ている」とも語っています(【こちら特報部】「タブー越えてでも書かなければ 「橋下氏連載」佐野眞一氏に聞く」2012/11/ )。
連日、メディアでも街頭でも衆議院議員の選挙戦が熱く繰り広げられています。
今回は第三極と呼ばれる政党が数多く乱立し、いったいどこの政党を応援したらいいのか、何を決め手にしたらいいのか、いつも以上に分かりくい状況です。
何しろ前回までのブログに書いたように、権力を握った人間は、私利私欲のためなら「平気でうそをつく」ことがあります。耳障りのいい言葉や、心にもないうそ、思わず飛びつきたくなる公約を掲げて、私たちを欺こうとします。
そんなうそにだまされないためにも、党の看板である政治家がいったいどんな人物なのかをよく見極めなければなりません。
ところがこれが、なかなか難しいのです。著書や過去のコメントをひっくり返さなければ、どんな人物なのかが分からないことが多いですし、「個人情報の保護」だの「プライバシーの侵害」などという言葉をいくらでも隠れ蓑に使える昨今、そう簡単なことではありません。
さらに昨今は、学校教育だけでなく家庭でも、と子どもに恐怖心を植え付けて「うそはいけない」と教え込む“しつけ”がブームになっています。
それを反映するのが、『絵本 地獄』(風濤社)の大ブレイクです。そこには、うそをつくなど悪いことをした人が鬼に体を切り刻まれたり、火あぶりや釜ゆでになったりというリアルな地獄の光景が描かれています。
『地獄』は1980年に発行され、これまでは年に2000冊売れるかどうかの商品だったのに、今年に入ってなんと17万部の売り上げです。
前回のブログで紹介した『あなたの中の異常心理』の著者である精神科医の岡田さんは、こうしたリア王とコーデリアの性格を「どちらも気性がまっすぐで、誠実だが、その一方で強情で、我の強い一面をもち、一面的な見方にとらわれやすい」(同書138ページ)と述べ、さらにこのような人は「高い観点から事態を俯瞰し、賢明な行動を選択することができない」(同書139ページ)と述べます。
そして「真っ正直でウソがつけず、誠実な性格というものは、その意味で面倒を引き起こしやすい一面をもつといえるだろう。それは、心に二面性を抱えられないという内面的構造の単純さに由来する問題であり、語弊を恐れずに言えば、ある種の未熟さを示しているのである」(同書139ページ)と、分析しています。
もちろん、「うそをつくこと」自体は、まったく悪いことではありません。
私たち人間は、自分自身にさえうそをつきながら生きています。
現実を見ないようにしたり、自分の本心に気付かないようにしながら、葛藤をやりすごし、どうにかバランスを取ることは、健康に生きていくために欠かせない能力です。
もしそうした能力がなければ、辛い現実や受け入れ難い事実に飲み込まれ、日々の生活はたちまち立ちゆかなくなるでしょう。
無意識を発見した精神科医のフロイトは、こうした心の働きを防衛機制と呼び、「だれもが心理的葛藤から自分を守るために行っていること」と述べました。