福祉から遠い国(6/8)
何しろその後、自民党議員が求めた「生活保護費10%カット」に対し、小宮山洋子厚労相が「自民党の提案も参考にして検討したい」「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課したい」などの見解を示し、いつの間にか「不正受給をどう減らすか」ではなく、「いかに生活保護受給を減らすか」という議論にすり替わってしまいました。
長年、社会保障費を削りたくて仕方なかった政府と、浮いたお金を経済成長に振り分けて欲しかった財界が願ってもない状況が生まれたのです。
生活困窮者を追い詰めることに
受給すべき人が受給できず、餓死や貧困が生まれている社会の中で、こうした議論が盛んになるということは、今よりももっと生活困窮者を福祉の窓口から遠ざけ、追い詰めることになります。
事実、生活保護の相談を受け付ける団体には、河本さんの一件以来、「生活保護の相談に行きにくくなった」などの電話が急増(河本事件以降 生活保護「相談しにくくなった」という電話増加)。
私がかかわっているある相談機関でも「自分も生活保護を打ち切られてしまうのではないか」「生活保護を受けるということはいけないことなのか」などの問い合わせが殺到していました。
心情的な理由はどの程度認められるのか
「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す」という話も捨ててはおけません。経済的な理由ではない、心情的な理由がどの程度、認められるのかとても危ういと思うからです。
今までさえ、子ども時代に虐待を受け、親と縁を切って暮らしている方が生活保護を受けようとしたら「『親に連絡しないですぐに生活保護受給なんてことにはならない』と言われ、受給を諦めました」などという話がありました。
虐待以外にもDV、離婚、財産争いなど、さまざまな理由で「親族ではあるけれど、親(または子や兄弟)と関係性はほとんどない」方々を、私はたくさん知っています。
経済的には余裕があるけれど、気持ちの上で、親や兄弟、子どもを受け入れられない人はいっぱいいます。
逆に、裕福な両親や子どもがいても、「両親(子)の世話だけにはなりたくない」と、切り詰めた生活を送っている人もいます。
そこには、簡単には語り尽くせない、他人には分からない、“親族だからこそ”の、長い年月をかけた葛藤があるのです。(続く…)