子どもはそうやって徐々に、恐怖や不安、寂しさなどのリアルな感情を封印する術を上手に身につけていきます。そして、だれかを頼ることをあきらめ「自分の面倒は自分で見よう」という決心を固めていきます。
「だれかを頼る」ということは、その相手に自分を預けるということです。それは、不測の事態がいつでも隣にあり、余裕のないおとなしかいない家庭で暮らす子どもにとっては、自分の身を危険にさらす行為とイコールです。
子どもはそうやって徐々に、恐怖や不安、寂しさなどのリアルな感情を封印する術を上手に身につけていきます。そして、だれかを頼ることをあきらめ「自分の面倒は自分で見よう」という決心を固めていきます。
「だれかを頼る」ということは、その相手に自分を預けるということです。それは、不測の事態がいつでも隣にあり、余裕のないおとなしかいない家庭で暮らす子どもにとっては、自分の身を危険にさらす行為とイコールです。
私は、「アルコール依存症家庭で育つ子どもに似ている」と思いました。
災害という子どもにはあらがえない暴力。それがもたらす、先行きの不透明感や構造性の欠如、不測の事態、おとな(親)の無力感・・・そんな日々は、「マクロ」と「ミクロ」の話という違いはありますが、アルコール依存症の家庭をはじめとする機能不全家族の様子と重なります。
アルコール依存の家庭は、暴力、そして非一貫性と予測できない事態で満ちています。
地震、そして津波からの避難。やっとたどり着いた避難先では、ホッとしたのもつかの間。水は瞬く間に建物の1階を飲み込み、大勢の人々が巻き込まれました。
それを目撃してしまった子もいます。押し寄せる濁流と共に、流れ込んで来た遺体に遭遇したという子もいます。水の難は逃れたものの、冷え切った体で低体温症を起こし、亡くなっていく方を見てしまった子もいます。
しかも停電です。灯りも食べ物も無い暗闇に降り積もる雪。体を寄せ合って暖を取る、親しい人の安否さえ分からない長い夜を子どもたちは過ごしました。
「もう3月だというのに、あの日は午後からものすごく冷え込んで、暗くなるのもものすごく早かった」と、現地の方々は口をそろえました。
また、農産物の放射線量を測りもしないで県産のものを給食に出す郡山市教育委員会に対しても、多くの保護者が不信感を抱くのは当然のように感じました。
今、郡山市のほとんどの子どもは給食で出された県産牛乳を拒否しており、弁当を持参している子も多いと言います。
ところで、この8月、今回の東京電力福島第一原子力発電所事故で放出されたセシウムの量が、広島に投下された原爆の168倍にもなることが報じられました。
これについて経済産業省原子力安全・保安院は、
「原爆は熱線、爆風、中性子線による影響があり、原発事故とは性質が大きく違う。影響を放出量で単純に比較するのは合理的でない」(『朝日新聞』8月27日)
と述べていますが、私のような素人にはその危険性がどの程度のものなのか分かりません。
確かに、ただ単純に「原爆より原発の方が影響が大きい」と言うのはうかつな気もします。
こうした報道を目にするたびに、精神的ストレスの高い社会で、養育能力を育めないままに親になってしまった悲劇を感じます。
おそらく愛情あふれる養育を受けられないままにおとなになった彼・彼女たちは、おとはとは違う子どもという無力な存在の特性や特徴に思いをめぐらすことができず、思い通りにならないその存在をストレスに感じ、かわいがり方も分からずに、「おとなの都合に合わせること」がしつけだと疑わないまま、その幼い命を奪ってしまったのでしょう。
日本は、13年連続で年間の自殺者数が3万人を超えるほど、生きていくことが大変な国です。
ここ13年間の自殺者数を合わせると約40万人にも上ります。これはなんと、第二次世界大戦で亡くなった民間人の半分もの数字です。
そして、特定非営利活動法人・自殺対策支援センター・ライフリンクによると、未遂者はその10倍。つまり、毎日1000人もの人が自殺を図っているのが日本の「自殺の現実」だと言います。
さらに同ホームページには、日本の自殺者数は交通事故死者数の5倍以上、自殺死亡率はアメリカの2倍でイギリスの3倍、イラク戦争で亡くなった米兵の10倍とも載っています。
果たして戦争がないからといって、今の日本が平和だと言っていいのでしょうか?
もうすぐ終戦記念日です。
毎年この時期になると、戦争や原爆に関するテレビの特番や新聞・雑誌の特集などを目にする機会が増え、自然と平和について考えさせられます。
そして目を覆うばかりの惨状や悲惨な戦争体験、戦後の過酷な環境を生き抜いてきた方々の苦労などに、本当に心が痛みます。
しかし、その一方で「二度とあの悲劇を繰り返さない」と、式典などで述べている政治家や、戦時中と比較して「今の日本は平和である」と言う人々の発言に腑に落ちないものを感じているのも事実です。
こうした意見を聞くたびに思います。
「戦争さえなければ平和なの?」と。
考えてみれば、私たちカウンセラーは、たとえ震災がなくても、原発事故がなくても、「非常事態」の中でどうにかこうにか生きている人たちと常にお会いしています。
とくに子どもにいたっては、毎日が「緊急事態」という中で、がんばって、がんばって、かろうじて生き延びているケースが少なくありません。