暴力的な社会(5/7)
本当に辛く、悲しく、残酷なことですが、奪われてしまった命や傷つけられた事実は何をしてももとには返りません。残念としか言いようがありませんが、たとえ加害者にその命を持って償ってもらったとしても、奪われた被害者の命が戻ってくることはないのです。
その事実を受け止めざるを得ないのであるとすれば、遺族や被害者にとって真に必要なことは、その現実を受け止め、存分に悲しみ、「もう一度幸せに生きて行いこう!」と思えるような手助けすること。遺族や被害者と共に泣き、怒り、「あなたはひとりではない」という実感を与えること。失ったものをちゃんと過去のものにして新たな一歩を歩み出せるように支えること。
そうしたことこそが、私たち周囲の人間にできる遺族や被害者への支援なのではないでしょうか。
少なくとも、遺族や被害者の被害感情をいたずらにあおり、憎しみに定着させ、恨みを糧とし、失った関係性をよすがにして過去の幸せだけを眺めながら生る人生の中に閉じ込めてしまう・・・そんな残酷なことをすべきではありません。
被害者や遺族の疑問に応えるには
深い傷を負った遺族や被害者が、辛い現実を乗り越えていくためには、「どうして自分(もしくは最愛の人)がこんな目に遭わなければならなかったのか」を知る必要があります。
なぜ、なんの落ち度もない最愛の妻が理不尽にもその生命を絶たれねばならなかったのか。なぜ、罪の無い幼子が将来を絶たれねばならなかったのか。なぜ、加害者はこんな残酷な仕打ちをしたのか。それが分からない限り、たとえ加害者が死刑になっても被害者は救われません。
大勢の被害者やその家族と接してきたある裁判所調査官の方は、自身の長い職業上の経験から、こんな話をしてくださったことがあります。
「被害者やその遺族が知りたいのは、『自分の大切な人が、なぜそんな目に遭わなければいけなかったのか』ということ。その疑問に応えるためには、被告人がどんなふうに育ったどんな人間なのか、なぜ犯行に及んだのか、などが明らかにされる必要があります」(続く…)