「貧困の連鎖」や「経済格差の固定化」が言われる一方で、「長引く不況」と言われながらも高額所得者は急増しています。
『税金は金持ちから取れ 富裕税を導入すれば、消費税はいらない』(武田知弘著/金曜日)という本によれば、信じられないことに億万長者は10年前の3倍に激増しているそうです。
平気でうそをつく人たち(6/9)
『平気でうそをつく人たち』(5/9)
ここまで二枚舌ではないにしても、うそをついてきたのは現政権だけではありません。
たとえば、このブログでも何度かとりあげた「ゆとり教育」(詳しくは「本音とたてまえ、オモテとウラ」参照)の変遷を思い出してください。
『平気でうそをつく人たち』(4/9)
そしてエネルギー政策や復興対策予算の使い方をめぐっても、民主党率いる政府の不誠実さ、その厚顔無恥ぶりが浮き彫りになりました。
「30年代の原発稼働ゼロ」の理想を掲げ、原発の新増設を認めない方針を打ち出しながら、従来通り核燃料サイクルなどを維持。使用積み核燃料を加工したプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を全炉心で使用する、「世界初のフルMOX原発」である大間原発(青森県)の建設も再開されました。
「すでに着工されていた大間原発などは、現行法令上、(設置許可を)途中で取り消す制度はない」というのが枝野幸男経済産業大臣の言い分です(『東京新聞』2012年10月5日)。
その姿勢に、原発推進、脱原発派双方から批判が噴出しています。
『平気でうそをつく人たち』(3/9)
そうした真実はあったとしても、「チルドレン・ファースト(子どもが一番)」と言い続け、その実現に向けた施策として公約に掲げたものを守り続けることは大切だったはずです。
前回のブログで述べたように、子ども手当に象徴される「お金を配って、保護者それぞれの経済力に応じたサービスを買わせる」という民主党の各子ども施策は、実際には子どもを福祉から遠ざけるものではありますが、民主党らしい子ども観・子育て観を映しだした政策であったことは確かです。
『平気でうそをつく人たち』(2/9)
「たとえどれほど極悪非道な悪事を働いた犯罪者だとしても、その人がそのような人間にしか育つことができなかった悲しみや辛さを忘れるべきではない」
私はずっと、そんなふうに考えてきました。もちろん、今でもそのように思っています。
その人の犯した罪は、もちろん責任を問われるべきことですが、その人が罪を犯すような人間にしか成長できなかった責任までをその人に負わせることはできないのですから・・・。
『平気でうそをつく人たち』(1/9)
またまた本からの引用になってしまいますが、今回のタイトルは80年代にアメリカで、90年代に日本で話題となった精神科医で心理療法カウンセラーのM・スコット・ペックの本からお借りしたものです。
スコット・ペックは、診療室で多くの人々と出会った経験から、「世の中には“邪悪な人間”がいる」と考えるようになり、個人から集団まで、人間に宿る悪の所業とその心理的側面を『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』(草思社)として記しました。
歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(8/8)
橋下流の強力なマネジメントなど導入しなくても、すでに教育現場には管理・統制が行き届いています。
管理・統制が、教師を追い込み、人と人との関係を分断し、人間らしい情緒的な営みを破壊し、子どもの成長・発達となる教師との関係を奪っています。その結果、子どもが人の痛みに共感したり、生命を尊重したりすることができるような人格に向け、成長・発達できる機会が奪われてしまったのです。
いじめは、このような非人間的な学校教育にむりやり適応を迫られたストレスや苦しさを訴える子どものメッセージです。
そこに産業界の望む人材育成しか頭にない橋下流教育マネジメントが持ち込まれれば、教員も子どもも、今よりもさらに追い詰められます。
歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(7/8)
そんな橋下流教育マネジメントを知れば知るほど、「上からの管理・統制を強め、教育委員会を無くし、政治家主導の教育ができるようになれば本当にいじめが無くなるのか?」という疑問が大きくなります。
そもそもなぜ、子どもの世界にいじめが蔓延しているのでしょうか。学校が、教育委員会が保身に走り、いじめの事実を隠蔽することにやっきになっているのでしょうか。
歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(6/8)
橋下大阪市長は、知事時代からずっと「教育委員会はいらない」「教育は政治家主導で行われるべき」と主張してきた人です。
それを実現するための手段も選びませんでした。
多くの問題をはらみつつ43年ぶりに復活した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)も利用されました。この制度を使って、橋下氏がどんなふうに教育委員会を脅し、無力化したのかについては、『暴力の裏に隠された意味(2)』をご覧いただきたいと思うのですが、これを契機に教育委員会は、なし崩し的に橋下氏に従うようになっていきます。
歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(5/8)
いえ、過去のいじめ事件のときよりもひどいかもしれません。
これは私の印象に過ぎないのですが、今回の事件が「教育委員会解体論」に吸収されていくように思えるのです。
今の教育委員会の在り方が良いとか、悪いとかの議論はまたの機会にして、「なぜ解体論に結びつきそうなのか」だけを述べたいと思います。