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かつて「生育歴が無視される裁判員制度(5)」というブログを書いたときには、「裁判員制度が導入されれば少年法が骨抜きになる」と書きました。

しかし、今回の光市事件の元少年への死刑判決は、私に「少年法は死んだ」という現実を突きつけました。しかも「死亡被害者がふたりで死刑」という、成人同様の厳しい判決です。

最高裁判所という、国の最も権威有る、国の基準をはかる機関による少年への死刑判決は、とうとう日本という国が“おとな”とは違う“子ども”という存在を公然と否定してはばからなくなってしまったことを思い知らされました。

今年になってから、「少年による事件」について、また「暴力」というものについて、深く考えさせられるニュースがありました。

ひとつは、京都府福知山市の市動物園の猿山に大量の花火を投げ込んだとして、同市内の18歳の少年5人が書類送検されたというニュース。送検容疑は、「1月3日午前6時半ごろ、猿山(26匹飼育)に侵入し、見学通路から柵越しに点火したロケット花火などを投げ入れ、1匹の鼻をやけどさせたこと」でした。

もうひとつは、山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件の差し戻し後の上告審です。最高裁が上告を棄却し、犯行当時18歳1カ月の少年の広島高裁判決である死刑が確定したというニュースです。

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「傷ついても慰めてくれる存在がある」「恐い思いをしても戻ることができる場所がある」という確信は、子どもが外の世界を探索したり新しい物事にチャレンジする勇気をくれます。

こうした安全基地の感覚は、人間の成長度合いに応じて内在化され、そのうち母がいなくても自分を慰めたり、不安を沈めたり、勇気を奮い立たせたり、することができるようになります。

そして安全基地の内在化は、人間がだれかの言いなりになったり、従属したりすることなく、自分の人生を豊かにすることができる人間関係を選び取ること、自分を幸せにしてくれるひとときちんとつながりながら自分らしい人生を歩むことを可能にしてくれます。

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子どもが母(養育者)との間につくる情緒的な絆をアタッチメント(愛着)と呼びます。
子どもは、恐い思いをしたり、疲れたり、病気になったり、すなわち危機的状況が高まったとき、守ってくれるおとな(母)に近づくことで、その恐怖を鎮めようとします。

これは未熟な状態で生まれてくる子どもが、生存の可能性を高めるために行う、ごく自然な行為で、心理学用語ではアタッチメント行動と呼びます。

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それぞれの意味をちょっとネット辞書で調べてみました。

「しがらみ」の意味を調べると、

1)水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもの。
2)引き留め、まとわりつくもの。じゃまをするもの

とあります。

また、「支配」は

1)ある地域や組織に勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと。
2)ある要因が人や物事に影響を及ぼして、その考えや行動を束縛すること。
3)仕事を配分したり監督・指揮したりして、部下に仕事をさせること

と書かれています。

一方、「絆」はというと

1)人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。
2)馬などの動物をつないでおく綱

となっています。
(いずれもgoo辞書やyahoo辞書等を参考にしたものです)

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本当の意味で自然を守る心を育て、環境破壊を止められる人間になるためには、実際に自然に触れ、その厳しさや大らかさを実感した上で、「なぜ、そしてだれが、この自然を破壊してきたのか」を知る必要があります。

平気で汚染物質を自然の中に垂れ流して利潤追求してきた(いる)人々が今もいること、国もそれを後押しする政策を取り続けてきた(いる)ことを学ばなければなりませんし、真に地球の環境を守りたいのなら、「環境に優しい」製品開発のためにどれだけの自然が壊されてきたのかを理解する必要があるのです。

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考えてみてください。

もし心に染みこむコミュニケーションがある、安心と自由に満ちた家族で育ったおとなが多くいるのだとしたら、『ミタ』に象徴される“現代版の絆”などを必要とする社会になっていたでしょうか。

「無縁社会」だの「孤独死」だのというものがめずらしくない世の中になっていたでしょうか。
親類縁者に囲まれた故郷を「窮屈だ」と感じ、干渉されない都会を目指す人間を生んだでしょうか。

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一方で、「家政婦のミタ」(日本テレビ)という、ほのぼのとした家族や従来からイメージされている絆の概念とは真逆をいくようなテレビドラマが高視聴率を得ました。
そのヒットの裏には、「かねてからある『絆』というものへのうさんくささを感じている層に訴えたのではないか?」との意見もあります。

たとえば、2011年12月23日付けの『東京新聞』では、同番組が描いたものを「家族崩壊後の現代的絆」と紹介し、「(略)ほのぼのとしたドラマだとうそっぽい。簡単には解決しない状況の中で、それでも希望を見いだしたいという視聴者の気持ちに沿う筋立てだったのでは」と、藤川大祐・千葉大教授のコメントを紹介しています。

また、稲増龍夫・法政大教授は同記事で「震災後、ある意味『絆』が求められたが、それは昔に戻ることなのか、と疑問に思う人もいる。昔の親子関係や絆が崩壊したといわれる今、心の中に染みこんでくる昭和のコミュニケーションとは違う、優しくないミタのオウム返しは極めて現代的」と語っています。

新年、明けましておめでとうございます。

このようにブログでご挨拶していただくのも、「新年のご挨拶も、もう何度目になったのか・・・」と考えてしまうくらい、IFFでブログを書かせていただくようになってから長い時間が経ちました。

ずっとおつきあいくださっているみなさん、また、最近になってご覧いただくようになったみなさん、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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想像力・創造力を失い、型にはまった考え方しかできない例は、たとえば「指示まちくん」などと揶揄される「ゆとり世代」に象徴されているかもしれません(「ゆとり世代」の若者を批判する論調には異論がありますが、今回は触れません)。

一方、健康上の問題は13年間も続いている年間3万人の自殺や、うつ病などの気分障害の患者数の増加などに見て取れることでしょう。
1996年には43.3万人だった総患者数が2008年には104.1万人となり、9年間で2.4倍にまで増加しています。さらに、2009年の20代〜30代の死因トップは自殺で5割を超えていますが(『平成23年版自殺対策白書』)、その実態は気分障害の増加がもっとも多いのは30代というデータとも重なります(『社会実情データ図録』)。