私は常々、「私をはじめ、人間はみな完璧な“純金製”になれない金メッキ」と思っています。
確かに理論上は、“純金製”の人間・・・あらゆる能力を備え持ち調和が取れたバランスのいい人格者を育てることはできるはずです。
「包まれているものを出現させる」という発達(Develop)の語源によれば、「人は“人として”豊かに生きるために必要なすべての能力を持って生まれてくる」わけですから、あとは「その包まれている能力をきちんと表出させてくれる環境(親)」があればいいだけです。
これは子どもの成長・発達を保障するための世界的な約束ごとである「子どもの権利条約」の29条:教育の目的(子どもの人格・才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること)にも通じる考え方です。