日本礼賛と金メッキ(5/7)

2019年5月29日

このシリーズの最初の記事へ さてさて「日本礼賛」についてです。

自分が生まれ育った国、属する国に愛着を持つことは人間ならば当然です。母国ならではの良さもよく分かっています。そんな母国の文化に誇りをもつことも至極最もなことです。
でもそれはが「母国が一点の曇りもない、何一つ恥じることもない、素晴らしい国だから」なのだとしたら、これはけっこう危険な話です。

絶対視は危険

盲目的に何かを信じたり絶対視しようとしたりすると、「完璧でなければならない」という呪縛にとらわれます。完璧なものなどあり得ないのに、「完璧であろう」とすれば、そこにはかならず無理が生じます。
たとえば間違いを隠そうとしたり不可能を「可能」と言い切ったり、トラブルを見ないようにするなど、してしまうのです。

東日本大震災時に起きた原発事故がいい例です。もし、原発の危険性を直視し、人々に周知した上で設置していたのであれば、あんな大惨事にはならなかったはずです。「人がつくるもの、やることに完璧などあり得ない」という、ごく常識的な考えのもとで、可能な限りの安全対策をしていたなら悲劇は最小限度で食い止められたでしょう。

だれもが不完全

人間は不完全な存在なのです。完璧な人格、完璧な人生、完璧な能力を持っていることなどありえません。
私たちはみな、不完全な環境、完璧でない親、機能不全な家族のもとに生まれ、育ってきたのですから。

私をはじめ、みんな何かが足りず、どこかが欠けているのです。うまくいかないことや自分の限界にジタバタし、世を恨んでみたり、自分を情けなく思ったりしながらも、えっちらおっちら生きています。

でも、だからこそ、自分と同じように不完全である他者を許したり、他者とつながったりしながら、慰め合ったり、足りない部分を補い合ったりしながら歩んでいきます。ダメな部分やうまくいかないことを抱えながら「さて、どうしよう」と悩みながら、失敗を繰り返しながら、傷ついたり傷つけられたりしながら。

「まぁ、こんなもんか」とやり過ごし、小さな春の日差しに幸せを見つけたりしながら、暮らしていくのです。(続く…

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