日本礼賛と金メッキ(6/7)

2019年5月29日

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 私は常々、「私をはじめ、人間はみな完璧な“純金製”になれない金メッキ」と思っています。

 確かに理論上は、“純金製”の人間・・・あらゆる能力を備え持ち調和が取れたバランスのいい人格者を育てることはできるはずです。

「包まれているものを出現させる」という発達(Develop)の語源によれば、「人は“人として”豊かに生きるために必要なすべての能力を持って生まれてくる」わけですから、あとは「その包まれている能力をきちんと表出させてくれる環境(親)」があればいいだけです。

 これは子どもの成長・発達を保障するための世界的な約束ごとである「子どもの権利条約」の29条:教育の目的(子どもの人格・才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること)にも通じる考え方です。

現実は厳しい

 でも、前回も書いたように現実は厳しいものです。理論通りにはなかなかいきません。親は子どもにさまざまな期待をし、知らず知らずのうちに「何かを教え込もう」とします。教師は「子どものため」と信じて社会が求める能力ばかり高めることを要求しますし、社会は「その発展に寄与できる人材」を求めます。

 そもそも子どもを取り囲むおとなたちが“純金製”ではないのですから、仕方がありません。 

 そんな環境で育てられた私たちが、よっぽどのことがない限り“純金製”になどなれないのは当たり前です。

金メッキでいい

 だから私たちは自分に金メッキを貼ります。経験を積み重ね、他者を観察し、人とやりとりしたり、本を読んだり、先人に学んだりしながら、「何が大切なのか」を考えて。
 自分の欠けた部分を補ったり、他者とうまくつきあったり、世の中と折り合いをつける方法を模索します。
 人格崩壊を起こしたり、孤軍奮闘して疲弊してしまわないように。

「そのままでいいよ」と抱えてくれる親ではなかったとあきらめ、代わりに「私はそのままで価値があるんだ」と思わせてくれるだれかを探します。「お前のため」と押しつけることがなく、ただ「私である」ことを受け入れてくれる居場所を求めます。

 そうやって100%ではないかもしれないけれど、「まぁまぁな環境」をどうにか自分でつくっていけばいいのです。(続く…

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