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「新学習指導要領をいち早く先取りした」(静岡県吉田町の浅井啓言教育長)とはどういうことなのでしょうか。

『朝日新聞』(2017年7月27日)によると、2020年に実施される新指導要領では、小学校中学年で「外国語活動」、高学年で「英語」が導入されることもあり、授業時間数が今と比べて年35時間増えるそうです。各自治体は、その時間を捻出しなければなりません。

今回の吉田町が行った「夏休み16日間に短縮」はその選択のひとつでした。

同記事によると、吉田町の夏休みは08年度までは全国でも標準的な39日間だったのに、今の指導要領で授業時間数が増えたため、10年度には30日前後まで短縮となったそうです。
今年度はさらに短くなって小学校は23~24日間、中学校は29日間まで短縮。そして来年度にはお盆前後に10日間程度を休みにし、そこに週末の休みを加えて「16連休」とする予定だということです。

8月に入っていよいよ夏本番。夏休みムードも高まってきました。みなさんは、「夏休み」と聞くと、どんなことを思い出されますか。

私が思い出すのは、自由研究や日記、感想文や絵画などの宿題。それからラジオ体操でしょうか。

もう時効なので、正直に書いてしまいますが、夏休みの宿題が出されると「どうやって楽して仕上げるか」を考えたものです。
とくに毎日継続してやらなければならない日記やお天気記録は大の苦手だったので、日記は「1週間分まとめて書いてしまえ」と適当に書きちらし、天気のほうはまじめに毎日付けていそうな子にあらかじめお願いしておき、夏休み終了間近に写させてもらっていました。

ラジオ体操は、出席した日に判子をもらうという仕組みだったので、「昨日、もらい忘れちゃった」などと嘘をつき、ちょっとだけズルをしたりしながら、とにかく夏休みは「朝寝坊してめいいっぱい遊ぶ!」ということに意欲を燃やしていたような記憶があります。

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そもそも子どもに何かを教え込もうとか、しつけようとか、指導しようということ自体がナンセンスなのです。

「develop(発達する)」の語源は、de(取り除く)+velop(包む:ラテン語のvolvoから派生)。つまり、人間として生きるためのあらゆる能力を秘めてこの世に生まれてくる子どもが、その内に秘めた能力を表出させることを「発達する」と言います。

それは「education(教育)」の意味ともリンクします。educationはラテン語のeducare(大きくする)とeducere(引き出す)の二つから成っています。ここからも分かるように教育というのは、子どもが生まれながらに持っている能力の発現を待ちながら、その能力が活かせるよう引き出してあげること。それが教育の本来あるべき姿です。

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近年の愛着(アタッチメント)理論を中心とする研究結果や子どもの権利条約の内容を含めてよく考えれば、「カーリングペアレントがなぜダメなのか」も、ちょっと意味合いが変わってくるように思えます。

世の中一般で言われているように、「子どもは厳しく育てるべき」で「苦労は買ってでもさせた方が良く」て、「子どもの意見など聴いていたら親の言うことを聞かなくなる」から、カーリングペアレントが問題なわけではないでしょう。

そうではなく「先回りして障害物を取り除こうとする」ことで、「子どもの欲求をつぶしてしまって」、結果的に「子どもへの応答性を忘れて親の思い通りに子育てしようとする」から、問題なのです。

続く…

そしてこの12条は、心理学的に考えれば「子ども自らが安定した愛着関係を築くことを可能にする」という点で、画期的な権利です。

子どもは、自分の欲求に応えながら世話をしてくれる親との間に、愛着関係を築いていきます。この関係性は子どもに安心感をもたらし、自己肯定感と呼ばれるものと同時に、「困ったときには世の中は自分を助けてくれる」という基本的信頼感も育てていきます。

こうした安全感をもたらしてくれる関係性は、安全基地として子どもの心のなかに取り込まれていき、やがては目の前に親がいなくても、不安やおそれを感じずにやっていけるようになります。多少のトラブルがあっても、心のなかにある安全基地でエネルギーを充填し、困難に立ち向かって行くことができるようになっていきます。

子どもの欲求を受け止め、応えるという関係性は、子どもの権利条約が前文でうたい「調和の取れた人格の形成」に不可欠なものなのです。

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でも、それはおかしな話ですよね。そもそもなぜ子どもの権利条約という、「子どものための権利」、「子どもの成長・発達を支えるための国際的な約束事」ができたのかと言えば、まだおとなのようには自分を守ることができない、いろいろな意味で力(能力)が未熟な子どもという存在に対して、特別な力を与える必要があると考えたからです。

しかも子どもは、幼ければ幼ないほど非力ですから、より権利(特別な力)が必要になります。つまり、条約が言う未成年(18歳未満)のなかで、最も権利を必要とするのは生まれたての赤ん坊のはずです。それなのに、乳幼児が蚊帳の外に置かれてしまうような解釈ではまったく意味をなしません。

遅ればせながら、「カーリングペアレント」という言葉を知りました。つい最近読んだ精神科医の片田珠実さんの著書『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』(光文社新書)に出てきたのです。

かんたんに言うと「子どもの障害物をすべて取り除く親」のことを指すそうで、その語源? は、ストーンを目標のところへと滑らせるため、氷の表面をブラシで掃くカーリング競技だそうです。
ネットで調べると2005年頃から教育評論家などの間で使われはじめ、もともとはスウェーデンが発祥とのこと。

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いえ、もしかしたらそもそも「幸せ」の定義が変わってしまったのかもしれません。前回のブログを書いた後、友人から次のようなメールをもらいました。

「『絶望の国の幸福な若者たち』という本の中では、若者の姿として『ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友人とくだらない話を3時間、家ではYouTubeを見ながらSkypeで友達とおしゃべり。家具はニトリとIKEA。夜は友人の家に集まって鍋』と書いてあるそうです。物や情報は十分あり、成長が見込めない中で現状で小さく満足しているのでしょうか。
でも高齢化や減らない財政赤字、非正規雇用や老後の資金など、これからの若者は大変だと思います」

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「もしかしたら、そんなふうに考えるのは本当に私だけなのかもしれない」
・・・そんな不安に駆られる報道を目にしました。4月1日に内閣府が発表した「社会意識に関する世論調査」についての記事です。

なんと「現在の社会に満足している」と答えた人が過去最高の66%に達したというのです。国民の約7割近くにのぼります(『東京新聞』2017年4月4日)。

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大川小問題では、震災が起きた直後、大川小を管轄している宮城県石巻市が(1)遺族説明会を開かない、(2)ただ一人生き残った教師を「病気求職中」として隠す、(3)最初の頃に徴収した都合の悪い子どもの証言を改ざん・隠蔽してメモを捨てる、などの不誠実な対応を重ねました。

でもこれは「震災直後」だけの話ではありません。残念なことに市教委が「証拠や話合いのベースになる文書を隠すことで、起きた問題や責任の所在をあいまいにしてしまおう」とする行為は、つい最近もありました。

東京電力福島第一原発事故で福島県から横浜市に避難した男子中学生へのいじめ問題で、いじめを見逃した原因や改善策を話し合う市教育委員会の内部組織「再発防止検討委員会」が、会議の議事録を作成せず、録音データも消去していたことが明らかになったのです。