このシリーズの最初の記事へ

閑話休題。
ところで笑顔と言えば、今、さかんに行われている「自殺予防としての笑顔」の奨励についても、なんだか違和感がいっぱいです。

情報番組などでも、「笑顔でやると仕事や家事の能率も上がる」とか、「笑顔でいると脳がだまされて幸せな気分になれる」などといい、その検証を行う番組などもよく放映されています。
自殺予防のための自治体セミナーなどでは「笑いでうつを予防する」などという講習も行われています。

こうした取り組みのすべてを否定するつもりは、もちろんありません。それどころか、笑顔をつくったり、意図的に笑うことで幸せになることができるならば、そんな簡単なことはない! とも思います(カウンセリングの場では意図的に笑うことさえもできない方がいらっしゃるのは事実ですが・・・)。

でも、あまりにも「自殺予防には笑いが一番!」と喧伝されてしまうと、「それはなんか違うでしょ」と言いたくなってしまうのです。

===
自殺者が12年連続で3万人超

日本の自殺者は12年連続で3万人を超えました。

2009年の自殺者数は2年ぶりの増加で前年比596人増の3万2845人。40~60歳代男性の自殺が多く自殺者全体の40.8%を占め、職業別では「無職」が57.0%で最も多かったそうです[自殺者12年連続で3万人超=実態に応じた対策提唱−政府白書]。

また、警察庁が発表した自殺の概要によると、原因・動機には「健康問題」が最も多かったものの、「経済・生活問題」が8377人となって前年比973人も増えたと言います。
中でも増加したのは「生活苦」で、大幅増の1731人になったそうです。

こうした事態を「個人が笑う」ことでどうにかしようとするのは、かなり無理があるとは思いませんか?

90年代以降に顕著になった、自己決定と自己責任を全面に押し出した競争・格差社会が関係しているのはどう考えても明らかです。

190万人を突破した生活保護世帯

確かに、2003年から2007年にかけては、わずかながら失業者数が減少したものの、自殺者数は減っていません。そこだけを見れば、「90年代後半のように自殺者数の動向は景気や失業者数とリンクするとは断言できない」とおっしゃる方がいるのも理解できます。

しかし、2003年から2007年の間も、相変わらず不安定雇用が増え続け、労働条件は悪化の一途。生活保護世帯も増加の一途です。今年9月に厚生労働省が発表した集計によると、ついに生活保護世帯は190万人を突破し、これは戦後の混乱期(1955年度)以来の数字です。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

誤解のないようにことわっておきますと、「だから、景気の動向と自殺者数はリンクしているはずだ」と言いたいわけではありません。
そのふたつがまったく無関係とは思っていませんが、ただ「景気回復」や「貧困対策」をして、失業者が減れば自殺が減るわけではないとお伝えしたかったのです。

昨年末に「『子どもの貧困』の何が問題か」でも書いたように、失業の増加や不況だけを重視して「貧困こそが問題なのだ」という視点で見てしまうと、「だから景気対策を優先させ、経済的に豊かになることが大切なのだ」というところに帰結してしまいます。

でも70年代、80年代を振り返えって見ればわかるように、世界一の経済大国であるアメリカを見れば分かるように、経済優先の社会は人間を幸せにしませんでした。

それどころか、他者とのつながりとか、家族の情緒的な結びつきとか、損得を抜きにした関係性とか、お金では得られないホッとする時間などの、人間が“人間らしく”生きることを否定することで、ひたすら富を生んできたのです。

そして、その先にあったのが「無縁社会」であり、「家族の絆の崩壊」でした。

学習塾費の補助だけでいい?

「貧困対策」にばかり目がいくと、たとえば教育格差を「貧しい家庭への学習塾費の補助で乗り切る」なんてことが、不思議に感じ無くなってしまいます。

最近、いくつかの自治体や都道府県でこうした補助金を出すというニュースを目にしました。もちろん、塾に行けないことで進学できなかったり、ひいては将来に大きな格差が馬得ることは避けなければいけません。

もちろん、今現在、こうした問題のまっただ中にいる子どもに援助をすることはとても必要なことだと思います。

でも、そこで終わってしまっては根本的な問題が残されたままです。日本の教育の最も大きな問題は、「公教育だけで、学力や進学が支えられない」ことにあるはずです。
本来であれば、「公教育を受ければ、必要な学力が付き、進学できる」ように教育の仕組み全体を変えていくことが筋のはずでしょう。

ところが、その根幹の部分にはまったく触れず、またまた問題の本質がうまくすり替えられ、対処療法的なやり方のみがもてはやされます。

高校無償化は何を救う

民主党の目玉施策のひとつに数えられる「高校無償化」も、この対処療法の域を出ません。いや、もしかしたら「療法」とさえ呼べないシロモノかもしれません。

ちょっと考えてみてください。高校生活にかかるのは授業料だけではないのです。入学金や給食費、大学受験のための学習塾費・・・ざっと考えても、その他膨大な費用がかかります。

それにもかかわらず、高校の授業料のみを無償化するわけですから、家庭の経済状態によって、授業料分のいわば「浮いたお金」の使い道は違ってきます。おそらく、低所得層は生活に、高所得層はさらなる高等教育に向けた資金に当てられることでしょう。

・・・ということは、今まで以上に格差の助長・固定化につながる可能性が高くなるということです。

しかも長年、民主党の教育施策のアウトラインを描いてきた鈴木寛文科学副大臣は高校無償化などの三方案をつくるに際し、「保護者の経済力によって塾に通えるか否かの差が子どもの学力格差につながっている。(中略)『すべての子どもの学習権保障。機会の平等の完全確保』を掲げる民主党のテーゼ(綱領)を実現するためのもの」(民主党ホームーページより)と発言しています。

ここから分かるのは、民主党の言う「教育の機会均等」とは「塾を含む教育の機会均等」のことだということ。

つまり民主党は「公教育全体を見直す」つもりなどさらさらなく、「塾を含む教育の機会均等」を推進する高校無償化制度を導入し、子ども手当同様、各家計に「浮いたお金」を持たせることで保護者の消費行動をうながすことこそが目的なのだと読むことはできないでしょうか。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

今回のテーマでは、この夏に起きた不思議な事件、奇々怪々な事象、施策などさまざま取り上げてきました。

まだまだ疑問を感じることは山のようにありますが、すっかり秋も深まって参りましたので、そろそろ終わりにしたいと思います。

しかしなんと言っても、山積する不思議の中で最も不可解なのは、こういった政治や社会に怒ることもしないサイレントマジョリティーの存在です。

勝っても負けてもだれも幸せにしない。果てしなく続く競争社会の中で、心休まるときもなく、余裕のある生き方もできないまま、「でも、それは仕方のないこと」とあきらめ、結果的にさらなる競争社会ーー「自己決定と自己責任」ーーへと突き進むことを許している大多数の存在です。


何でも民営化されるのはよいこと?

たとえば昨今、「事業仕分け第三弾」が行われましたが、多くの人々が「ムダを無くして欲しい」と、この仕分けを喜んでいます。しかし、事業仕分をごくごく単純に言ってしまえば「従来、国で行ってきたことを民間企業ができるよう」仕向けているだけです。

民間企業が執り行うということは、「その事業が企業利益の対象となり、お金を払えるひとでなければよいサービスを受けられなくなる」ということです。

何でもかんでも民営化されることが本当に国民に利益をもたらすものなのか。それは保育事業の民営化や、郵便事業の民営化の現在を見れば、もう答えは明らかなはずです。

確かに、天下りなど甘い汁を吸い続けてきた官庁関係者の存在は許せるものではありません。私たちが収めた税金が、国民のためにならない使い方をされてきた事実も見過ごしてはいけません。

でも、こうした「官の問題」を無くそうというのなら、そのお金の使い道を明らかにしたり、天下りができないような法律つくったりして、監視の目を光らせ、きちんと不正を糺していけばいいだけです。

何もその事業を民間に開放する必要などありません。

ちゃんと怒ろう!

繰り返しになりますが、「民営化する」ということは「買う側の経済力によって受けられるサービスが違ってくる」ということ。そして、それを「あなたが選んだのだから」(自己決定)として、個人の責任に押しつけられるということです。

今までは、国民の権利として、社会保障として、だれもが均一に受けられていたサービスが、消費の対象となるのです。

当たり前の話ですが、お金持ちは金に飽かせていくらでもよいサービスを買うことができるようになり、貧しければ「安かろう、悪かろう」のサービスしか受けられなくなります。いえ、下手をしたらサービスを買うことさえもできなくなる人が大勢でるでしょう。

私たちが望んでいるのは、「お金がなければ満足に福祉も教育も受けられない」社会なのでしょうか? それとも「財政のムダを無くして、その分、豊かな福祉や教育を受けられる」社会なのでしょうか。

おそらく、多くの人が選ぶのは後者でしょう。甘言や表面上の華やかさ、「今までよりは良くなりそう」なイメージなどに惑わされず、「その裏に何が隠されているのか」を見極め、理不尽なものごとに対してきちんと怒っていくことが必要です。

新年、あけましておめでとうございます。

このブログを始めて5年目に入りました。長年、おつきあいいただいているみなさまに、改めてお礼を申し上げたいと思います。

「お花の種」を描いた子ども

ところで、つい最近のこと。
とある研究会に参加した際に、子どものセラピーをしているあるカウンセラーさんが、その方のクライエントである、ひとりのお子さんが描いた絵について、こんな話をしてくれました。

===

「まず、その子は自分が好きな花の絵を描き、次にいくつかの箱を描きました。そこで私が『箱には何が入っているの?』と尋ねると、『こっちにはじょうろ。こっちにはそのお花の種』と答えたのです」

その話を聞いて、参加者のみんなの口から、ほっとしたようなため息が漏れました。

「すごいね」
「そこまで傷を癒せたんだね」
「未来につながる力が芽生えたんだね」

・・・さまざまな場所でカウンセリングに関わっているみなさんが、思い思いにつぶやきました。

なぜ心理臨床の仕事に惹かれるのか

守秘義務がありますので、その子どもがどんな人生を生きてきたのかはここでは詳しく記すことはできません。ただひとこと、「暴力に満ちた毎日の中で、ひたすら親の愛を求めてきた子ども」と申し上げておきましょう(上記の「絵」に関する記述も事実を多少代えています)。

その生い立ちから、未来どころか今の自分自身を信じることも困難で、自分に価値を見いだせない絶望と寂しさがいつも隣りにある毎日を生きてきたと、察することができます。

そんな生き地獄のような日々を息抜き、「花を咲かせる種」を心の箱に持つことができるようになるまでに成長することは、並大抵のことではなかったでしょう。

そんな子どもが描いた花と箱、じょうろと種の絵を想像し、絵の様子を思い浮かべていると、「なぜ私が臨床の仕事にこんなにも心惹かれるのか」ーーその答えが、ふと見えた気が来ました。

いちばん最初に出会った「心理職」

実は私、長く心理だの、カウンセリングだのというものに対しては、かなり批判的な考えを持っていました。

・・・と言いますのも、このブログを長く拝読くださっている方はご存じなように、私は「生粋の心理系」の人間ではありません。

大学では社会学を学び、マスコミに就職し、ジャーナリストとして働く中で、心理の世界と巡り会いました。

そんな私が、いちばん最初に知った「心理職」の方は、児童相談所に勤務している方でした。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

それは、オウム真理教(現アーレフ)事件の取材を続けている中でのことでした。

地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日。事件後、すぐに容疑者はオウム真理教に絞られ、出家信者たちが住んでいたサティアンや道場では、連日のように強制捜査が行われ、テレビも新聞も、雑誌も、街の話題も、文字通り「オウム一色」でした。

あらゆるマスコミがサティアンの前に張り付き、些細なことまでリアルタイムで報道し、「いかにオウムがひどい集団か」という情報が、真実かどうかも検討されないまま飛び交っていました。

突然「発見」され「保護」された子どもたち

そんな中で行われた強制捜査が3週間も続いた後、出家信者の子どもたちは「飢えて遺棄・虐待されていた」として緊急に「一時保護」されました。

連日、建物に出入りしていたにも関わらず、捜査員は「飢餓に苦しむアフリカの子どもよりひどい状態」(1995年4月15日『朝日新聞』)の子どもたちに気付かず、捜査から3週間が過ぎてから、突然「発見」され、「保護」されたのです。

「保護」に至る経緯もかなり不思議ですが、保護の仕方や、その後の子どもたちの処遇も、報道の内容も、行政機関の対応も、「いったいだれのための、何のための『保護』なのか」と、首をかしげたくなることばかりでした。

事件とは無関係

機会があれば、その内容についてこのブログでも詳しく述べたいと思いますが、ここは先を急ぎます。

ごくおおまかに言っても、オウム真理教のトップが行った犯罪や事件と、一般信者とその子どもたちとはまったく関係がありません。

その出家生活が、子どもにとってよいものだったのかという問題は残るにしても、子どもたちの気持ちをまったく無視して、大勢の屈強な男達が、力任せに住居から引きずり出して、「緊急に保護」する必要のあるものだったのかは大いに疑問です。

一般信者の多くは、「世の中で認められる価値ある人間にならなければ」という日々に疲れ、そうした社会で壊れた人間関係に傷つき、安住の地を求めて出家していました。子どもたちは、そんな親に連れられ、何も分からないままにサティアンや道場で暮らしていました。

子どもたちが味わった恐怖と不安

そんな子どもたちにとって、力尽くで、むりやりの、突然の「一時保護」は大きな恐怖と不安をもたらすもの以外の何ものでもありませんでした。

子どもたちからすれば、「なぜ、自分たちがこんなにも屈辱的な恐怖にさらされるのか」「なぜ、住み慣れた場所と、慕っている人から引き離されるのか」ーーまったく分からなかったのです。

信者が撮影した記録ビデオを見ると、子どもたちの顔は恐怖で歪み、のどがはり裂けんばかりに大声を上げて、助けを求めていました。そしてあらん限りの力で抵抗し、どうにか捜査員の手を逃れようとしていました。

中には、実の親の手の中から、数人の警察官らに囲まれ、「お母さん、助けて!」と叫びながらも、もぎ取られるようにして連れて行かれた子どももいました。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

私が取材で会った子どもの中には、この「一時保護」そのものが、トラウマになっている場合もめずらしくありませんでした。

「人見知りをしなかった子どもが、男性を怖がるようになった」
「ひとりで留守番させようようとすると『警察が連れに来るかも知れない』とおびえる」

・・・そんな声も聞かれました。

はじめて知った「心理職」の仕事

こうした体験をした子どもが、警察や社会に対して、否定的な印象を持つことは意外でもなんでもありません。

むしろ、「当然」と言っていいことでしょう。

ところが、「保護」された子どもを担当したある「心理職」の方は、子どもの母親に対して親元に返せない理由をこんなふうに語ったそうです。

「心理検査したが、まだマインドコントロールが解けていない。しかも、『警察は嫌いだ』などと、反社会的なことを言っている」

でも、いったいどんな心理検査が行われたのか。どんな基準で判断しているのか。何より、なぜ子どもたちが「反社会的なことを言うようになっているのか」については、まったく触れられませんでした。

これが、私がはじめて知った「心理職」の仕事ぶりでしたから、私が「心理という仕事」に対して、批判的かつ懐疑的だったのはあたりまえでしょう。

心理を学ぶに至る経緯

話をうんと最初のところに戻しましょう。

この一件があってからというもの、心理職に対してまったくいい印象を持てずにいた私をよそに、世の中には「こころブーム」が到来しました。

スピリチュアルなものから専門的なものまで、娯楽雑誌から教育現場まで、あらゆるところに「こころ」というキーワードが氾濫し、「こころの時代」などと呼ばれるようにもなりました。

実は、この背景にもさまざまな仕掛けがあるのですが、それもまた長くなるので別の機会に譲っておきましょう。

とにかく、あっちでもこっちでも「こころ」をめぐる現象がさまざま起き、それまで振り向きもされなかった心理の専門家は、「まるでこころを自由に操れる魔法使い」のごとく、珍重されるようになりました。

国家権力におもねる心理の専門家や、そんな心理の専門家を利用しようとする権力者が目に付くようになり、「こうした人々をきちんと批判した記事を書くためには、自分が心理に詳しくならなければ」という思いが私の中で強くなっていき、やがて心理の大学院へと進む決心をしました。

このオウム事件の数年後に、以前「真夏の怪(3)」で書いた「子どもの心をおとな(社会)に合わせてつくり変える」ためのツールである『心のノート』が、高名な心理学者を中心につくられたことも、その決心を後押ししました

でも、そのときはまさか自分が心理臨床を仕事とする人になるとは、予想だにしていませんでした。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

そう、あくまでも「取材や執筆に活かせる知識を得たい」というのが、心理を学ぶ理由だったのです。

ところが大学院の授業の一環として、臨床実習が始まると、その気持ちに変わっていきました。

まず、それまで取材を通して経験的に感じていた「『ありのままの自分を受け入れてくれる居場所(人間関係)がどこにもない』ということこそ、人が創造的に生きられない理由に違いない」との思いがどんどん膨らんでいきました。

それと同時に、クライエント(患者)さんとお会いすることで、新しい驚きや喜びを感じるようになったのです。

その喜びはどこから?

でも、不思議です。辛い体験をお聞きすることが、なぜ喜びにつながるのでしょうか?

生きる意欲を持てない方、ほとんど寝たきりで過ごしている方、空気を吸うのも「申し訳ない」と言うほど、自分に価値を感じられない方、世の“常識”から見れば、逸脱行為にしか見えない行為を繰り返す方・・・。

カウンセリングをさせていただいていると、その背景にある怒りやねたみ、絶望や失望などの激しい感情に飲みこれそうになることも、しばしばあります。

長い間、
「それでも、そういう方々と向き合うことに感じる喜びとはいったいなんなのか?」
と、考えても分かりませんでした。

人間の可能性を感じる

その問いに答えをくれたのが、このブログの冒頭で紹介した「じょうろと種」のエピソードをお聞きしたときでした。

私が臨床の仕事に心惹かれる理由。それは、「人間の持つ可能性をダイレクトに感じることができるからなのだ」と思い至ったのです。

たとえ、今は嵐の中で身をすくめていても、冷たい空気に囲まれて芽吹くことができなくても、きれいな花を咲かせられなくても、「実は、本来持っている生命力がちょっとかげってしまっているだけ。だれもが心の奥底では『幸せになりたい』と願い、それを実現する力を持っている」と、実感できるからなのです。

長い長い冬の終わり、極寒の地の小春日和、何にも負けない力強さ・・・。厳しい中に垣間見える生命力にハッとさせられる瞬間が、臨床の現場には確かにあります。

そんなすばらしい瞬間の立会人として、輝く「生命力の種」に触れることができた喜びを1人でも多くのクライエントさんに返して行くことができる。2011年は、そんな年にしたいと思っています。

2月も終わろうとしていますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

私が敬愛する研究者の1人にエーリッヒ・フロムがいます。

ドイツの社会心理学者であり、哲学者であり、精神分析を修め、マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けたことで知られ、心理学の教科書では「新フロイト派」とか、「フロイト左派」と紹介されている人物です(ウィキペディア )。

理解できなかったその思想

エーリッヒ・フロムの代表作と言えば『自由からの逃走』(創元社)ですが、私がはじめて出会った作品は『愛するということ』(紀伊国屋書店)です。

当時の私は大学生。友人に勧められて手に取った一冊でした。

その頃、「多くの人から愛され、与えられる女性こそが魅力的なのだ」とか、「社会で認められるひとかどの人物たることこそ大事なのだ」という社会の常識にはまり込み、いかに生きるべきかと悩んでいた私にとって、同書の「与えること自体がこのうえのない喜びなのだ」「愛とはだれもが浸れる感情ではなく、技術なのだ」というメッセージには、驚愕という言葉以外は思い当たりませんでした。

そして同時に、「いったいそれはどういうことなの?」と思い、何度となく本を読み返しても、実感として分からなかったことも覚えています。

もしフロムと出会わなかったら

それがフロム(の思想)との初対面だったわけですが、振り返ってみれば「あの出会いがなかったら、今、私はこの場所に立っていないだろうなぁ」と、しみじみと思います。

もちろん、フロムとの出会いだけがすべてではありません。
でも、「もしもフロムに出会わなかったら、臨床心理の世界に引かれ、ここでブログを書かせていただくという機会を持つことはなかったのではないか」と思うのです。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

『愛するということ』(紀伊國屋書店)に出会って以来、邦訳されているフロムの本は、すべて読みました。

その後も、人生の節目、迷ったり、困難にぶつかったりしたとき、考えに自信が持てなくなったときなど、さまざまなときにフロムの本を手に取っては、指針にしたり、自分の気持ちを確かめたり、気持ちを慰めたりしてきました。

いずれの著書もとても興味深くて大好きです。
が、おもしろいことに、そのときの自分の状況や気分、社会情勢などによって、“しっくりくる”本は変わります。

最近、「しっくりくるなぁ」と思っているのは『希望の革命』(紀伊国屋書店)です。

『希望の革命』の出版当時は

そのアメリカ版の初版は、1968年に書かれました。

当時のアメリカでは、泥沼化するベトナム戦争に反対する声が高まっていました。そしてちょうど、反戦を唱え、アメリカの政策の変換を求める人々の支持を集めて、ベトナム介入政策を批判した教授で、反戦活動の指導者でもあるユージーン・マッカーシー(Wiki pedia)が大統領指名選挙に名乗りをあげたときでもありました。

フロムが望んだ「人間主義と希望が復活する社会」

フロムは、同書の「はしがき」で「私たちは今、分かれ道に立っている」として、その先に延びるふたつの道について次のように述べています。

「1本の道はーー水爆戦争による破滅とまではゆかないとしてもーー完全に機械化され、人間が機械の中の無力な歯車になってしまう社会に通じている。もう一本の道は人間主義と希望の復活にーー技術を人間の幸福に奉仕せしめる社会にーー通じている」

言うまでも無く、フロムが望んだのはマッカーシーが大統領となり、「人間主義と希望が復活する社会」でした。

しかし、現実はそうはなりませんでした。その後、アメリカ国民が選んだのは前者でした。
あれから40年以上が経過した今となっては、マッカーシーは敗れ、原子力を推進し、人間の幸福を技術(経済利益)に差し出すようせまる世界になってしまったことは、すでに歴史が証明するところです。(続く…

このシリーズの最初の記事へ

フロムがかつて『希望の革命』で書いたのと同様、まさに今、日本は分かれ道に立っています。

東日本大震災という大きな悲劇に見舞われ、多くの命が奪われ、建物や地域が崩壊しました。そしてつい最近、政府が「約7万人」としてきたこの震災の避難者が、実は33万にんだったという報告も出されました(東日本大震災:避難者33万人に…仮設入居者など合算)。

こうした現実を前にして、いったいこれから「何を大切にし、何を目指して、どんな社会をつくっていくのか」が問われています。

それは、被災地やその復旧に関してだけの話ではありません。日本全体として、「いったいどんな国をつくっていくのか」を考え直さなければなりません。

震災後の“ほころび”

何しろ私たちは、震災後、国の施策や姿勢、今まで日本という国が選び取ってきた道筋などについて、いくつもの“ほころび”を目にしました。

その象徴と言えるのが原発です。

事故後、東京電力や原発メーカー、そして国が企業利益を重視するあまり、いかに安全対策を怠ってきたか、嘘をつき続けてきたがが、明らかになりました。
嘘を嘘で塗り固めるために、タウンミーティングでは“やらせ”を行い、「原発は安全でクリーン」というパンフレットや教材をおとなから子どもにまでばらまき、反対意見を封じ込めるために国からの交付金だけでは飽きたらず、原発設置県や自治体に対して、電力会社が多額の寄付をしてきていたことも分かってきました。

全国で最も原発の多い福井県には、匿名の大口寄付が2010年度までに少なくとも計502億円寄せられおり、そのうち約3割の150億円は、同県内に原発をもつ関西電力など電力事業者からということです。さらに、自治体関係者は「電力事業者以外に大口寄付はほぼない」と話しているので、その他の寄付も電力業界からの可能性が高いそうです
原発地元に匿名寄付500億円 福井、大半は電力業界か)。(続く…