『希望の革命』(2/9)
『愛するということ』(紀伊國屋書店)に出会って以来、邦訳されているフロムの本は、すべて読みました。
その後も、人生の節目、迷ったり、困難にぶつかったりしたとき、考えに自信が持てなくなったときなど、さまざまなときにフロムの本を手に取っては、指針にしたり、自分の気持ちを確かめたり、気持ちを慰めたりしてきました。
いずれの著書もとても興味深くて大好きです。
が、おもしろいことに、そのときの自分の状況や気分、社会情勢などによって、“しっくりくる”本は変わります。
最近、「しっくりくるなぁ」と思っているのは『希望の革命』(紀伊国屋書店)です。
『希望の革命』の出版当時は
そのアメリカ版の初版は、1968年に書かれました。
当時のアメリカでは、泥沼化するベトナム戦争に反対する声が高まっていました。そしてちょうど、反戦を唱え、アメリカの政策の変換を求める人々の支持を集めて、ベトナム介入政策を批判した教授で、反戦活動の指導者でもあるユージーン・マッカーシー(Wiki pedia)が大統領指名選挙に名乗りをあげたときでもありました。
フロムが望んだ「人間主義と希望が復活する社会」
フロムは、同書の「はしがき」で「私たちは今、分かれ道に立っている」として、その先に延びるふたつの道について次のように述べています。
「1本の道はーー水爆戦争による破滅とまではゆかないとしてもーー完全に機械化され、人間が機械の中の無力な歯車になってしまう社会に通じている。もう一本の道は人間主義と希望の復活にーー技術を人間の幸福に奉仕せしめる社会にーー通じている」
言うまでも無く、フロムが望んだのはマッカーシーが大統領となり、「人間主義と希望が復活する社会」でした。
しかし、現実はそうはなりませんでした。その後、アメリカ国民が選んだのは前者でした。
あれから40年以上が経過した今となっては、マッカーシーは敗れ、原子力を推進し、人間の幸福を技術(経済利益)に差し出すようせまる世界になってしまったことは、すでに歴史が証明するところです。(続く…)