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「観光コースでない沖縄」ツアー

image071018.jpg 思えば私が、沖縄という土地を訪れたきっかけは、高文研という出版社が行なっている「観光コースでない沖縄」という沖縄戦と沖縄の今を知るツアーに参加したことでした。

ツアーでは、ひめゆりの塔や摩文仁の丘など、一般的な戦跡だけでなく、ガマ(沖縄戦のときに住民達が避難した自然の洞窟)に入り、今も散らばる遺品や遺骨と体面したり、米軍基地や日本の「思いやり予算」で建設・運営されている米兵の宿舎なども見たりもしました。

夜は「子どもの声がうるさい」と日本兵に言われ、自らの手で子どもを殺めるしかなかった母親の苦悩、銃剣とブルドーザーで農地を取り上げられた農民の嘆き。今も続く、米軍による暴行事件や基地が近いために起こる事故の報告など、当事者の方々からさまざまなお話を聞きました。

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こうした沖縄の現実から目をそらし、日本における米軍基地の70%を押しつけている私たち本土の人間の残酷さをまざまざと感じさせるツアーでした。

そして、そんな過酷な歴史と背景を知ったからこそ、それでも明るく前向きに生きようとする沖縄の人たちと、それを支える沖縄の自然に心惹かれました。過酷な現実をきちんと見つめながら「ひとりひとりが夢をかなえようとしている島」に魅力を感じたのです。

沖縄だけは「ジャケ買い」せずに

本来は内容が勝負のはずの本やお菓子までもが「ジャケ買い」されているこのごろ。沖縄のことだけは「ジャケ買い」したくないものです。
ここのところ、もっぱら心と体を休めるために沖縄を旅行している私ですが、旅から帰るたびに、かつて読んだ沖縄関連の本を取り出しては読み返したりしています。

沖縄の歴史を知りたいと思われる方は、『観光コースでない沖縄—戦跡・基地・産業・文化』(高文研)や『だれも沖縄を知らない 27の島の物語』(筑摩書房)などを手にとってみてください。
リゾートアイランドとは違う沖縄の顔を知ると同時に、なぜ沖縄の人たちが教科書の記述にあれほどまでこだわるのかが、きっと分かるはずです。

暴力の連鎖が止まりません。
9月には、秋葉原事件(「絶望と自殺」参照)の話を書きましたが、それからごくわずかな期間に、大阪市の個室ビデオ店放火事件、元厚生事務次官家族の殺害事件など、直接的には関わりのない他者を破壊しようとする事件が相次いでいます。

子どもの暴力も増加

子どもたちの暴力も増加傾向です。
今月20日に文部科学省が発表した問題行動調査によると、小学校から高校までのすべてで暴力行為が過去最多となり、5万件を超えました。

調査対象を国立・私立まで広げたことや、報告すべき暴力の定義を広げたことも増加の
一因とされていますが、前年に比べて18%も増えています。
中でも小学校での増加が著しく、なんと37%の増加です。

なぜ、こんな暴力社会になってしまったのでしょうか。

その意味を考える前に、「どういう社会をつくっていくのか」に対して、大きな責任を持つはずの政治家の話から始めたいと思います。

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首相の失言

私たちが投票によって政治家を選び、政府に権力を与え、税金を納めるのは、「だれもが安心して幸せに生きていける社会をつくる」ためです。

ところが最近の政治家の方々の話を聞いていると、まったく意味をはき違えているように思えます。

たとえば、“失言”続きの麻生首相。
先日の全国知事会議で「医師には社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言して謝罪したばかりだというのに、20日に開かれた政府の経済財政諮問会議でもまたまた問題発言をしてしまいました。

自らが出席した同窓会の話を引き合いに出しながら、「67歳、68歳で同窓会にゆくとよぼよぼしている。医者にやたらかかっている者がいる」、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」などと言っていたことが、議事要旨の公開から明らかになったのです。

与謝野経済財政相が社会保障費の抑制や効率化の重要性を指摘したのを受けてのことでした。

さらに、「彼ら(同窓生)は、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているから」とも言ったとか。

つまり「自分は頑張って健康を維持している。それなのにただ飲んだり、食べたり“のんべんだらりと”過ごし、何の努力もしていない連中のために使う金などない」ということなのでしょうか。(続く…

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本来、政治家の仕事は、“人の傷み”をくみ取り、それを政治の中に生かすことであるはずです。

それにもかかわらず、働けない人、健康でない人、「たらたら飲んで、食べて、何もしない」(麻生首相)でしか生きられない人の苦しみを理解しようとせず、なぜ彼らがそうした中で暮らしているのかを検証しようともしないまま、「健康維持も個人の努力」とばかりに「自分は努力をし、たくさん税金も払っている。それを努力しない人間のために使いたくない」などと言うなんて、政治家としての資質を問われるべき発言です。

戦前に大量の朝鮮人労働者を強制連行し、ただ同然で働かせて利益を上げた麻生炭鉱を土台に発展し、九州屈指の企業グループの御曹司として生まれ育った首相(マスコミが書かない麻生財閥の深い闇)。その「特殊な生い立ちが成せる技なのか」などと、うがった見方もしたくなってしまいます。

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もう一人の気になる政治家

同様に、発言からその生い立ちが気になる政治家がもう一人います。大阪府の橋下知事です。

タレント弁護士として有名だった橋下知事は「子どもが笑う大阪」を掲げて府知事に当選。最近は、もっぱら教育問題に取り組んでいます。

たとえば約340億円の教育費を削りました(前年度比)。おかげで障がいのある子などへの「支援教育の充実」は約5億円、不登校など「課題を持つ子どもへの支援」は約2億円減、私学助成金は小中学校25%、高校10%削減です。

脅迫してテスト結果を開示

そうやって子どもが育つための土壌を壊す一方で、なぜか全国学力テストの点数を上げるための対策には熱心です。

この秋に公表された全国学力テスト(「学力テスト不正問題」参照)の結果が、二年連続で全国平均を大きく下回り、低迷していたことの理由を「自治体ごとの点数が公表されていないから頑張ろうとしない」と断じ、教育委員会に迫ったことは有名です。
ラジオなどで「クソ教育委員会」などの汚い言葉で教育委員会を批判したことは記憶にも新しいでしょう。

教育委員会を「クソ」呼ばわりしたことについては、早々に「オカン(母親)に怒られた」と反省したものの、その後も「公表しないなら府教委は解散」「府は義務教育から引く」(『朝日新聞』九月七日)など、本来知事権限にはない、できもしないことを並べては府教委を恫喝。市町村教委に対しては「公表するかしないかで予算に差を付ける」などと脅しました。
その結果、大阪府のほとんどの自治体がテスト結果を開示しました。

うそぶく知事

こうした経緯を棚に上げて開示にあたっての記者会見で知事は、こんなふうにうそぶいたのです。

「僕が何か強要したとかいうことではなくて、市町村教委の自主的な判断で公表していただいた。僕は市町村教委に対して具体的な直接的な人事権も予算権も持っていません。政治家として出来る範囲のことを精一杯やっただけ」
(詳しくは大阪府のホームページ「2008年10月16日知事定例会見」参照)

また、同じ記者会見の場で、上記のようなやり方について「教育現場の信頼を損ねたのではないか。もう少し違うやり方があったのではないか」という記者の質問に対しては、
「まったくないですね。(略)自分自身としてはほかの方法というものは思いつきません」とも答えました。(続く…

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この橋下知事。自らが大幅にカットした私学助成金や、進む高校統廃合を見直して欲しいという高校生たち(「大阪の高校生に笑顔をくださいの会」)との意見交換会(10月23日)では、こんな発言もしています。

高校生:いじめを受け不登校になり、公立を諦めた。私学助成を削らないで欲しい。
知事:(私立は)あなたが選んだのではないか。いいものを選べば値段がかかる。
高校生:非常勤補助員の先生の職を奪わないで。
知事:世の中でどれだけ会社がつぶれて失業者が出ているか分かっているか?
高校生:税金は教育や医療、福祉に使って。
知事:あなたが政治家になってやればいい。
高校生:学費がなくて夢をあきらめる子もいる。
知事:夢と希望を持って、努力すれば今からでもできる。
高校生:倒れた子はどうなるのか?
知事:最後には生活保護がある。受けられないのは申請の仕方が悪い。(自己責任が嫌なら)国を変えるか、日本から出るしかない。

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決死の思いで不登校やいじめ、親のリストラなど、辛い体験を語る高校生に対して、知事はたたみかけるように矢継ぎ早に質問し、中には涙ぐむ子もいました。その様子は、関西のニュース番組などでも放映されました。
意見交換会の内容をもっと詳しく知りたい方は大阪教職員組合のホームページをご覧ください。

思いを伝えるための暴力

こうした政治家たちの発言を見る限り、彼らには「“人の傷み”をくみ取りとろう」という姿勢はまったく見られないと言っていいと思います。
それどころか、弱い立場にある者を追い詰め、「お前の不遇は、自身の努力が足りないからだ」と自己責任を迫っています。

社会のおかしさを一生懸命分かってもらおうと説明しても、「政治家(権力者)になって世の中を変えろ」だの、「嫌なら日本から出て行け」などと言われたら、立場の弱い人間、何の権限も持たない子どもは、いったいどうしたらいいのでしょうか。

もちろん、暴力を肯定するつもりはありません。でも、何を言っても潰されてしまう弱い立場の者が、その思いを伝えようとしたら、「暴力に訴える以外に道はない」と思い詰めたとしても、何ら不思議ではないのではないでしょうか?

少なくとも私には、その気持ちが分かるような気がします。

「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかない」

「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかないじゃないか」

自らの体験から発されたその言葉は、私の胸をえぐりました。
高野雅夫さんという、全国に夜間中学をつくる活動をしている方の講演で聞いたセリフでした。今から15年ほど前のことです。

高野さんは、戦争孤児として闇市を生き抜いた方でした。バタ屋のお爺さんと出逢ったことがきっかけで文字を知り、その意味を、その大切さを実感し、いくつになっても学ぶ機会を提供する夜間中学校をつくる運動に取り組むようになったそうです。(続く…

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詳しくは前回ご紹介した本を読んでいただくとして、少しだけ説明させていただきます。

文字に出会うまでの高野さんの半生は、「壮絶」のひと言につきます。

高野さんは、満州で父と死に別れ、引き上げの途中で母とはぐれ、泣き叫ぶ赤ん坊を自ら殺す母親の姿を見ながら日本に戻りました。

日本に着いてからは、元将校を名乗る男に物乞いの道具として利用され、文句を言ったところ殴られて捨てられ、次に拾われた農家ではほとんど飲まず食わずでこき使われ、嫌になって飛び出しました。わずか10歳の頃です。

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腹ぺこでうろついていたとき、大邸宅の芝生の庭で犬が肉を食べている姿を見て、無性に腹が立ち、石を投げたら警察につかまったのですが、自分の名前も書けなかった高野さんは「精神異常者」と言われ、放免されたそうです。
その頃の高野さんは、いつもジャックナイフを懐に入れ、ケンカやカツアゲを繰り返し、暴力によって、自分で自分の身を守っていました。

前回書いた「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかないじゃないか」というセリフは、当時の自分を振り返った高野さんが、自らの行動を述懐しての言葉です。

語る言葉を持たない、書く文字を持たない、聞いてくれる人を持たない、人として認めてもらえない高野さんにとって、「自分の思い」を伝えるには暴力に訴えるしかなかったのです。

高校生によるプレゼンテーション

高野さんのその言葉を思い出したのは、それから5年後のことです。ひとりの高校生が、子どもの権利条約に基づく国連「子どもの権利委員会」委員の人たちへのプレゼンテーション(1998年)で、こんなふうに言ったのです。

私たち子どもは「子どもだから」と話合う場を用意されず、学校では言うように教えられても言う場を与えられず、もし意見を言っても聞いてもらえません。
また、意見を言わなくても生きていける、物質的には裕福な社会にいます。逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時にも思いもよらぬ不当な扱いを受けることもあります。
そうしているうちに、多くの子どもたちは意見を言うのを恐れ、また言っても変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのを止めていきます。

本人も言うとおり、世界的に見れば日本は豊かな国です。今から10年前は、今よりもずっと「中流思考」が強く、「日本は豊かな国だ」という意識は、もっと強かったように思います。
そして、高校生はそんな日本という国に暮らす恩恵を受け、文字も、言葉も、学校教育も、手に入れていました。
ところが、「たとえ言葉があっても、『言う場』が無く、『聞いてもらえる場』も無い」と訴えたのです。

酒鬼薔薇事件の犯行声明文

その前年(1997年)の夏には、酒鬼薔薇事件と呼ばれる14歳の少年による小学生を殺害し、その頭部を中学校の校門前に置くという衝撃的な事件が起きていました。
後に少年Aと呼ばれた彼が神戸新聞に送った犯行声明文にもまた、「文字を知っていても、語る場も、認めてくれる人もいない」悲しみと怒りが綴られていました。
以下は犯行声明文の抜粋です。

しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行為はとらないであろう
やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。

このA少年が秋葉原事件の容疑者と同い年であることは、よく知られています。(続く…

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子どもの権利条約に基づく第一回目の日本政府報告審査(1998年)で、国連「子どもの権利委員会」が「成長発達のすべての場で、日本の子どもたちは競争(管理)と暴力、プライバシーの侵害にさらされ、意見表明を奪われ、その結果、発達が歪められている」と勧告してから10年。

当時、国連「子どもの権利委員会」が、子ども(若者)と呼んだ人々の中には、すでに30歳以上となった人もいます。
そうした世代の多くが、前回のブログで書いたように、透明人間のように扱われ、言葉を奪われ、自らを殺して生きざるを得なかったと考えるのは考えすぎでしょうか?

でも、私は確かに聞いたのです。多くの子どもたちの「酒鬼薔薇化(少年A)の気持ちが分かる」というセリフを。
たとえばその一人で、当時、少年Aと同じ年だった女子高校生は、こんなふうに言いました。

こうやってずーっと競争させられて、まわりを見ながら生きて、そうしたら「ほっとできるのなんて、定年退職してからじゃん」って思ったら、なんか嫌になっちゃったよ。社会が変わるっていうか、変えられることなんかあるのかな?

彼女の後ろには、おとな(社会)への期待を捨て、思いを飲み込み、自らの不遇を「自分の努力が足りないせい」としてあきらめようとする無数の子どもたちの姿が見える気がしました。

===
ほぼ3人にひとりの子どもが「孤独」

それから10年もの間、私たちの社会は、こうした子どもたちを「努力をしない甘えた子ども」として、毅然とした態度で、その尻を叩いてきました。
あきらめの境地に至るしかなかった子どもたちの無念さに共感するのではなく、それを自らの責任として、納得するように仕向けてきました。
「しつけ」「指導」「教育」そんな言葉を並べて、子どもの思いや願いを潰し、今の社会に適応するよう迫ってきました。

その結果、「だれにも分かってもらえない」という感覚を子どもたちの中に植え付け、孤独の中で生きる価値さえ分からなくなった人間をたくさん生んでしまいました。

2007年に国連児童基金(ユニセフ)が発表した、経済協力開発機構(OECD)加盟国を対象に実施した子どもの「幸福度」に関する調査結果によると、「自分は孤独だと感じる」率が回答のあった24カ国中、日本はトップ。ほぼ3人にひとりの子ども(対象は15歳)が孤独を感じている計算になります(『毎日新聞』11月17日)。

それでも多くは、「仕方がない」「自分が悪い」と、文句も言わず、言葉を飲み込み、今の境遇に甘んじて生きようと頑張ります。

けれども中には、そうしたところに自分を追い込んだおとな(社会)に、復讐を企てようという者も出てきます。

そうして言葉を奪われた人間が「こんな人生は嫌だ」「社会は変わるべきだ」と、その人生をかけて、今できる精一杯の方法で起こした訴えこそが、今、多発している暴力なのではないでしょうか。

増加続ける無差別殺傷事件

2008年中に(11月末まで)に全国で発生した通り魔殺人事件(未遂を含む)は13件で、死傷者は42人。統計を取り始めた1993年以来最悪の数字となっています。刑法犯全体が減少し続けている中で、「だれでも良かった」という殺傷事件だけが増加していることになります(『東京新聞』12月12日)。

こうした暴力を「本人の問題」「規範意識の低下」と位置づけ、厳罰に処して、社会から抹殺しても、暴力の連鎖は止まりません。
子どもを高見から見下ろし、「お前が悪い」「もっと努力しろ」と、“叱咤激励”しても子どもたちの孤独は埋まりません。

今、必要なのは、孤独に喘ぐ子どもの思い(もちろん身体表現や欲求なども含みます)をきちんと受け止め、「暴力のかたちを取らなくとも、きちんと聞いてもらえるのだ」という実感を持てるような関わりをしていくことです。

同じ地平に立って

同じ地平に立たなければ、同じ風景は見えません。

当事者の辛さは本人にしか分からないことは明らかですが、せめてその隣に寄り添い、少しでもその辛さを共有できる人間でありたいと思っています。
そうした小さな力が、だれもが暴力など使わなくても幸せに生きていける社会の第一歩になるはずですから・・・。

今年一年、おつきあいいただきどうもありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。
2009年が多くの方にとってよい年となりますように。

2008年12月31日

195.gif この相談室のブログに書いていた「地域猫」の話が、本日(7月8日)に出版されました。タイトルは『迷子のミーちゃんーー地域猫と商店街再生のものがたり』(扶桑社)です。

考えてもいなかった展開に、ただただ驚くばかりです。
ブログにミーちゃんの話を書いたとき、私が願っていこと。それは、「ミーちゃんが見つかりますように」ーーたったそれだけでした。

本にも書かせていただきましたが、そんな小さな“つぶやき”に過ぎない文章が、まさか本になるとは、想像だにしていなかったのです。


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あらすじ

ミーちゃんは、再開発が進んで寂れてしまった商店街に住み着いていた三毛猫の女のコです。
もう10年以上、商店街で暮らし、まるでポストや電柱のように風景に溶け込んでいました。みんなミーちゃんがいることは「当たり前」になっていたのです。

ところがある日、ミーちゃんは行方不明になってしまいました。本が出版された今も、まだ行方は知れません。

ミーちゃんがいなくなってから、通勤通学途中で毎日ミーちゃんにゴハンをあげていた人たちや、商店街の料理屋さん、金物屋さん、美容室の人など、ミーちゃんを可愛がっていたみんなが総出でミーちゃんを探し始めます。

そして「ミーちゃん、見つかった?」を合い言葉に、商店街には立ち話をしたりお互いお店の前を掃除しあうような関係がつくられ、商店街を通り過ぎていた人々の間に、人の輪が広がっていきました。

いなくなって気付いたこと

ミーちゃんがいなくなってはじめてみんなは気付いたのです。

ミーちゃんが「ただそこにいる」ことで、たくさんの人が励まされ、癒され、助けられ、生きるエネルギーをもらっていたことを。
ミーちゃんを通して、みんなが損得を忘れて飾らない付き合いができ、助け合えていたことを。(続く…

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そう、「ただ、そこにいる」ことで、ミーちゃんは商店街の人々に幸せを与えてくれていました。
そして、「人は一人では生きていけない」という大切なことを教えてくれたのです。

小さく、弱く、人に頼らなければ生きていけないミーちゃんに、大きく、強く、“自立して”いるかに見える人間たちが心の豊かさをもらっていたこと。
——それは、私にとって「目からウロコ」の大きな発見でした。

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人に頼る存在はあってはいけない?

私は日ごろ、NGOの活動などを通して、おとなに世話をしてもらなければ生きられない子どもたちと会います。そして、子どもたちがいろいろな意味でおとなの庇護を必要とする「子どもだから」という、たったそれだけの理由で、軽んじられたり、理不尽な扱いを受けたり、必要以上に身近なおとなを支えるよう強要されることを目の当たりにすることもあります。

また、カウンセリングの場では、「自分は一人では生きていけないダメな人間だ」と、嘆く方にも多くお会いします。
そうした方々は、社会や親の期待に応えられる「きちんと自立した人間」であろうとして、苦しんでいます。

たとえば、アフリカの子どもたちのように餓えて苦しんだこともなく、スモーキーマウンテンでごみ拾いをするような生活を強いられたわけでもないのに、“人並みの生き方”ができなかったり、人に頼らずに生きることができなかったりする自分を責め、自らの情けなさをかみしめています。

「子どもらしい」ことはタブー

90年代後半になり、社会がますます「自己責任の取れる自立した人間」を求めるようになると、そうした傾向はますます強まりました。

たとえばそれまで、人に甘えたり、頼ったりすることが当たり前とされてきた小さな子どもでさえもそうです。長く、子育て支援にかかわっている友人が、こんなふうに言っていました。

「最近の親は、子どもよりも周りの目を気にしている。少しみんなと同じ行動が取れなかったり、乱暴に振舞ったりするだけで引きずるように子どもを連れて帰ってしまう親もいる。その背景には、ちょっと前なら『子どもらしい』と、微笑ましく受け入れられていた言動でさえ、『きちんとしつけができていない』と思われがちな世の中の雰囲気があると思う」(続く…

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幼い子どもでさえ「子どもらしく」振る舞うことが否定されるのですから、大のおとなが甘えることを許されないのはまったくもって当然のことです。

今まで以上に、誰かに頼ったり、弱みを見せたりすることは「いけないこと」とされ、何でも自分ひとりでできるようになること、そのために努力することが「いいこと」と考えられるようになりました。

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弱さを見せることは負け

そうした社会・・・競争によって利益を奪い合う社会、弱さを否定してひたすら前身すすることを求められる社会では、弱さを見せることは負けを意味します。

だから、だれもが「たったひとりでも生きられる完璧な自分であろう」として汲々としています。

「完璧であろう」とするから、困ったことがあっても助けを求められない。

自分ひとりではどうにもならないときに、他の人の力をきちんと利用できない。

とにかく“自立”した人間であろうと頑張るから、人に頼ることは「依存」だと考える。

弱みを隠して仮面をかぶり、何でもひとりでやろうとするからだれともつながれない。

「だれかに頼りたい」と思う自分を「情けない」と責める。

そんなふうに考えて頑張り続け、苦しんでいるクライアントさんはとても多いように思います。

でも、自分を叱咤激励しながら「完璧を目指そう」としても、無理は続きません。

よしんば無理に頑張り続けることが出来たとしても、その“ゆがみ”は、心や体、人間関係など、さまざまなところに現れます。

おとなにも安全基地が必要

私たちは、自分をそのままで受け入れてくれる他者ーー金持ちだとか、能力があるとか、容姿が美しいとかなどのいっさいの条件無しに、自らを認めてくれる他者ーーとの安心できるつながりがあって始めて、「自分はかけがえのない存在だ」という確信を手に入れることができ、けして楽なことばかりではない人生を生き抜いていくことができます。

子どもであれば、たとえ何もできない存在であっても「あなたが世界一愛おしい」と言ってくれ、安心して身を委ねることができるおとな(安全基地)が必要です。

子どもは安全基地となるおとなとの関係性を通して、その対象と同一化し、たとえそのおとなと離れていても、いつでも一緒にいて「守ってもらえている」という感覚を育てることができます。

おとなになれば、子どものように一方的にだれか頼るということは難しくなりますが、一切の条件無しに、お互いに頼り合い、支え合い、甘え合うことができる他者ーーお互いに安全基地となれる他者ーーとの関係性を通して、安全感や安心感を持って生きて行くことができます。(続く…

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そんな「安全基地が欲しい」というあたりまえのこと・・・たとえば、疲れたときに心と体を休め、傷ついたときに慰めてもらい、困ったときに助けてもらうが否定される社会の中で、私たちはいつも臨戦態勢で生きることを強いられています。

だから、とてもではないけれども自らの素顔を他人にさらすことなどできません。

競争によって利益を奪い合うことを強いられる世の中で、どうにかやっていくことに汲々としている私たちにとって、本当はちっぽけでしかない自分の姿を見せることは、かなり勇気のいることです。

生き延びるためになるべく多くのものを手に入れ、そんな自分を支えるだけでせいいっぱい。
だから、だれかに何かを「与える」ことも苦手です。

ちっぽけな自分をさらけ出し、「与える」ことによってこそ、他者とのつながりが生まれ、その相手が計り知れないほどの豊かなものを返してくれるということ。そうした関係性こそが、ひとりで生きていくことはできない私たちを孤独の淵から救い出してくれるのだということが、なかなか信じられません。

それどころか、「与える」対象のことを「ただの厄介者」のように思ってしまうこともよくあります。

「小さな存在」が持つ力

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そんな私たちに、ミーちゃんは「人生を幸せに生きるためには何が必要なのか」を教えてくれました。

「奪う」よりも「与える」方が豊に生きられること、だれかを「疑う」よりも「信じる」方が安全に生きられること、素顔のままで他者と向き合うことの大切さを思い出させてくれました。

そして、効率的で合理的、きれいな街よりも、飼い主のいない犬や猫が安心して暮らせるような“隙間”や、飾らない人付き合いのある街の方がずっと住みやすいことも教えてくれました。

ミーちゃんは、電柱やポストのように「ただそこにいる」ことで、地域の人々をつなげ、人の輪を広げてくれました。
今の社会で破綻せずに生きていくために世間で通用する“ちゃんとした人間”であろうと頑張る私たちに、ありのままの自分に戻るチャンスをくれました。そうやって「人は損得を忘れてだれかとつながっていけるのだ」という可能性を示してくれたのです。

そう、「世話をされなければ生きられない存在」であるミーちゃんは、私たち人間がだれかと安心できる関係性を持って生きていくためには小さな存在が必要だということ。小さな存在には、私たちを孤独の中から救い出してくれる力があることを証明してくれたのです!(続く…