これは本当にすごいことです!
何度もこのブログでも書きましたが、「何でも自分でできる『自立した人間』」などというものは、今の社会が創り出したフィクションに過ぎません。
私たち人間は、みな「だれかとつながりたい」という欲求を持って生まれてきます。
赤ちゃんが、たとえお腹が空いていなくても「側にいて欲しい!」と、温もりを求めて泣くことを思い出してください。
特定のだれか、自分に安心感・安全間をくれるだれかと「つながっている」という感覚は、一人生まれ、死んでいく私たち人間が、人間存在として抱えている根源的な孤独や不安から解放されるためになくてはならないものです。
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感情を揺さぶるミーちゃん
そんな「人間らしさ」を否定しようという社会の中で、ミーちゃんは「弱い存在」であることで、私たちの心に眠る「人間らしい」感情を呼び起こしました。
「放っておけない」
「かわいそう」
「なついてくれてかわいい」
そんな感情をわき起こさせ、私たちが生まれながらに持っている「ひとりぼっちは寂しいよね」という共感能力を引き出し、「何もしてあげられなくてごめんね」という罪障感を喚起し、「何かしてあげたい」という「与える」素晴らしさを思い出させてくれたのです。
強くてポジティブで、人を蹴落としてでも、上を目指して邁進できる「自立した人間」が理想とされる社会。弱音を吐くことが「負け」につながるような社会。
「人間らしい」ものよりも、物質的なものが重視され、みんなが疲弊し、感情にふたをしなければ生きていけないような社会。
そんな今の社会では、ミーちゃんのような「弱い存在」は、なくてはならないものなのです。
「自立した人間」は本当に理想?
私たちは本当に、すべてをお金で解決し、ひとりで何でもできる「自立した人間」として生きていきたいでしょうか?
だれにも頼らず、仮面をかぶって、競争に勝ち残り、ひとりぼっちで豊かな生活を送りたいでしょうか?
ミーちゃんのような猫が生きられない、すべてが合理的できれいに整備された街に住みたいでしょうか?
人とのつながりを断ち、監視カメラやパトロールに守られ、ルールでがちがちに縛られた社会に暮らしたいでしょうか?
私たちが必要とする社会とは
きっとそうではないでしょう。
私たちが本当に必要としているのは、どんな小さな存在も安心して生きられる社会です。たとえ経済的な利益は生まなくても「あなたはかけがえのない存在だ」と言ってくれる人が、傍らにいる人生です。
けしてひとりぼっちでは生きられない私たちが暮らしたいのは、そこかしこで飼い主のいない猫がまどろんでいるような街。さまざまなものを許容する余裕があり、お互いに信頼できる関係性がある街。
ミーちゃんのような存在が、人間を信頼しながら、共に生きていくことができる街なのです。
そんないくつも大切なことを教えてくれたミーちゃんが、一日も早く帰ってきますように!
情報は今も募集中です。