生命力の種――新年のあいさつに代えて(4/4)
そう、あくまでも「取材や執筆に活かせる知識を得たい」というのが、心理を学ぶ理由だったのです。
ところが大学院の授業の一環として、臨床実習が始まると、その気持ちに変わっていきました。
まず、それまで取材を通して経験的に感じていた「『ありのままの自分を受け入れてくれる居場所(人間関係)がどこにもない』ということこそ、人が創造的に生きられない理由に違いない」との思いがどんどん膨らんでいきました。
それと同時に、クライエント(患者)さんとお会いすることで、新しい驚きや喜びを感じるようになったのです。
その喜びはどこから?
でも、不思議です。辛い体験をお聞きすることが、なぜ喜びにつながるのでしょうか?
生きる意欲を持てない方、ほとんど寝たきりで過ごしている方、空気を吸うのも「申し訳ない」と言うほど、自分に価値を感じられない方、世の“常識”から見れば、逸脱行為にしか見えない行為を繰り返す方・・・。
カウンセリングをさせていただいていると、その背景にある怒りやねたみ、絶望や失望などの激しい感情に飲みこれそうになることも、しばしばあります。
長い間、
「それでも、そういう方々と向き合うことに感じる喜びとはいったいなんなのか?」
と、考えても分かりませんでした。
人間の可能性を感じる
その問いに答えをくれたのが、このブログの冒頭で紹介した「じょうろと種」のエピソードをお聞きしたときでした。
私が臨床の仕事に心惹かれる理由。それは、「人間の持つ可能性をダイレクトに感じることができるからなのだ」と思い至ったのです。
たとえ、今は嵐の中で身をすくめていても、冷たい空気に囲まれて芽吹くことができなくても、きれいな花を咲かせられなくても、「実は、本来持っている生命力がちょっとかげってしまっているだけ。だれもが心の奥底では『幸せになりたい』と願い、それを実現する力を持っている」と、実感できるからなのです。
長い長い冬の終わり、極寒の地の小春日和、何にも負けない力強さ・・・。厳しい中に垣間見える生命力にハッとさせられる瞬間が、臨床の現場には確かにあります。
そんなすばらしい瞬間の立会人として、輝く「生命力の種」に触れることができた喜びを1人でも多くのクライエントさんに返して行くことができる。2011年は、そんな年にしたいと思っています。
2月も終わろうとしていますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。