『希望の革命』(4/9)
もはや、「原発は安全で低コスト、そして環境に優しい」とは、とうてい思えません。
震災から9ヶ月がたとうというのに、福島第一原発では「安全」からはほど遠い状況が続いています。
復旧や廃炉に向けては、少なくとも30年以上はかかるという見通しです(『朝日新聞』11月12日)。
また、フランスの政府関連機関である放射線防護原子力安全研究所(IRSN)は、流出した放射性物質の量は東京電力が試算し公表している量の20倍相当になるとの報告を発表しています(福島第一原発事故-海洋放射能汚染は東京電力試算の20倍相当)。
見せかけの安全と低コスト
原発が「安全で低コストに見えた」のは、事故や放射線の危険性をまったく度外視していたからです。
事故が起きたり、廃炉にしたりする場合の費用や何かあったときの補償などを、まったく組み込まずに、つくり続けてが起きたからです。
「環境に優しい」というのは、たんに「発電の際、二酸化炭素を出さない」というだけの話にすぎません。
今まで私たちの社会は、そんな原発を受け入れ、特別な予算までつけて増設することを許してきました。そうして、事故の後でさえも、「原発は効率がよく、クリーンなエネルギー」と言ってはばからない経済界や大企業の利益に与してきました。
フロムの言葉を借りるなら、まさに原子力(水爆戦争)による破滅への道を選び、「技術を人間の幸福に奉仕させる社会」ではなく、「人間を技術(経済)の発展に奉仕させる」社会をつくってきたのです。
暗雲垂れ込める分かれ道
さて、分かれ道です。
これから先、はたして日本は人間を幸せにする社会を選び取ることができるのでしょうか。
残念ながら、昨今の野田首相の言動を見ていると、暗雲が垂れ込めていることは間違いなさそうです。
野田首相率いる政府は、この期に及んで、なおも「原子力ビジネスを継続する」と断言し、新興国を中心に原発を輸出するという姿勢を崩しません。
そんな日本政府の態度を「アメリカへの忠誠の証し」(『東京新聞』2011年9月27日ほか)と批判する声もあります。
アメリカの原子力関連企業は、日本の原発メーカーから莫大なライセンス料を得ており、さらにはアメリカ企業は日本のメーカーを通して技術を維持していると言うのです。
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