真夏の怪(5/6)

2019年5月29日

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誤解のないようにことわっておきますと、「だから、景気の動向と自殺者数はリンクしているはずだ」と言いたいわけではありません。
そのふたつがまったく無関係とは思っていませんが、ただ「景気回復」や「貧困対策」をして、失業者が減れば自殺が減るわけではないとお伝えしたかったのです。

昨年末に「『子どもの貧困』の何が問題か」でも書いたように、失業の増加や不況だけを重視して「貧困こそが問題なのだ」という視点で見てしまうと、「だから景気対策を優先させ、経済的に豊かになることが大切なのだ」というところに帰結してしまいます。

でも70年代、80年代を振り返えって見ればわかるように、世界一の経済大国であるアメリカを見れば分かるように、経済優先の社会は人間を幸せにしませんでした。

それどころか、他者とのつながりとか、家族の情緒的な結びつきとか、損得を抜きにした関係性とか、お金では得られないホッとする時間などの、人間が“人間らしく”生きることを否定することで、ひたすら富を生んできたのです。

そして、その先にあったのが「無縁社会」であり、「家族の絆の崩壊」でした。

学習塾費の補助だけでいい?

「貧困対策」にばかり目がいくと、たとえば教育格差を「貧しい家庭への学習塾費の補助で乗り切る」なんてことが、不思議に感じ無くなってしまいます。

最近、いくつかの自治体や都道府県でこうした補助金を出すというニュースを目にしました。もちろん、塾に行けないことで進学できなかったり、ひいては将来に大きな格差が馬得ることは避けなければいけません。

もちろん、今現在、こうした問題のまっただ中にいる子どもに援助をすることはとても必要なことだと思います。

でも、そこで終わってしまっては根本的な問題が残されたままです。日本の教育の最も大きな問題は、「公教育だけで、学力や進学が支えられない」ことにあるはずです。
本来であれば、「公教育を受ければ、必要な学力が付き、進学できる」ように教育の仕組み全体を変えていくことが筋のはずでしょう。

ところが、その根幹の部分にはまったく触れず、またまた問題の本質がうまくすり替えられ、対処療法的なやり方のみがもてはやされます。

高校無償化は何を救う

民主党の目玉施策のひとつに数えられる「高校無償化」も、この対処療法の域を出ません。いや、もしかしたら「療法」とさえ呼べないシロモノかもしれません。

ちょっと考えてみてください。高校生活にかかるのは授業料だけではないのです。入学金や給食費、大学受験のための学習塾費・・・ざっと考えても、その他膨大な費用がかかります。

それにもかかわらず、高校の授業料のみを無償化するわけですから、家庭の経済状態によって、授業料分のいわば「浮いたお金」の使い道は違ってきます。おそらく、低所得層は生活に、高所得層はさらなる高等教育に向けた資金に当てられることでしょう。

・・・ということは、今まで以上に格差の助長・固定化につながる可能性が高くなるということです。

しかも長年、民主党の教育施策のアウトラインを描いてきた鈴木寛文科学副大臣は高校無償化などの三方案をつくるに際し、「保護者の経済力によって塾に通えるか否かの差が子どもの学力格差につながっている。(中略)『すべての子どもの学習権保障。機会の平等の完全確保』を掲げる民主党のテーゼ(綱領)を実現するためのもの」(民主党ホームーページより)と発言しています。

ここから分かるのは、民主党の言う「教育の機会均等」とは「塾を含む教育の機会均等」のことだということ。

つまり民主党は「公教育全体を見直す」つもりなどさらさらなく、「塾を含む教育の機会均等」を推進する高校無償化制度を導入し、子ども手当同様、各家計に「浮いたお金」を持たせることで保護者の消費行動をうながすことこそが目的なのだと読むことはできないでしょうか。(続く…

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Posted by 木附千晶