「生命力の種」ーー新年のあいさつに代えて(1/4)
新年、あけましておめでとうございます。
このブログを始めて5年目に入りました。長年、おつきあいいただいているみなさまに、改めてお礼を申し上げたいと思います。
「お花の種」を描いた子ども
ところで、つい最近のこと。
とある研究会に参加した際に、子どものセラピーをしているあるカウンセラーさんが、その方のクライエントである、ひとりのお子さんが描いた絵について、こんな話をしてくれました。
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「まず、その子は自分が好きな花の絵を描き、次にいくつかの箱を描きました。そこで私が『箱には何が入っているの?』と尋ねると、『こっちにはじょうろ。こっちにはそのお花の種』と答えたのです」
その話を聞いて、参加者のみんなの口から、ほっとしたようなため息が漏れました。
「すごいね」
「そこまで傷を癒せたんだね」
「未来につながる力が芽生えたんだね」
・・・さまざまな場所でカウンセリングに関わっているみなさんが、思い思いにつぶやきました。
なぜ心理臨床の仕事に惹かれるのか
守秘義務がありますので、その子どもがどんな人生を生きてきたのかはここでは詳しく記すことはできません。ただひとこと、「暴力に満ちた毎日の中で、ひたすら親の愛を求めてきた子ども」と申し上げておきましょう(上記の「絵」に関する記述も事実を多少代えています)。
その生い立ちから、未来どころか今の自分自身を信じることも困難で、自分に価値を見いだせない絶望と寂しさがいつも隣りにある毎日を生きてきたと、察することができます。
そんな生き地獄のような日々を息抜き、「花を咲かせる種」を心の箱に持つことができるようになるまでに成長することは、並大抵のことではなかったでしょう。
そんな子どもが描いた花と箱、じょうろと種の絵を想像し、絵の様子を思い浮かべていると、「なぜ私が臨床の仕事にこんなにも心惹かれるのか」ーーその答えが、ふと見えた気が来ました。
いちばん最初に出会った「心理職」
実は私、長く心理だの、カウンセリングだのというものに対しては、かなり批判的な考えを持っていました。
・・・と言いますのも、このブログを長く拝読くださっている方はご存じなように、私は「生粋の心理系」の人間ではありません。
大学では社会学を学び、マスコミに就職し、ジャーナリストとして働く中で、心理の世界と巡り会いました。
そんな私が、いちばん最初に知った「心理職」の方は、児童相談所に勤務している方でした。(続く…)