感情はもううざいし要いらない(6/8)
本来、子どもの思いや願い、欲求は「そのままで」おとなに受け止めてもらえるべきものです。
おとなから見れば、たとえその内容がどんなにばかばかしくても、社会的にはとうてい認められないことであっても、まず「そうだったんだ」と身近なおとなに受け止め、きちんと応答してもらうことで、子どもは自らの存在価値や安全感を確認できます。
そんな安心できるおとなとの人間関係があってはじめて、経済的にも能力的にもおとなには及ばない子どもが、自分の人生を自分らしく、豊かに生きていくことができます。
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たとえ「同級生を殺したい」という思いでも
たとえば子どもの思いが、「いじめっこの同級生を殺したい」というような内容だったとしても、です。
子どもは、まず身近なおとなに思いをきちんと受け止めてもらうことで、「自分の辛さに共感し、思いを共有してくれた」と感じることができます。
そして「自分はひとりぼっちではない」という確信の中で、「もっと現実的でだれも傷つけることなく問題を解決する方法もあるかもしれない」という希望を持つことができます。
信頼でき、けして自分を裏切らないおとなが自分の思いにちゃんと対応し、一緒になって知恵を絞り、解決に向けて行動してくれることで「相手を殺したいほど辛い状況」を変えていくことができます。
結果として、自らの人生を狂わせてしまうような殺人という破壊的な行為におよぶことなく、もっとずっと建設的に問題を解消することができるのです。
成長発達に不可欠なおとなとの関係性
こうした身近なおとなとの関係性があることで、まだ人生を自らの力で切り開くことができない子どもであっても、自分らしく、今を豊かに生きることが可能になります。
また、「困ったときはだれかが助けてくれる」とか、「トラブルが起きても、ちゃんと解決できるんだ」という、他者との関係パターンを学び、やがてその子自身が、困っているだれかがいるときには、その辛さに共感し、手を差し伸べることができる人間ーー他者とつながることができる人間ーーへと成長していきます。
子どもが本音を隠したり、おとなの顔色を見たりすることなく、どんな欲求でも安心して出すことができるおとなとの関係性は、成長発達の途上にある子どもにとって、無くてはならないものなのです。(続く…)