感情はもううざいし要いらない(3/8)
それからしばらくの間、私はその盲導犬の動きを観察していました。
なかなか電車が来なかったので、その間たっぷり15分はあったでしょうか。盲導犬は(当たり前のなのでしょうが)微動だにせず、ただジーッとユーザーさんの足下でうずくまっていました。
満杯の電車を見送り、次の電車に乗るつもりなのでしょう。ユーザーさんはようやく到着した電車には乗ろうとしませんでした。
そんな二人(一人と一頭?)の横をすり抜け、電車に乗り込むと、ちょうどホームで待っている盲導犬と窓ガラスを挟んで真っ正面に向き合うような格好になりました。
ホームに停車したままの電車から、盲導犬に「お疲れ様」とアイコンタクトでメッセージを送ろうとしたときのことです。うつむいて寝そべっていた盲導犬が、ふいに面を上げました。
===
このコの一生は、幸せなんだろうか?
「いったい何?」
私は思わず、そうつぶやきそうになってしまいました。
ごった返す人混みにもまれ、人々が興味津々の眼差しを注いでくる中心にいながら、盲導犬はまるで何一つ認識していないかのような目をしていました。
多くのものに囲まれながら、まるで別世界にいるかのようにただ空を見つめる盲導犬。・・・そこにあったのは、何かに注目したり、興味を持ったり、自ら動こうとしたりするという能動的な動きをもたらす感情をすべてどこかに消し去ったかのような瞳だったのです。
盲導犬がいちいち周囲の状況に反応していたらしょうがないということはよく分かっています。どんなときも冷静に、自らの仕事を遂行できる犬でなければ盲導犬にはなれないことも知っています。
でも、その何も見ていないかのような瞳を見た瞬間、
「このコの一生は、幸せなんだろうか?」
そんな思いが頭をよぎりました。
「見ていたくない」と思いながら・・・
私のすぐ横では、ホームで盛んに盲導犬の写真を撮っていた若い女のコたち数人が「あー、顔あげた」「カワイイー」「いいなぁ。おとなしいねー」と声をあげていました。
「本当にそう思う?」
思わず尋ねたくなってしまう思いを抑え、私は電車が発車するまでの間、ずっと盲導犬の顔を見つめていました。
こちらが切なくなってくるその瞳を「見ていたくない」と思う反面、どこかで似た瞳に出会ったことがあったような気がして・・・。(続く…)