感情はもううざいいし要らない(8/8)
こうした親に「母性がない」「母親失格」というレッテルを貼り、自己責任として切り捨てているのが今の社会です。
自己責任することで私たちは、「自分の親が、けして無条件に愛してくれたわけではない」という辛い事実から目を反らし、自らの親と同じように子どもを支配しながら、家族幻想の中で生きていくことができます。
また、社会全体で考えればどうでしょう。
子育てという大変な仕事を「母親の仕事」にし、社会が望む人材育成の担い手という役割を女性に押しつけることができます。
さらに言えば、「子育て優先」という、反論しにくい理由をつけて、安い労働力としての女性を確保し続けるというメリットがあるのではないでしょうか。
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問題解決に向けて
でも、それでは悲惨な子どもたちの状況は絶対に解決しません。
なぜ現実的な判断ができないほどにまで親が追い込まれているのか。他の子と同じように成長しない我が子にいらだちを覚えるのか。困っていても外に助けを求められないのか。・・・そうした原因をきちんと取り除いていくという姿勢がなければ事態は改善しないでしょう。
親たちの周りには、リストラ、無理な働き方、孤立、“よい子”育てのプレッシャーや子どもの将来への不安など、多くの不安定要素が渦巻いています。社会が競争的になればなるほど、子育ても、教育も「自己責任」という声が強まります。
何でも自分の力でやっていかなければならない社会で、子育てのすべてを引き受けなければならないとしたら、子どもに受容的で応答的な関係を提供することなどできようはずもありません。
悲劇を繰り返さないために
子どもたちをめぐる悲劇を繰り返さないためには、社会全体が変わっていかなければなりません。
いつまでも労働力確保のための少子化対策や、子どもを経済発展に役立つ“人材”としてとらえた教育施策、経済界の発展を念頭に置いた雇用対策、根本的な格差解消につながらない子ども手当などをしていてはダメなのです。
財産や学歴、能力などの「ある」「なし」などで、大きく生活に格差が生じるようなことがなく、だれでも安心して弱音を吐き、愚痴を言い、困ったときにはだれかに頼れるような社会に転換すできれば、子どもの思いや願いを受け止められる親が増えていくことは想像に難くありません。
そんな親が増えれば「感情はもううざいし要らない」とつぶやき、あきらめ、つぶれていく子どもも、必ず減っていくのです。
(終わり)