人は、ひとりぼっちでは生きていけない(4/5)
そんな「安全基地が欲しい」というあたりまえのこと・・・たとえば、疲れたときに心と体を休め、傷ついたときに慰めてもらい、困ったときに助けてもらうが否定される社会の中で、私たちはいつも臨戦態勢で生きることを強いられています。
だから、とてもではないけれども自らの素顔を他人にさらすことなどできません。
競争によって利益を奪い合うことを強いられる世の中で、どうにかやっていくことに汲々としている私たちにとって、本当はちっぽけでしかない自分の姿を見せることは、かなり勇気のいることです。
生き延びるためになるべく多くのものを手に入れ、そんな自分を支えるだけでせいいっぱい。
だから、だれかに何かを「与える」ことも苦手です。
ちっぽけな自分をさらけ出し、「与える」ことによってこそ、他者とのつながりが生まれ、その相手が計り知れないほどの豊かなものを返してくれるということ。そうした関係性こそが、ひとりで生きていくことはできない私たちを孤独の淵から救い出してくれるのだということが、なかなか信じられません。
それどころか、「与える」対象のことを「ただの厄介者」のように思ってしまうこともよくあります。
「小さな存在」が持つ力
そんな私たちに、ミーちゃんは「人生を幸せに生きるためには何が必要なのか」を教えてくれました。
「奪う」よりも「与える」方が豊に生きられること、だれかを「疑う」よりも「信じる」方が安全に生きられること、素顔のままで他者と向き合うことの大切さを思い出させてくれました。
そして、効率的で合理的、きれいな街よりも、飼い主のいない犬や猫が安心して暮らせるような“隙間”や、飾らない人付き合いのある街の方がずっと住みやすいことも教えてくれました。
ミーちゃんは、電柱やポストのように「ただそこにいる」ことで、地域の人々をつなげ、人の輪を広げてくれました。
今の社会で破綻せずに生きていくために世間で通用する“ちゃんとした人間”であろうと頑張る私たちに、ありのままの自分に戻るチャンスをくれました。そうやって「人は損得を忘れてだれかとつながっていけるのだ」という可能性を示してくれたのです。
そう、「世話をされなければ生きられない存在」であるミーちゃんは、私たち人間がだれかと安心できる関係性を持って生きていくためには小さな存在が必要だということ。小さな存在には、私たちを孤独の中から救い出してくれる力があることを証明してくれたのです!(続く…)