暴力の裏に隠された意味(3/5)
この橋下知事。自らが大幅にカットした私学助成金や、進む高校統廃合を見直して欲しいという高校生たち(「大阪の高校生に笑顔をくださいの会」)との意見交換会(10月23日)では、こんな発言もしています。
高校生:いじめを受け不登校になり、公立を諦めた。私学助成を削らないで欲しい。
知事:(私立は)あなたが選んだのではないか。いいものを選べば値段がかかる。
高校生:非常勤補助員の先生の職を奪わないで。
知事:世の中でどれだけ会社がつぶれて失業者が出ているか分かっているか?
高校生:税金は教育や医療、福祉に使って。
知事:あなたが政治家になってやればいい。
高校生:学費がなくて夢をあきらめる子もいる。
知事:夢と希望を持って、努力すれば今からでもできる。
高校生:倒れた子はどうなるのか?
知事:最後には生活保護がある。受けられないのは申請の仕方が悪い。(自己責任が嫌なら)国を変えるか、日本から出るしかない。
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決死の思いで不登校やいじめ、親のリストラなど、辛い体験を語る高校生に対して、知事はたたみかけるように矢継ぎ早に質問し、中には涙ぐむ子もいました。その様子は、関西のニュース番組などでも放映されました。
意見交換会の内容をもっと詳しく知りたい方は大阪教職員組合のホームページをご覧ください。
思いを伝えるための暴力
こうした政治家たちの発言を見る限り、彼らには「“人の傷み”をくみ取りとろう」という姿勢はまったく見られないと言っていいと思います。
それどころか、弱い立場にある者を追い詰め、「お前の不遇は、自身の努力が足りないからだ」と自己責任を迫っています。
社会のおかしさを一生懸命分かってもらおうと説明しても、「政治家(権力者)になって世の中を変えろ」だの、「嫌なら日本から出て行け」などと言われたら、立場の弱い人間、何の権限も持たない子どもは、いったいどうしたらいいのでしょうか。
もちろん、暴力を肯定するつもりはありません。でも、何を言っても潰されてしまう弱い立場の者が、その思いを伝えようとしたら、「暴力に訴える以外に道はない」と思い詰めたとしても、何ら不思議ではないのではないでしょうか?
少なくとも私には、その気持ちが分かるような気がします。
「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかない」
「言葉を奪われたら、暴力に訴えるしかないじゃないか」
自らの体験から発されたその言葉は、私の胸をえぐりました。
高野雅夫さんという、全国に夜間中学をつくる活動をしている方の講演で聞いたセリフでした。今から15年ほど前のことです。
高野さんは、戦争孤児として闇市を生き抜いた方でした。バタ屋のお爺さんと出逢ったことがきっかけで文字を知り、その意味を、その大切さを実感し、いくつになっても学ぶ機会を提供する夜間中学校をつくる運動に取り組むようになったそうです。(続く…)