暴力の裏に隠された意味(1/5)
暴力の連鎖が止まりません。
9月には、秋葉原事件(「絶望と自殺」参照)の話を書きましたが、それからごくわずかな期間に、大阪市の個室ビデオ店放火事件、元厚生事務次官家族の殺害事件など、直接的には関わりのない他者を破壊しようとする事件が相次いでいます。
子どもの暴力も増加
子どもたちの暴力も増加傾向です。
今月20日に文部科学省が発表した問題行動調査によると、小学校から高校までのすべてで暴力行為が過去最多となり、5万件を超えました。
調査対象を国立・私立まで広げたことや、報告すべき暴力の定義を広げたことも増加の
一因とされていますが、前年に比べて18%も増えています。
中でも小学校での増加が著しく、なんと37%の増加です。
なぜ、こんな暴力社会になってしまったのでしょうか。
その意味を考える前に、「どういう社会をつくっていくのか」に対して、大きな責任を持つはずの政治家の話から始めたいと思います。
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首相の失言
私たちが投票によって政治家を選び、政府に権力を与え、税金を納めるのは、「だれもが安心して幸せに生きていける社会をつくる」ためです。
ところが最近の政治家の方々の話を聞いていると、まったく意味をはき違えているように思えます。
たとえば、“失言”続きの麻生首相。
先日の全国知事会議で「医師には社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言して謝罪したばかりだというのに、20日に開かれた政府の経済財政諮問会議でもまたまた問題発言をしてしまいました。
自らが出席した同窓会の話を引き合いに出しながら、「67歳、68歳で同窓会にゆくとよぼよぼしている。医者にやたらかかっている者がいる」、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」などと言っていたことが、議事要旨の公開から明らかになったのです。
与謝野経済財政相が社会保障費の抑制や効率化の重要性を指摘したのを受けてのことでした。
さらに、「彼ら(同窓生)は、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているから」とも言ったとか。
つまり「自分は頑張って健康を維持している。それなのにただ飲んだり、食べたり“のんべんだらりと”過ごし、何の努力もしていない連中のために使う金などない」ということなのでしょうか。(続く…)