暴力の裏に隠された意味(5/5)

2019年5月29日

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子どもの権利条約に基づく第一回目の日本政府報告審査(1998年)で、国連「子どもの権利委員会」が「成長発達のすべての場で、日本の子どもたちは競争(管理)と暴力、プライバシーの侵害にさらされ、意見表明を奪われ、その結果、発達が歪められている」と勧告してから10年。

当時、国連「子どもの権利委員会」が、子ども(若者)と呼んだ人々の中には、すでに30歳以上となった人もいます。
そうした世代の多くが、前回のブログで書いたように、透明人間のように扱われ、言葉を奪われ、自らを殺して生きざるを得なかったと考えるのは考えすぎでしょうか?

でも、私は確かに聞いたのです。多くの子どもたちの「酒鬼薔薇化(少年A)の気持ちが分かる」というセリフを。
たとえばその一人で、当時、少年Aと同じ年だった女子高校生は、こんなふうに言いました。

こうやってずーっと競争させられて、まわりを見ながら生きて、そうしたら「ほっとできるのなんて、定年退職してからじゃん」って思ったら、なんか嫌になっちゃったよ。社会が変わるっていうか、変えられることなんかあるのかな?

彼女の後ろには、おとな(社会)への期待を捨て、思いを飲み込み、自らの不遇を「自分の努力が足りないせい」としてあきらめようとする無数の子どもたちの姿が見える気がしました。

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ほぼ3人にひとりの子どもが「孤独」

それから10年もの間、私たちの社会は、こうした子どもたちを「努力をしない甘えた子ども」として、毅然とした態度で、その尻を叩いてきました。
あきらめの境地に至るしかなかった子どもたちの無念さに共感するのではなく、それを自らの責任として、納得するように仕向けてきました。
「しつけ」「指導」「教育」そんな言葉を並べて、子どもの思いや願いを潰し、今の社会に適応するよう迫ってきました。

その結果、「だれにも分かってもらえない」という感覚を子どもたちの中に植え付け、孤独の中で生きる価値さえ分からなくなった人間をたくさん生んでしまいました。

2007年に国連児童基金(ユニセフ)が発表した、経済協力開発機構(OECD)加盟国を対象に実施した子どもの「幸福度」に関する調査結果によると、「自分は孤独だと感じる」率が回答のあった24カ国中、日本はトップ。ほぼ3人にひとりの子ども(対象は15歳)が孤独を感じている計算になります(『毎日新聞』11月17日)。

それでも多くは、「仕方がない」「自分が悪い」と、文句も言わず、言葉を飲み込み、今の境遇に甘んじて生きようと頑張ります。

けれども中には、そうしたところに自分を追い込んだおとな(社会)に、復讐を企てようという者も出てきます。

そうして言葉を奪われた人間が「こんな人生は嫌だ」「社会は変わるべきだ」と、その人生をかけて、今できる精一杯の方法で起こした訴えこそが、今、多発している暴力なのではないでしょうか。

増加続ける無差別殺傷事件

2008年中に(11月末まで)に全国で発生した通り魔殺人事件(未遂を含む)は13件で、死傷者は42人。統計を取り始めた1993年以来最悪の数字となっています。刑法犯全体が減少し続けている中で、「だれでも良かった」という殺傷事件だけが増加していることになります(『東京新聞』12月12日)。

こうした暴力を「本人の問題」「規範意識の低下」と位置づけ、厳罰に処して、社会から抹殺しても、暴力の連鎖は止まりません。
子どもを高見から見下ろし、「お前が悪い」「もっと努力しろ」と、“叱咤激励”しても子どもたちの孤独は埋まりません。

今、必要なのは、孤独に喘ぐ子どもの思い(もちろん身体表現や欲求なども含みます)をきちんと受け止め、「暴力のかたちを取らなくとも、きちんと聞いてもらえるのだ」という実感を持てるような関わりをしていくことです。

同じ地平に立って

同じ地平に立たなければ、同じ風景は見えません。

当事者の辛さは本人にしか分からないことは明らかですが、せめてその隣に寄り添い、少しでもその辛さを共有できる人間でありたいと思っています。
そうした小さな力が、だれもが暴力など使わなくても幸せに生きていける社会の第一歩になるはずですから・・・。

今年一年、おつきあいいただきどうもありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。
2009年が多くの方にとってよい年となりますように。

2008年12月31日

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Posted by 木附千晶