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ところが、児童虐待への取り組みは遅々として進みません。この7月にも福島県で3歳の男の子が虐待死するという痛ましい事件がありましたが、その後も虐待のニュースは絶えることがありせん。

一方、「家の外」での安全対策は急ピッチで進んでいます。国の今年度予算は「子ども安心プロジェクトの新設」に24億円が計上され、地域住民による安全ボランティア「スクールガード」の養成や警察OBによる「スクールガード・リーダー」の拡充が図られました。警察庁による「地域安全安心ステーション」や監視カメラ付きの「スーパー防犯灯」の設置も広がっています。

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image061013.jpg 通常、認知件数は、取り締まりが強化され、報道が増え、世間の関心が集まれば増えるものです。最近の飲酒運転がいい例です。以前から飲酒運転はあったけれど、その取り締まりはずっと少なく、事故が起きても全国版で大きく報道されることはありませんでした。そのため、当然、警察の認知件数は少なく、私たちが気に留めることもあまりなかったのです。

そう考えると、大事件があったにも関わらず、幼女への性犯罪の認知件数が減っているというデータの重みが増します。

image061011.jpg「子どもが危ない」ーーそんな不安が日本社会に取り憑いています。

8月に内閣府が発表した「子どもの防犯に関する特別世論調査」によると、「子どもの犯罪被害の不安」が「ある」との回答はなんと74%です。
けれども、この不安には実態がありません。不安を感じる理由も「テレビや新聞で、子どもが巻き込まれる事件がよく取り上げられるから」が85.9%とダントツ。「近所に子どもが巻き込まれた事件が発生したから」は12.1%に過ぎません。

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世界に誇る陸軍大将の文献をしてこうなのですから、いかに日本社会に「幼い頃の人との関わりがその人の一生に影響を与える」という視点が欠落しているのかが分かるような気がします。

つい最近も、それを痛感する記事を読みました。東京板橋区で社員寮管理人であった両親を殺害し、ガス爆発事件(2005年6月)の加害少年(17歳)に関する記事です。
この8月、検察側は、少年に対し、「両親が虐待や不適切な養育をしていたとは到底認められない。いまだに『父親の責任が大きい』と話すなど改悛の情が見受けられない」などとして懲役15年を求刑したのです。

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この訣別電報は、「そうした現実を見極めることもせず、いたずらに戦争しかけ、迷走し、最後には現場の兵士を切って捨てる・・・そんな軍の上層部へのぎりぎりの抗議だったに違いない」と、梯氏は著書で書いています。
そして「おそらくその意図を感じたからこそ、当時の硫黄島玉砕を伝えるニュースでは、この句の最後が『悲しき』ではなく『口惜し』と改変される必要があったのだ」とも言っています。

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絵手紙には、新聞配達をしている子どもと向き合って座り、お菓子をごちそうしているところや、街頭で出会ったメキシコ人の子どもにお金をあげているところもあります。

階級社会である軍にいながら栗林は、目下の者にも絶えず心をかけ、小さき者と同じ視線に立ち、だれとも気さくに接していた人でもあったようです。

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栗林は、太平洋戦争で戦局がアメリカ優位となったあと、米軍の損害が日本軍のそれを上回った唯一の戦場である硫黄島で2万もの兵士を束ねた最高指揮官です。

圧倒的な戦闘能力を持つ米軍を相手に各地で敗退を続ける日本軍。そうした戦況にあって、最終的には敗北したものの、栗林は“寄せ集め”の兵士だけで米軍上陸から1ヵ月もの持久戦を行ない、米軍側の死傷者数2万8686名に対し、日本軍側2万1152名という戦いを繰り広げたのです。

image060911.jpg 火薬の袋貼りは容易の仕事じゃないらしいね。さぞ肩も張るだろう。ほんとうにお察しする。しかしあまり無理しないがいいでしょう。無理するとやはりからだに障るよ。
(昭和19年10月10日付)

冬になって水が冷たくヒビ、あかぎれが切れるようになったとの事、本当に痛わしく同情します。水を使った度に手をよく拭き、熱くなる程こすって置くとよいでしょう。又燃料節約で風呂が十日に1遍とは、昨年の今頃と比べてほんとうに可愛そうに思います。
(昭和19年12月11日付)

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こうした8人の意見は国連「子どもの権利委員会」が審査を終えて日本政府に改善点などを勧告した最終所見にすべて盛り込まれました。

プレゼンテーションを終えて、いえ、プレゼンテーションの間にも、涙で声を詰まらせながら子どもを励まし、暖かく見つめ、抱きしめてくれた委員の方々は、「あなたたちの貴重な意見をけして無駄にはしない」という約束をきちんと守ってくました。

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次のMさんは、機械的に暗記し、記憶するだけの授業、与えられたものをこなすことがすべての受験勉強のなかで「ひとつひとつ考えていたら置いていかれる。見放される。疑問をもつことは許されなかった」(Mさん)中学時代についてこう話しました。

「高校に入ることがすべて、先生の評価がすべて、それ以外のものに価値がない。そんな世界に子どもたちは閉じ込められている。その狭い狭い世界の中で、子どもたちは常に誰かと競争し、誰かを蹴落とし見下すことでしか、自分の価値を見出せなくなってしまった。その世界に適応できなかった子どもは簡単に排除され、一度排除されたら元には戻れないと言われてしまう。だから私は考えることをやめた。そうしないとおとなにも先生にも認めてもらえないと思ったから。『自分を消さなきゃ、自分を殺しながらじゃなきゃ、きっと楽には生きていけないんだろう』と思ったから」