子ども時代と人生(2/5)

2019年5月29日

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栗林は、太平洋戦争で戦局がアメリカ優位となったあと、米軍の損害が日本軍のそれを上回った唯一の戦場である硫黄島で2万もの兵士を束ねた最高指揮官です。

圧倒的な戦闘能力を持つ米軍を相手に各地で敗退を続ける日本軍。そうした戦況にあって、最終的には敗北したものの、栗林は“寄せ集め”の兵士だけで米軍上陸から1ヵ月もの持久戦を行ない、米軍側の死傷者数2万8686名に対し、日本軍側2万1152名という戦いを繰り広げたのです。

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この戦争で米軍の太平洋最高指揮官だったニミッツ大将と、現場で指揮をとったスミス中将は、それぞれ著書のなかで「栗林は太平洋において最も難攻不落な八平方マイルの島要塞にした」(ニミッツ大将)、「栗林の地上配備は著者が第一次世界大戦中にフランスで見たいずれの配備よりも遙かに優れていた。また観察者の話によれば、第二次世界大戦におけるドイツの配備を凌いでいた」(スミス中将)と評価しています。

それだけでなく栗林の名は、今も米軍の将官クラスに「アメリカを最も苦しめた男」として知られています。何しろ硫黄島は、ニミッツ大将に「硫黄島で戦ったアメリカ兵の間では、並はずれた勇気がごく普通の美徳であった」と言わしめたほど、米軍が大きな痛手を負った激戦地です。2003年にブッシュ大統領が自国の兵士をたたえたて演説したイラク戦争終結宣言でも「(イラクでは)ノルマンディ作戦の大胆さと、硫黄島での戦いの勇気が示された」と述べたほどです。

栗林は、信州松代藩の元士族の家に生まれ、県立長野中学から陸軍士官学校、そして陸軍大学校へと進みました。陸軍大学校を恩寵の軍刀を授与されるほど優秀な成績で卒業。その後、アメリカに留学し、軍事研究のかたわらハーバード大学などでアメリカの国情などを学びました。

アメリカ留学中にも、まだ字の読めなかった長男の太郎に宛てて、アメリカの風景や生活、日々の自分の様子などを伝える絵を描き、それに文章を添えて頻繁に留守宅へ送っています。

『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫)には、懐中電灯であたりを照らして遊んでいる自身の絵に「これを一つ送ってやるかな (太郎が)欲しかろうから」と添えられた手紙、一升瓶を眺めている絵に「もう一合も残っていないのだよ それをもう三日も前から眺め暮らし さらにもう四日間 眺めようとするのである これだけはいくら呑みたくても 今暫く我慢して 太郎君のお誕生日の分としような」と書かれた手紙、郊外をドライブしている絵に「太郎がいたら大よろこびだろうな、洋子(長女)やお母ちゃんはこんなに早く走ると怖い怖いというだろうな ブーブーブー」と記された手紙など、約47点が収録されています。

それらを読んでいると、栗林がどれだけ妻や子どもたちを大切に思っていかが伝わってきて、彼が玉砕指揮官であるということを忘れ、ほのぼのとした気分にさせられます。(続く…

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Posted by 木附千晶