「家族神話」の呪縛
子どもと家族を応援すること大賛成ですが、「家族のなかみ」を考えることなく「家族、この素晴らしきもの」と言い切ってしまうことには、違和感を覚えずにはいられません。
確かに、
「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」
と思えるような家庭で子どもが育つことは理想的かもしれません。子どもが
「そういう家族が仲良く暮らすのが一番幸せだ」
と思えるような家族に囲まれて暮らすことができれば、とてもいいでしょう。
「家族神話」の呪縛
子どもと家族を応援すること大賛成ですが、「家族のなかみ」を考えることなく「家族、この素晴らしきもの」と言い切ってしまうことには、違和感を覚えずにはいられません。
確かに、
「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」
と思えるような家庭で子どもが育つことは理想的かもしれません。子どもが
「そういう家族が仲良く暮らすのが一番幸せだ」
と思えるような家族に囲まれて暮らすことができれば、とてもいいでしょう。
「夫婦別姓反対増」のカラクリ
「家族のかたち」と言えば、つい最近、夫婦別姓に関する内閣府調査が発表されました。 マスコミ各社は「夫婦別姓 反対増える」「夫婦別姓は減った」と報道していましたが、実はこの調査結果にはカラクリがありました。反対派の年齢構成が熟年層に偏り、回答者の86%以上が既婚者だったのです。
2007年2月10日の『東京新聞』は、「これから結婚する人の意見が反映されていないのはおかしいのではないか」、「前回の調査の方がまだ現実の人口構成に近かった」として、内閣府の「若い層は昼間仕事に出ていたり、回答拒否が多い」というコメントを批判に論じています。
私もまったく同感です。だって、「今後の施策の参考とする」ための調査と公言しているのですから。
家族とは何か
そんな重いショート・ストーリーが続く中、漫画家の内田春菊さんが書き下ろしたラストの作品「フィリピンパプで幸せを」に、ホッとしました。
ケタ外れの金持ちで性同一性障害のフィリピン人女性(元男性)と日本人男性のラブ・コメディです。
男性は、初めて行ったフィリピン・パフで知り合った女性と一夜を共にします。ところが、朝目が覚めてビックリ。女性の自宅はとんでもない大邸宅で、男性は寛大な女性の両親と妹たちからものすごい歓待を受けます。話はトントン拍子に進み、女性とその家族から結婚を迫られます。
無邪気な残酷さ
なかでも印象的だったのは「代理母ビジネス」というショート・ストーリーでした。
主人公は依頼者の男性とセックスし、男性の妻に替わって出産するという出産代行業を営むフィリピン女性・ララ。
ララは「貧困から脱するためのビジネス」と自分に言い聞かせながらも、女性としての尊厳を踏みにじられ、母としての人生を手放すことに苦悩します。大金を手にした満足にひたりながらも、「愛する人と結ばれ、子どもを育てたい」と心を引き裂かれるような苦しみを味わいます。
「フィリピン ベッドタイム ストーリーズ」という芝居を観ました。フィリピンの演劇人と交流を重ねてきた日本の劇団・燐光群が両国スタッフ共同で創り上げた作品です。
2004年から続いてきた「フィリピン ベッドタイム ストーリーズ」シリーズの第三弾にあたるもので、5つのショート・ストーリーから構成されていました。
日本語・タガログ語・英語が混在したセリフ(舞台の両サイドに字幕モニターが用意されていました)と、ベッドルームから見えるフィリピンと日本における現代社会の問題を浮き彫りにしているところが特徴です。
子どもが安心して本音を語ることができる環境を
それでなくても子どもが本音を語ることは容易ではありません。そのことを教えてくれたのは、以前、このブログでご紹介した「子どもの声を国連に届ける会」のHさんです。
いじめによって4年間を不登校で過ごしたHさんは、2004年に行われた国連・子どもの権利委員会の日本政府報告書審査で、自身の体験を次のように語っていました。
「私自身、小学校の時にいじめをうけ、そのことを誰にも相談出来ませんでした。学校のなかでは他人に自分の弱みを見せては生きていけないからです。弱さを隠し、先生にも親にも相談できないまま、とうとう学校に行くことが出来なくなりました。12歳から16歳までの4年間、不登校でした」
子どもの世界にも浸透する競争・格差社会
親についても同様です。最近、都内の公立学校教師に聞いた話によると「いわゆる『底辺校』や『困難校』と呼ばれる学校の親は、食べていくことに必至で子どものことどころではない」そうです。
1995年頃から増え続けている雇用者全体に占める非正規雇用数は、ここ20年で2倍の32.6%(『ニッセイ基礎研 REPORT』2006.5)。家計の貯蓄率も過去最悪の3.1%です(『東京新聞』2007年1月13日)。大企業が過去最高益を更新している裏側で、今日の生活にも困る層が確実に生まれています。
他方、裕福でも子どもが親に安心して本音を語れる家庭はそんなに多くはありません。裕福な親の多くは、子どもへの期待が大きく教育熱心です。そのため、幼い頃から子どもたちを塾や習い事へと駆り立て、子どもが何を感じているかには無頓着であったりします。
教師自身が自分の身を守ることで精一杯
一方で「子どもの声を聞こう」という、今までにない姿勢を打ちだした文部科学省には一定の評価はできます。しかし、本当にそんなことができるのかという疑問は払拭できません。
アンケートなどを回しても、子どもはそこに本心など書いてはくれません。教師や親からの聞き取りもほとんど有効性はないでしょう。子どもはおとなの真意を読み取り、その期待に応えようと演技をする存在だからです。
子どもに本音を語ってもらいたいなら、毎日の生活の中で「このおとなは信頼できる」、「このおとななら何を言っても自分を責めたりしない」と感じ、自由に振る舞える関係性をつくっておく必要があります。
そのためにはまず、子どもの身近にいるおとなたち(教員や親)が、ゆったりと子どもに向き合えるような環境がなければいけません。
教室から追放されたいじめっ子はどうなる?
教育再生会議の提言や報告はまったく了解不可能です。その内容は1995年に文部科学省「いじめ対策緊急会議」が出した「当面の方策」や2000年の教育改革国民会議の答申を厳罰化させただけ。「力で押さえつける非行対策」の枠組みを出ていません。
相変わらず「なぜいじめが起こるのか」、「どうしたらいじめられている子が周囲のおとなに真意を打ち明けることができるのか」という視点はまったく入っていないのです。
問題の多い「改正」教育基本法の成立や年末年始などがあり、「道徳や説教で子どもが救えるか?」で予告した「子どもたちが本音を語ることができずいる現実」について書く機会がなかなかありませんでした。予告を読まれていた方々に、お詫びいたします。
この間、政府の教育再生会議は、教職員、加害者や傍観者の子どもへの懲罰的な意味合いの強い「いじめ問題への緊急提言」(2006年11月29日)を出しました。文部科学省は子どもの声を重視し、「本人が『いじめられている』と感じたら、いじめである」との新しい定義を発表。いじめや自殺の調査を抜本的に見直すことを決めました(2007年1月19日)。
また、いじめを受けていることを学校に相談した後輩を集団で暴行したとして、都立定時制高の生徒4人が傷害容疑で逮捕される事件なども起こりました。