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image060718.jpg 重光さんは何度か復職を試みますが、そのたびにショックを受けることが続きました。

たとえば早い時間に出勤すると、上司が「もう治ったのか」と声をかけてきたことがありました。「早朝覚醒で眠れないんです」と答えると「オレだって忙しくて3時間しか寝ていない」と言われたそうです。
また、半日出勤や責任の少ない仕事などで少しずつ体を慣らしていきたいと告げると、上司は「何もしないでただ席に座っている気か?!」と詰め寄りました。

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image060713.jpg 本来は労働契約によって、労働の質、条件、時間などが定められています。労働者はそれを超えて働く必要はないのです。
ところが、リストラや左遷、出世、冷たい視線や上司の叱責と引き替えに、暗黙のうちに強制が課され、過剰労働に追いやられる現実があります。

重光さんの場合もそうでした。
「これ以上、立ち上げ業務を早めることはできない」
と上司に報告したところ、上司はすべての部課長宛に
「重光がリーダーを務める業務が最重要課題」
というメールを送信。他の部課長からも「しっかりしろ」と怒られたそうです。

image060710.jpg 先月15日に自殺対策基本法が成立しました。自殺の防止はもちろんのこと、自殺してしまった人の遺族へのケアやだれもが生き甲斐を持って暮らせる社会の実現を目的とし、年内に施行されることになっています。
この法律のいちばんの特徴は、自殺を「社会の問題」と位置づけたことです。今まで自殺は「当人が弱いから」など「個人の問題」とされてきましたが、「自殺の背景には様々な社会的要因がある」(基本理念)として、社会的な取り組みを行うことを明言したのです。

ところで先日、「過酷な業務からうつ病を発症し、働けなくけなくなったのに解雇されたのはおかしい」と会社を訴えている重光由美さん(本人の希望により本名にしています)とお会いしました。

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image060703.jpg 今の教育基本法に規定されているとおり、教育とは人格の完成(精神的にも肉体的にも調和の取れた創造的な生き方のできる人間)を目指すものです。
「人間教育」を目的とした教育基本法の理念は、子どもの全人的な発達を保障するためにつくられた子どもの権利条約にも通じます。

ところが教育基本法「改正」案は違います。すべての子どもの人間としての成長発達を目指す人間教育ではなく、「国に役立つ人材育成」、すなわち国策教育を目指すものです。
平たく言えば、子どもたちは、ときの政府に都合のよい価値観や道徳を教え込まれる一方、国の発展に役立つエリートだけが優遇される教育へと変わります。ますますエリートへの階段は狭き門になるばかりです。

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中1の頃は母親に反抗したこともあったけれど、中3になってからの母子関係は悪くなかったとの報道も気になります。
思春期の反抗は、おとなになるために必要なものです。そうやって親や社会の価値を壊し、自分らしさを確立していきます。おとな側からみれば許し難い反乱である反抗も、子どもにとっては成長のステップです。

何を言っても聞こうとしない両親、怒っても、暴れても、自分の気持ちに気づこうとせず、力で押さえ込もうとする両親に反抗することさえ「諦め」たとき、長男の心にはどんな思いが渦巻いていたのでしょうか。

image060627.jpg 児童虐待がクローズアップされるなかで、虐待(不適切な養育)を受けた子どものトラウマや虐待の世代間連鎖などの研究が進み、アタッチメント(愛着)という概念が再び注目されています。

健全なアタッチメントが形成されることにより、子どもは「自分は愛され、保護されている」と感じ「外界は安全なもの」ととらえることができます。こうした健全なアタッチメントの形成には、いつでも自分に目を配り、自分の気持ちに寄り添ってくれ、自分の欲求に応えてくれる養育者の存在が不可欠です。

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image060622.jpg 会議に集まった子どもたちは、国も文化も、置かれた状況も違います。表面上は豊かで恵まれた先進国と呼ばれる国の子どももいれば、戦争や貧困にあえぐ国の子どももいます。
けれども子どもたちは、みんなJ・Swigartの指摘と同じことを訴えたのです。

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ここに世界153カ国から集まった404名の子どもたちがおとなの世界に向けて出した「A World Fit for Us(私たちにふさわしい世界)」という宣言があります。2000年5月に開かれた「国連子ども特別総会」で、子どもだけの会議を開いて考え、発表したものです。

image060616.jpg おとなは、自分たちの都合に合わせて子どもが振る舞ってくれないと「今時の子どもは・・・」と、子どもの側に問題があるかのように言います。子どもが何を感じているのかを聴こうともせず、自分たちの都合のいいように子どもをつくり変えようとするおとなもいます。

しかし、アメリカの心理臨床家J・Swigartは言います。

「子どもは、私たち自身や私たちの生活、自分たちが適応しなければならない社会にどこか問題があるとき、その行動を通して教えてくれます。・・・私たちの行動が真に破壊的になると、子ども達はギョッとするような悲劇的なやり方で警告してくれます。

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image060612.jpg 人間は関係性のなかで生きています。社会から影響を受けずに生きている人など存在しません。
「ひきこもり」という、一見、社会と隔絶しているかに見える人たちでさえ、日本社会の持つ歪みーー競争、効率化、親や社会の期待などーーと無関係ではありません。「社会の問題」を見ることなしに「個人の心の問題」を語ることなどできないのです。

すべてを「個人の心の問題」と片づけてしまうことは簡単です。けれどもそれでは根本的な解決にはなりません。