日本が大好きです。

たとえば四季折々に違う表情を見せる自然の美しさが好きです。豊かな水田が織りなす風景、たなびく雲を携えた緑の山、深く青く光る夏の海、錦織のように艶やかな紅葉、雪をまとった里山・・・。どれもこれも、私が愛して止まない祖国の姿です。

日本の伝統芸能も大好きです。能や神楽、地唄舞に三味線、和太鼓。とくに地域に伝わる、その土地にしかない、お祭りや音楽には心躍らされます。

何より大好きなのが食べ物です。いわゆる和食だけでなく、世界のどの国の料理もおいしく提供できる日本の職人技にはいつも感激します。

それはきっと、豊かな自然に恵まれた国の豊富な食材のおかげもあるますが、あらゆる命あるものを大事に“いただく”という日本人らしい感性や細やかさの賜ではないかと思います。

「そうは言っても、今さら子ども時代をやり直すことなどできない」
「本人が変わる努力をしなければ」

そんな声が聞こえてきそうです。

脳は変化する

デニクロ

ところで、これも最近、さかんに言われていることですが、虐待を受けると脳が変化します。

たとえば、体罰を長期かつ継続的に受けた人たちの脳は、前頭前野の一部である右前頭前野内側部の容積が平均19.1パーセントも小さくなります。
また暴言にさらされてきた人たちの脳では、スピーチや言語、コミュニケーションに重要な役割を果たす大脳皮質の側頭葉にある「聴覚野」の一部の容積が増加すると言われています(公益社団法人日本心理学会HP「体罰や言葉での虐待が脳の発達に与える影響」)。

こうした虐待が脳に与えるダメージが強調されがちですが、最近の虐待と脳に関する研究では、脳に可逆性、回復力があることも証明されてきています(『児童青年精神医学とその近接領域』57(5)「子ども虐待とケア」)。

デニクロ

植物を見ればよく分かります。ひまわりは、ひまわりの花を付ける、バラはバラとして咲く、サボテンはサボテンとして生きるための“もと”を全部、種の中に持ってこの世に誕生します。

ただし、ひまわりがひまわりとして、バラがバラとして、サボテンがサボテンとして立派に成長するためには、それぞれが必要とする、それぞれが持っているニーズを満たされる必要があります。

サボテンにじゃぶじゃぶと水をやったら、枯れてしまいます。虫の多い環境ではバラは大輪の花を付けませんし、日陰でひまわりは育ちません。

それぞれの植物が持っている特性に合わせた環境や土壌が必要です。植物の特性を無視しして、人間の都合に合わせて育てようとしたら、植物は美しい花を見せてはくれないでしょう。

デニクロ

ここのところ、虐待についての講座や研修をさせていただくことが続いています。
児童相談所の虐待対応件数が20万件を超えているせいなのでしょうか。それとも、おとなになってからも虐待が大きな傷跡を残すことが、理解されてきたせいなのでしょうか。
いずれにせよ、多くの人が虐待に関心をっているような気がします。

しかし、それでも、「何が虐待にあたるのか」についての理解はなかなか深まっていません。
殴る、蹴る、というような明らかな身体暴力や、ご飯を食べさせない、不衛生な衣服のままにさせるという典型的なネグレクトでないと、それが虐待であるとは思いにくいようです。

研修の中でも、「はっきりした虐待歴は無いのに、どうしてここまでの生きづらさを抱えているのか」とか、「被虐体験があればもっと共感的に寄り添えるのだが、そうでないと“わがまま”と感じてしまう」といった類いの意見がありました。

果たして特殊な子どもか?

この高校生は果たして特殊な子どもでしょうか。何か極端な思想や発達の問題を抱えていたのでしょうか。
私にはそうは思えません。

ここまでとは言わなくても、多かれ少なかれ、同様の思いを抱いている子どもはかなりの数になるのではないでしょうか。

今の社会ではこうした「上昇志向」や「競争精神」を小さな頃から植え付けられて育っています。

たとえ言葉で言われなくても、いくつもの習い事に通わされ、そのなかで優劣を付けられることが当たり前になり、学齢期が近づけば受験という“ふるい”が待っています。
「人生はやり直しがきかない。“ふるい”にしがみついて結果を出さなければ、ろくな将来は望めない」
と脅されます。

私たちは、自分の生命が脅かされたとき、防衛のための手段を取ります。最もポピュラーな方法は、「逃走」(逃げる)です。

草原でオオカミに出会った羊は、あらゆる神経を集中させて逃げます。そうして生き延びる道を探すのです。

「窮鼠猫を噛む」

しかし、逃げることに絶望し、逃げる道が完全に絶たれたときは違います。
本来は勝てるはずもない相手に対し、攻撃をしかけます。文字通り、命を賭けた大ばくちに出るのです。

「窮鼠猫を噛む」です。

殺人未遂容疑で逮捕された高校2年生は、まさにそんな状況まで追い詰められていたのではないかと思えて仕方がありません。彼には、「受験をしない」という選択肢などあり得なかったのではないでしょうか。

お正月が明けると、受験本番シーズンです。毎年この時期は、受験にまつわるニュースにことかきません。

今年は衝撃的な事件が立て続けにおきました。1月15日に実施された大学入学共通テストを巡る事件が、世間に衝撃を与えています。

ひとつは、試験問題を撮影した画像が試験中に外部へ流出した事件です。その後、大阪在住の大学1年生である19歳の女性が香川県警に出頭。女性は、「スマートフォンを上着の袖に隠して試験問題を撮影した」そうです。

報道によると、女性は「東京の大学を目指していたが、受かる自信がなくカンニングした」「成績が上がらず魔が差した」などと話しているそうです。

オスプレイ

だれが考えても、「感染拡大の大きな起因の一つが米軍基地であることは間違いない」(玉城デニー沖縄県知事:『東京新聞』22年1月8日)という気がしますが、日本政府は同記事でも「コメントは控えたい」(松野博一官房長官)などと、関連性を認めていません。

山際大志郎経済再生担当相に至っては、「因果関係だけ逝っても、感染拡大防止につながらない」(同記事)という、びっくりするようなコメントまでしています。

原因を突き止め、そこを改めることは、感染症拡大防止の基本ではないでしょうか。

オミクロン株

コロナの感染が止まりません。22年1月14日の感染者数は全国で2万2045人となりました(NHK「特設サイト 新型コロナウィルス」)。

沖縄県や東京都などで前の週の10倍以上になるなど、これまでにないペースで感染が拡大しています。元凶は、その感染力の強さを示す報告が世界中で相次いだオミクロン株です。

自分の考えや価値観に合わない人をたんに批判するというだけでなく、バッシングしたり、人格誹謗までする人が増加した社会を「不寛容社会」と呼ぶそうです。

①SNSによって、いつでも、どこでも、匿名性を保ったまま他者を攻撃・批判できる環境ができたこと、②スマートフォンなどのテクノロジーの進化で、個人主義が進んで“リアルな他者”を感じる機会が減っていること、などが原因のようです。