果たして特殊な子どもか?

この高校生は果たして特殊な子どもでしょうか。何か極端な思想や発達の問題を抱えていたのでしょうか。
私にはそうは思えません。

ここまでとは言わなくても、多かれ少なかれ、同様の思いを抱いている子どもはかなりの数になるのではないでしょうか。

今の社会ではこうした「上昇志向」や「競争精神」を小さな頃から植え付けられて育っています。

たとえ言葉で言われなくても、いくつもの習い事に通わされ、そのなかで優劣を付けられることが当たり前になり、学齢期が近づけば受験という“ふるい”が待っています。
「人生はやり直しがきかない。“ふるい”にしがみついて結果を出さなければ、ろくな将来は望めない」
と脅されます。

私たちは、自分の生命が脅かされたとき、防衛のための手段を取ります。最もポピュラーな方法は、「逃走」(逃げる)です。

草原でオオカミに出会った羊は、あらゆる神経を集中させて逃げます。そうして生き延びる道を探すのです。

「窮鼠猫を噛む」

しかし、逃げることに絶望し、逃げる道が完全に絶たれたときは違います。
本来は勝てるはずもない相手に対し、攻撃をしかけます。文字通り、命を賭けた大ばくちに出るのです。

「窮鼠猫を噛む」です。

殺人未遂容疑で逮捕された高校2年生は、まさにそんな状況まで追い詰められていたのではないかと思えて仕方がありません。彼には、「受験をしない」という選択肢などあり得なかったのではないでしょうか。

お正月が明けると、受験本番シーズンです。毎年この時期は、受験にまつわるニュースにことかきません。

今年は衝撃的な事件が立て続けにおきました。1月15日に実施された大学入学共通テストを巡る事件が、世間に衝撃を与えています。

ひとつは、試験問題を撮影した画像が試験中に外部へ流出した事件です。その後、大阪在住の大学1年生である19歳の女性が香川県警に出頭。女性は、「スマートフォンを上着の袖に隠して試験問題を撮影した」そうです。

報道によると、女性は「東京の大学を目指していたが、受かる自信がなくカンニングした」「成績が上がらず魔が差した」などと話しているそうです。

オスプレイ

だれが考えても、「感染拡大の大きな起因の一つが米軍基地であることは間違いない」(玉城デニー沖縄県知事:『東京新聞』22年1月8日)という気がしますが、日本政府は同記事でも「コメントは控えたい」(松野博一官房長官)などと、関連性を認めていません。

山際大志郎経済再生担当相に至っては、「因果関係だけ逝っても、感染拡大防止につながらない」(同記事)という、びっくりするようなコメントまでしています。

原因を突き止め、そこを改めることは、感染症拡大防止の基本ではないでしょうか。

オミクロン株

コロナの感染が止まりません。22年1月14日の感染者数は全国で2万2045人となりました(NHK「特設サイト 新型コロナウィルス」)。

沖縄県や東京都などで前の週の10倍以上になるなど、これまでにないペースで感染が拡大しています。元凶は、その感染力の強さを示す報告が世界中で相次いだオミクロン株です。

自分の考えや価値観に合わない人をたんに批判するというだけでなく、バッシングしたり、人格誹謗までする人が増加した社会を「不寛容社会」と呼ぶそうです。

①SNSによって、いつでも、どこでも、匿名性を保ったまま他者を攻撃・批判できる環境ができたこと、②スマートフォンなどのテクノロジーの進化で、個人主義が進んで“リアルな他者”を感じる機会が減っていること、などが原因のようです。

もちろん、インターネット等による誹謗中傷が人を追い込むことは知っています。

実際、2020年5月には、フジテレビの恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演していたプロレスラーの方が、会員制交流サイト(SNS)上で非難された後、遺書のようなメモを残して亡くなりました。

また、最近では、2020年11月に東京都町田市の小学6年生が自殺したのは、学校で配布されたタブレット端末のチャット上でのいじめが原因であるとのニュースも話題になっています。

その人たちは、PTSDの診断基準を満たしてはいませんでした。べつに大事故に巻き込まれたとか、拷問を受けたとか、奴隷にされたというような、ある意味わかりやすい命の危機に瀕した経験は持っていなかったのです。

私の知っている限り、なんらかの性的被害を受けている人は一定数いましたが、「必ずしも性的な被害を受けていた」というわけではありません。

共通点を挙げるとすれば、「本来、最も安心できるはずの家庭が、危険きわまりない場所であった」ということ。そして「だれよりも自分を守ってくれるはずの親(養育者)が、その人を最も脅かす存在であった」ということでした。

トラウマ

昨今、「複雑性PTSD」という病名がやたらと聞かれるようになりました。とある皇族女性の結婚問題をめぐる報道から、一躍トップワードになりました。

そもそもPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)とは、命の危機を感じるような圧倒的な出来事に直面したり、それを直接目撃したことなどによる衝撃が発端となります。

「圧倒的な出来事」とは、たとえば戦争や性的被害、災害や事故などです。こうした生命を脅かされるような体験の記憶が自分の意思とは関係なく思い出されたり、悪夢が続いたり、繰り返し体験しているような感じがして、その出来事を想起させるようなことをどうにかして避けようとします。

また、その出来事に関連する記憶が抜け落ちたり、辛さのあまり現実感がなくなったりすることもあります。恐怖や怒り、戦慄、罪悪感などが継続的に感じられ、物事への積極的な興味関心などが薄れてしまいます。

1970年代にベトナム戦争に行った兵士やレイプ被害者への研究が進む中で、アメリカ精神医学会の診断基準である『DSM』に採用されることになりました。

「どうして政府は動かないのか」
「なぜ、だれもが有効とは考えていない緊急事態宣言・蔓延防止等重点措置を出すだけなのか」

憤りを感じながら、全国知事会などが「人の流れを抑えられるロックダウンのような措置を」と要求(『NHK NWES WEB』21年8月20日)するニュースなどを見ていて、ふと思いました。

「もしかしたら、わざと無策を演じているのか」と。

GIGAスクール構想のように

コロナ禍に乗じ、もともと機会をうかがっていた政策や立法の実現を目論んでいるのではないか、という考えが浮かんだのです。

たとえばコロナのおかげで、企業の新たな市場発掘のために進めたかった小中学生にタブレット等の端末を配布して教育現場のネット環境を推進するGIGAスクール構想も前倒しで進みました。関連予算は4600億円超です(『日経NEXT ACTIV』)。

コロナ禍だからこそ、多くの予算を少人数制のための教員増員や子どもが安全に登校できる設備づくりに充てるべきです。子どもは、関係性の中でしか共感能力や自己肯定感を身に着けることはできません。そうした人格形成のための教育を放棄し、教育を金儲けの道具にしてしまいました。

何かを狙っている?

これと同様、自粛という名で責任を国民に押し付け、無策に走るふりをしつつ、何かを狙っているのではないでしょうか。

安倍政権時に、「東京オリンピック・パラリンピックに向けたテロ対策」として、平成の治安維持法とも呼ばれる「テロ等準備罪」(共謀罪)がつくられたように。21年秋に行われる自民党総裁選に立候補している岸田文雄前政調会長が、アフガニスタンからの日本字らの退避をめぐり、自衛隊法を改正すると言い出したように。

恐ろしい妄想

もしかしたらそれは、言うことを聞かない国民や、都合の悪い考えを持つ国民がいたら、規制をかけられるような法律づくり。国が「有事」と判断したら、国民の自由を制限できるような仕組みづくりなのではないでしょうか。

オリパラ強行開催やワクチン供給量の不足など、国の責任は棚上げにして、「自粛しろと言ったのに、国民が従わなかったからコロナが蔓延した」と、今以上に、自分たちにとって都合よく国民をあしらう準備をしているのではないでしょうか。

そんな恐ろしい私の妄想が、妄想であってほしいと祈る今日この頃です。