島国根性(1)
日本が大好きです。
たとえば四季折々に違う表情を見せる自然の美しさが好きです。豊かな水田が織りなす風景、たなびく雲を携えた緑の山、深く青く光る夏の海、錦織のように艶やかな紅葉、雪をまとった里山・・・。どれもこれも、私が愛して止まない祖国の姿です。
日本の伝統芸能も大好きです。能や神楽、地唄舞に三味線、和太鼓。とくに地域に伝わる、その土地にしかない、お祭りや音楽には心躍らされます。
何より大好きなのが食べ物です。いわゆる和食だけでなく、世界のどの国の料理もおいしく提供できる日本の職人技にはいつも感激します。
それはきっと、豊かな自然に恵まれた国の豊富な食材のおかげもあるますが、あらゆる命あるものを大事に“いただく”という日本人らしい感性や細やかさの賜ではないかと思います。
大好きだからこそ残念
しかし一方で、そんな大好きな日本というこの国が、いや、大好きな日本だからこそ、残念でならないと思ってしまうこともしばしばです。
いわゆる「島国根性」が気になってしまうことがあります。
「島国根性」を辞書等で引くと、「周囲を海に囲まれた島国に住んでいるため、視野がせまく閉鎖的でこせこせした性質、見解」(『コトバク』)とあります。
まさに、最近、私が日々、感じていることです。
「避難民400人受け入れ」のニュース
4月に入って、「日本のウクライナ避難民の受け入れが400人を超えた」というニュースを見ました(『FNNプライムオンライン』22年4月5日)。
そして後日、ウクライナに隣接するモルドバは、自国の人口約264万人の16%にあたる約41万人を受け入れているとの新聞記事を読みました(『東京新聞』22年4月13日)。
こうしたニュースを知って、悲しい気持ちになったのはきっと私だけではないと思います。