最近、非常に興味深く読んだ文献がふたつあります。

ひとつは、逆境的小児期体験(Adverse Childhood Experience : ACE)についての『逆境的小児期体験が子どものこころの健康に及ぼす影響に関する研究』 という論文です。

ACE とは、子ども時代の虐待だけを指すのではありません。「家族に大事にされていない」 「家族の仲が悪い」「だれも守ってくれないと感じた経験」などのストレス要因と、家族内に依存症や精神疾患あった、別居や離婚などによる親との別離、母親への暴力・暴言の目撃など、機能不全家族による逆境的境遇のことです。

ACE が成人期以降の心身の健康に影響を及ぼし、その体験は時の流れによってに癒されるものではないということが明らかになっています。

肥満治療がスタート

ACE研究をアメリカの疫学予防研究センターと共同研究を行ったフェリッティは、もとは肥満治療の専門家でした。どうしても減量できない患者たちの原因究明のための面接で、多くの患者が子ども時代のトラウマを語り、その辛さを解決するため、食べ続けていたことが分かったのです。

フェリッティらは、 小児期に逆境体験が多いほど、社会的、情動的、認知的な問題を可能性が高まり、その結果、暴飲暴食など生活習慣の乱れや、薬物依存や疾病などの危険が高まること。また、犯罪など社会不適応になることも増え、結果として早世の可能性が高まるとし、ACE が寿命に及ぼすメカニズムとして提唱しました。

ACE研究が、「トラウマ体験を持つ子ども」の調査や研究から始まったのではなく、「おとなになってからの健康状態や社会適応の状況」からスタートしたというのは、大変、興味深いことです。
その後のさまざまなACEに関する研究が、ほぼぶれることなく、一様な結果に結びついているのも、そのためでしょう。

日本におけるACE研究では

こうしたACE 研究は、日本ではまだあまり行われていません。

そうした中で、見つけたのが冒頭に紹介した論文でした。論文執筆者である医師らは、自身が関わる「ひとり親家庭」と「乳児院入所児 の保護者と子どもを対象に調査を行い、たとえば「ひとり親家庭」では、反抗挑戦性障害の発症リスクが2倍、反応性愛着障害3.87倍、PTSD3倍、解離性障害7.8倍となるとしました。

同じ日の新聞の表と裏に、「希望と絶望」「理想と現実」「共生社会と競争社会」の縮図が載っているようで、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。

皮肉と言えばいいのか、 シュールと言えばいいのか・・・。いまだにうまくこのときの気持ちを表現する言葉が見つかりません。

私も今の社会の一翼を担っている

人と、動物と、自然すべてが、生き生きと輝く空間をつくりたい」という事業ビジョンを掲げる「もーもーガーデン」。

その取り組みには、 100%共感するし、心から応援します。「そんな世界ができたら、なんて素晴らしいのか!」と、その実現を願わずにいられません。

しかし、記事にあった非正規地方公務員の雇止めだけでなく、目先の利益にとらわれて人や動物や自然を破壊し、限られた者だけで利益を貪ろうとする大企業や日本政府。そんな社会の在り方を結果的に支えている、 国民がいるのも事実です。

私もその一翼を担っているのだと思うと、苦いものしかこみ上げてきません。

311後も何一つ変わらなかった

あの東日本大震災(311)を経験し、 あれだけの命と自然が犠牲になったのに。命ほど尊いものは無いと骨身に染みて実感したはずなのに。この国の政策も、選択も、ほとんど何一つ変わっていません。

それどころか、311以後の復興予算の使い方、コロナ対策の在り方、きな臭い世界情勢とこれらにともなう経済逼迫への対応を見ていると、いっそう「目先の利益優先」という風潮が強まっているように見えます。

エネルギー政策が典型例

よく分かるのが、エネルギー政策です。未曾有の人災に見舞われた福島第一原発事故後、いったんは原発依存を見直す雰囲気となり、その後の政権では原発の新増設や建て替えは「想定しない」としてきていました。

ところが昨年末、岸田文雄首相は、(1)次世代原発を開発・建設、(2)既存原発の60年超の運転を認める、という「GX(グリーントランスフォーメーション)」基本方針を決定し、原発回帰の姿勢を鮮明にしたのです。

「ロシアのウクライナ侵略で世界的なエネルギー危機が生じているから」と岸田政権は言います。

理念も信念も無い国の一条の光

一見、正論のように聞こえますが、つまりは「事情が変われば前提を覆すこともある」「窮すれば約束も保護にする」ということです。煎じ詰めれば、「政権運営者としての理念も信念もなく、行き当たりばったりに過ぎない」ということではないでしょうか。

そんな理念も信念も無い国に暮らしているからこそ、過酷な状況の中でもぶれない理想に向かって進もうとする「もーもーガーデン」に一条の光を感じるのかもしれません。

先日、「もーもーガーデン」という、被爆した牛の牧場が福島県大熊町にあることを知りました。 大熊町は、東日本大震災時の原発事故で、今も町の半分が帰還困難区域になっている場所です。

そのため、立入ることができるのは日中のみ。しかも役所の許可が必要で、インフラ整備もされていません。

そんな大変な土地で、飢えに苦しみ、さまよっていた牛を柵内に囲み、牛の「食べて、出す」 力を借りて、①農地を再生し、②山林を保全し、③動物 (野生動物も)と人間と自然の共生を目指す事業を展開しているそうです。

アフガニスタンの若者たちと、日本の若者たち。経済的な豊かさだけでは測れない、希望と絶望を分けるものは、いったい何なのか。番組を見ながら、ずっと考えていました。

たどり着いたのは、「周囲のおとなの違い」ではないかという結論でした。

たとえば、『希望と絶望の分岐点(1)』で書いた「英語教師になりたい」という少年の義兄は次のように話していました。

「(少年はアフガニスタンから逃げてきて)友達と離れて、ひとりで寂しそうだった。本人も手伝いたいと言うし、本人のためになると思ってここ(揚げパン屋)に連れて来た。本当は勉強させてあげて、大学へ行かせてやりたい。自分がやりたいことを選べる人生を送って欲しいから」

これを聞いて、「私だって、自分の子どもに対して同じように考えている」という日本人も多いのではないでしょうか。

日本人のおとなの多くは

しかし、その中身は違うように感じました。アフガニスタンのおとなたちは、「この厳しい現状のなかでも、子どもが自ら最善の道を選べるように」と考えています。

対して、日本のおとなの多くは、まず、おとなの側が選択肢を示します。
必ずしも言葉ではなくても、態度や自分の生き様、ちょっとしたため息などで「これか、あれか、それを選ぶべき」と、子どもに伝えています。

子どもが「学びたいことがあり、大学に行きたいから」ではなく、「大学を出ないと世の中で通用しない(と思い込んで)」子どもにお金や時間を注ぎ込み、それを愛情だと信じて、子どもに期待をかけます。

私は自分らしい人生を選択できているか

そして何より、日本のおとな自身が「こうでなければ」に囚われて生きています。自分の道を切り開いて行こうとするのではなく、日本社会が是とする道からはみ出さないよう、周囲を見て、自分が浮かないように生きています。

「自分が潰されてしまうくらいなら」と故郷を後にし、「自分の人生は自分で切り開いていける」と信じ、進んで行くアフガニスタンのおとなとはまるで違います。

希望と絶望の分岐点。それは自分を偽らず、自らの意思で、自分らしい人生を選択できているかどうかなのではないでしょうか。

はたして私はどうなのか。改めて考えさせられた番組でした。

番組を見て驚いたのは、そんな大変な生活の中でも、多くの人が「未来」や「希望」を語っていたことです。

緑内障の治療のため、バスで22時間かけて病院へ行くという30歳の青年は
「少しでも良くなったら飲食店を立ち上げたい。人間は希望を持っているから生きて行ける。僕は希望を持って前へ進む」
と話していました。

中学3年生で逃げてきたというあるレストランスタッフは、
「希望は捨てていない。いつか学校へ戻れる日が来ると信じている」
と言います。

露店で、義兄とともに揚げパンを売っていた13歳少年は、今は学校に行けていなくても「夢は英語教師」と、覚えたての英語を披露してくれました。

「先の見えない生活」の中にいても、当然のように前に進もうとする人々の瞳は輝いていました。

一か所にカメラを据え、そこにやってくる人々の人生や生活などの人間模様を72時間にわたって定点観測する NHKの『ドキュメント72時間』というドキュメンタリー番組を見ました。

その日の舞台は、パキスタンの首都イスラマバード。アフガニスタン料理のレストランから始まりました。わざわざ「始まった」と書いたのは、なんと撮影開始早々にレストランから撮影を拒否されてしまったから。

その後の撮影は、レストラン近くのストリートで行われ、そこで出会った人の自宅を訪れるなど、異例の展開になっていきました。

身の危険を感じる人がいたため撮影拒否

番組の後半、その理由が明らかになりました。レストランのオーナーが「ドキュメンタリーは価値のあることだからOKしたけれど、お客の中にはタリバンを恐れ、カメラに映ることさえも嫌がる人がいた」と、突然の取材拒否を謝罪したのです。

NHKの同番組(『異国の地 アフガニスタンの食堂で』)の紹介ページには、「40万人以上が隣国パキスタンに逃げてきた」とあります。身の危険を感じる人も多くいたのでしょう。

先の見えない生活

このレストランのスタッフ25人も、全員アフガニスタンから逃げてきた人たちです。彼らは夜になると店内のいたるところで雑魚寝し、朝になると仕込みを始めるそうです。

3人の子どもと妻と一緒に、18時間かけて逃げてきたというコピー店で働く男性は、「日々の食事はタマネギとジャガイモを炒めたものだけ」と話していました。

ストリートで物乞いする女性と小さな子どもたちもいました。ひとりやふたりではありません。何十人という女性や子どもが、みな夫や父親などの大黒柱を失い、買い物客がナンを恵んでくれるのをひたすら待っていました。

アフガニスタンから避難してきた人が夜になると集まるサッカーグラウンドでは「難民として生きるのは大変だし、みんな経済的問題も抱えている」と語られていました。

どの人も、命からがら逃げ延び、異国の地で、先の見えない生活を送っているように見えました。

問題行動、反社会的行動のバリエーションはさまざまです。

刃物を持って人を切りつける“事件”のようなかたちもあり得るし、自殺という方法もあり得ます。そこまで行かなくとも、いじめや過度のゲーム依存などによって顕在化することもあります。

こうした行動を止めるためには、表面的に見えるその言動に注目するのではなく、その子どもの心の中に深く醸成された自己破壊衝動をどうにかするしかありません。

3月1日の事件後、防犯ジャーナリストなる人が、事件を防ぐ方法として、容易に外部の人間が入れないようセキュリティを強化するとか、監視カメラを駆使するなどの話をしていましたが、まったくの筋違いです。

壁を高く、鍵を頑丈にしても、またそれを破って事件を起こす人間が増えるだけでしょう。ただのいたちごっこにすぎません。

2023年3月1日の昼間、埼玉県戸田市の中学校にナイフを持った17歳の少年が侵入し、男性教員を傷つける事件が起こりました。

殺人未遂容疑で現行犯逮捕された少年は、「だれでもいいから人を殺したいと思った」と話しているそうです。
また、戸田市の隣にあるさいたま市では猫の死骸が校庭や公園に放置される事件が2月に5件起きていて、少年は「自分が殺した」とも供述しているとか。

話は少しそれますが、先進38カ国の子どもの幸福度を調査したユニセフ報告書「レポートカード16」(2020年9月発表)によると、日本の子どもの身体的幸福度は1位、精神的幸福度は37位でした。

つまり、「物質的には恵まれいても、心は満たされていない」ということです。
物に溢れ、飢えが無く、衛生的で、あらゆるものがそろった環境にいても、それだけでは人は幸せを感じないということです。

ヘンリー王子の生き様は、その事実を改めて、私たちに突きつけています。

イギリスのチャールズ国王の次男ヘンリー王子の自叙伝『Spare(原題)』が話題になっています。

『東京新聞』(23年1月7日)によると、ヘンリー王子は著書の中で、①結婚した翌年に自宅を訪問した兄が、王子の妻・メーガン妃を「不愉快だ」と言い、口論の末、自分を床にたたきつけたこと、②エリザベス女王死去の際には、父からメーガン妃を連れて来ないように言われたこと、など「家族の不和」を物語るエピソードを明かしています。

また、17歳でコカインを吸引したことや、陸軍時代にアフガニスタン戦争で敵の戦闘員25人を殺害したことなども告白しているそうです。