社会の犠牲者(2)
私たちは、自分の生命が脅かされたとき、防衛のための手段を取ります。最もポピュラーな方法は、「逃走」(逃げる)です。
草原でオオカミに出会った羊は、あらゆる神経を集中させて逃げます。そうして生き延びる道を探すのです。
「窮鼠猫を噛む」
本来は勝てるはずもない相手に対し、攻撃をしかけます。文字通り、命を賭けた大ばくちに出るのです。
「窮鼠猫を噛む」です。
殺人未遂容疑で逮捕された高校2年生は、まさにそんな状況まで追い詰められていたのではないかと思えて仕方がありません。彼には、「受験をしない」という選択肢などあり得なかったのではないでしょうか。
防衛的反作用
敬愛するE・フロムは『破壊 人間性の解剖』(作田啓一/佐野哲郎 訳・紀伊國屋書店)のなかで、こんなふうに書いています。
「攻撃活動を引き起こす条件のすべてに共通しているのは、それらが死活の利害への脅威となっていることである。個体や種の生存への脅威に対する反応として、対応する脳の諸領域において、生命を守るための攻撃の動員が行われる。つまり、系統発生的に計画された攻撃が動物や人間に存在する場合、それは生物学的に適応した、防衛的反作用なのである」(150ページ)
東大合格は死活問題?
そして、自分の努力の原動力を「順位」「ライバル意識」と書き、将来の自分に向けた悦の文章には「競争に勝て」「上に進む」といった言葉が並んでいたといいます(『東京新聞』22年1月22日)。
高校生がどんな生育歴を持つのはも分からないなかでは、何も明確なことは言えません。しかし、上記のような考えを持ち、「東大に入ろうとする人を殺(攻撃)し、自分も死のう(破壊しよう)と思った」という供述からは、分かるのは、高校生にとって東大合格はまさに死活問題だったということです。
自分への懲罰
もしそうであるならば、望みがかなわないなら、自分をそんな目に遭わせた対象を破壊するか、期待に応えられない=存在価値の無い自分を破壊するしか無いと考えたしても不思議はありません。
もしかしたら、「東大に入れないダメな自分」が許せず、自分を罰したかったのではないかとも思えます。
摂食障害の人たちが万引きをし、たびたび捕まるというサイクルを繰り返すように。