生育歴が無視される裁判員制度(8/9)

2019年5月29日

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しかも裁判員制度の導入によって犯罪が減ることはけしてないのです。
前々回に書いた調査官の方の言葉をもう一度紹介したいと思います。

「子どもは『理解された』という体験があってはじめて、罪を反省し、刑も受け入れることもできる。そこが省略されてしまえば『どうせ俺はワルだ』と開き直り、再び罪を犯す子どもが増えるだけだ」

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“問題児”と重なる姿

この調査官の言葉は、私が出会ってきたいわゆる“問題児”と言われる子どもの姿とも重なります。

バイクの無免許運転などで何度も補導されていたある少女。街行く人がみんな振り返るほどに派手な化粧や服装で夜の街を徘徊していた少女。万引きが止められず、教護院(現在の児童自立支援施設)に入った少年・・・。

求め、信じたあげくに裏切られるかもしれないという恐怖。たとえ“まっとうな”人間になっても自分を認めてくれる人と出会えないかもしれないという絶望観。
「もしかしたらどこかに、そんな自分を理解し、手を差し伸べてくれる人がいるかもしれない」
という、淡い期待を断ち切ろうと、どんどん自分を周縁へと追い込んで行きます。

無意識のうちに

それはたとえば、子ども時代に性的虐待を受けた人が、わざと危険な場所に身を置いて再び性被害に遭ったり、水商売の世界に飛び込んだりするのと似ています。

救いを求めながらも、「自分には救われる資格などない」と思い知らせるため、そして「それは自分のせいなんだ」と納得させるため、わざと奔放な行動に出ては危ない目に遭い、傷の上塗りをしていきます。

いくら本人が「止めよう」「どうしてこんなことになってしまうんだ」と思っても、自分に寄り添ってくれる人を得て、その問題と向き合うようにならない限り、行動をコントロールすることはできません。

知らず知らずのうちに、手を差し伸べようとした相手があきれ果て、見捨てるように仕向けてしまいます。相手の期待を裏切っては疲れさせ、差し伸べられた手を振り払って相手が去って行くように振る舞ってしまうのです。(続く…

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