考えてみれば、私たちカウンセラーは、たとえ震災がなくても、原発事故がなくても、「非常事態」の中でどうにかこうにか生きている人たちと常にお会いしています。
とくに子どもにいたっては、毎日が「緊急事態」という中で、がんばって、がんばって、かろうじて生き延びているケースが少なくありません。
考えてみれば、私たちカウンセラーは、たとえ震災がなくても、原発事故がなくても、「非常事態」の中でどうにかこうにか生きている人たちと常にお会いしています。
とくに子どもにいたっては、毎日が「緊急事態」という中で、がんばって、がんばって、かろうじて生き延びているケースが少なくありません。
被災した方々の「現実の問題」の解決には、莫大なお金がかかります。
行方の分からなくなっている肉親を探したり、可能な限り今までと同じ生活を保てるようにしたり、無くした仕事や家、残ったローンの心配をしないようにしたり、将来につながる見通しのある生活を保障したりしなければならないのですから、当然です。
しかも一人ひとりまったく違うニーズを把握してからでないとなかなか前には進めません。
立ち直りまでの生活に膨大な時間がかかる方もおられるでしょう。
何重もの、金銭的、人的支えが必要な場合もあると思います。
たとえば、「毎晩、津波にのみ込まれる夢を見て眠れない」とか「亡くなった母親のことが頭から離れず、涙が止まらない」というのであれば、それは「心の問題」と考えていいかもしれません。
しかし「いつ自宅に戻るか分からない、先の見えない生活が不安で眠れない」とか「放射能を逃れ、仕事のある夫を福島に残して母親と子どもだけで避難した。以来、気分が塞ぎがち」などというケースはどうでしょうか?
これも同じように「心の問題」と考え、カウンセリングを受けたり、投薬治療をすれば済む話なのでしょうか?
今回の震災以後に限ったことではありませんが、「心のケア」が、まるで「すべての問題を解決できる魔法の手段」であるかのように喧伝されることに、とても違和感を覚えています。
かつて「スクールカウンセラーの配置」が決まったときにも、
「なぜ毎日多くの時間子どもと接する教員を増やすのではなく、月に数回、限られた時間内でしか子どもに関われないカウンセラーを派遣するのか?」
と疑問に思いました。
このブログの2回目で紹介した高校生が言うとおり、ごく普通に考えれば、ほとんどの子どもは「初対面のカウンセラーよりも、よく知っている先生に話を聞いてもらいたい」と思うはずだからです。
戦争で親を亡くした子どもの研究から、「愛着(アタッチメント)」という「特定の養育者との情緒的な結びつき」の大切さを述べた児童精神科医にジョン・ボウルビィという人がいます。
ボウルビィは愛着対象(養育者/多くの場合は親)を失った子どもは、
(1)抗議(親が戻って来ることを期待して泣き叫んだりする)
(2)絶望(親が戻ってこない現実を認め、激しい絶望と失意を感じる)
(3)情緒的な離脱(親に代わる者の発見と結合)
という三段階を経て回復すると述べました。これを「悲哀の過程」といいます。
確かに、元気な子どもの存在は私たちおとなにパワーを与えてくれます。子どもの笑顔は気持ち和ませてくれますし、楽しそうに遊ぶ姿は未来を感じさせてくれます。震災で、原発事故で、失いがちな希望という“ろうそく”に火を点してくれます。
だからついつい子どもに向かって「がんばろうね!」と声をかけてしまいたくなります。
でも、ちょっと待ってください。
子どもは「おとなのために」存在しているわけではありません。子どもはおとなを元気にするためにいるわけではありません。
安易な「がんばれ」の声かけは、被災者をよけいに苦しめます。
「早く元気になりたい」
「応援してくれる人に報いたい」
「いつまでも落ち込む姿を見せたくない」
多くの被災者の方はそう思っているはずです。そんな方に「がんばれ!」と呼びかければ、たとえどんなに辛い心境にあっても「がんばる!」と応えようとしてしまいます。
大変そうにしているおとなの前では、子どもが自分の大変さを絶対に出せないのと同じです。
まったく私的な話からはじめて恐縮ですが、私が『いいかげんに生きよう新聞』なるものの存在を知ったのは、もう○十年も前のことです。
本屋でたまたま目に入った『生きるのが怖い少女たち 過食・拒食の病理をさぐる』(光文社刊/斎藤学著)という一冊の本を手に取ったときでした。
この本に出会うまで、「過食・拒食」という概念があるということなど、まったく知りませんでしたし、ましてや新聞の発行元であるNABA(日本アノレキシア・ブリミア・アソシエーション)や、著者である斎藤顧問のことも、何一つ知りませんでした。
私たち人間はだれしも、「厳しい現実」を見たくありませんし、「安心して暮らしたい」と願っています。
だから、耐えられない現実に出会ったとき、それを「無かったこと」(否認)にしたり、わき上がってくる不安や恐怖を「意識の外に閉め出す」(抑圧)ことなどをして、自分を防衛します。
原発事故を前に「原発は安心安全なはず」と戸惑い、「(政府の言う)10キロ圏内の避難計画しか立てていなかった」などと言う報道を見ると、あるDV被害女性のセリフを思い出します。
彼女は夫との生活を振り返り、こう言いました。
かくしてだれもが、ますます自分の思いや願いにはふたをし、意見を飲み込み、多数に黙々と従うサイレント・マジョリティーに仕立て上げられていきます。
その総仕上げを担うのがマスコミです。
日本の大きなメディアは、権力を批判し、監視するジャーナリズムという役割を捨て、政府・財界と一体化し、自らも権力となってしまいました。もちろんフリーランスの人やネット上のメディアなどではジャーナリストたろうする動きは、ずっとあります。でもその影響力は大メディアとは比べものになりません。
今回は大手のメディアでも「福島原発事故発生時に東京電力会長が大手マスコミ幹部を接待旅行に行っていた」とのニュースを流しました、原発震災が起こらなければ、こうした報道は、まずされなかったことでしょう。