戦争で親を亡くした子どもの研究から、「愛着(アタッチメント)」という「特定の養育者との情緒的な結びつき」の大切さを述べた児童精神科医にジョン・ボウルビィという人がいます。
ボウルビィは愛着対象(養育者/多くの場合は親)を失った子どもは、
(1)抗議(親が戻って来ることを期待して泣き叫んだりする)
(2)絶望(親が戻ってこない現実を認め、激しい絶望と失意を感じる)
(3)情緒的な離脱(親に代わる者の発見と結合)
という三段階を経て回復すると述べました。これを「悲哀の過程」といいます。
戦争で親を亡くした子どもの研究から、「愛着(アタッチメント)」という「特定の養育者との情緒的な結びつき」の大切さを述べた児童精神科医にジョン・ボウルビィという人がいます。
ボウルビィは愛着対象(養育者/多くの場合は親)を失った子どもは、
(1)抗議(親が戻って来ることを期待して泣き叫んだりする)
(2)絶望(親が戻ってこない現実を認め、激しい絶望と失意を感じる)
(3)情緒的な離脱(親に代わる者の発見と結合)
という三段階を経て回復すると述べました。これを「悲哀の過程」といいます。
確かに、元気な子どもの存在は私たちおとなにパワーを与えてくれます。子どもの笑顔は気持ち和ませてくれますし、楽しそうに遊ぶ姿は未来を感じさせてくれます。震災で、原発事故で、失いがちな希望という“ろうそく”に火を点してくれます。
だからついつい子どもに向かって「がんばろうね!」と声をかけてしまいたくなります。
でも、ちょっと待ってください。
子どもは「おとなのために」存在しているわけではありません。子どもはおとなを元気にするためにいるわけではありません。
安易な「がんばれ」の声かけは、被災者をよけいに苦しめます。
「早く元気になりたい」
「応援してくれる人に報いたい」
「いつまでも落ち込む姿を見せたくない」
多くの被災者の方はそう思っているはずです。そんな方に「がんばれ!」と呼びかければ、たとえどんなに辛い心境にあっても「がんばる!」と応えようとしてしまいます。
大変そうにしているおとなの前では、子どもが自分の大変さを絶対に出せないのと同じです。
まったく私的な話からはじめて恐縮ですが、私が『いいかげんに生きよう新聞』なるものの存在を知ったのは、もう○十年も前のことです。
本屋でたまたま目に入った『生きるのが怖い少女たち 過食・拒食の病理をさぐる』(光文社刊/斎藤学著)という一冊の本を手に取ったときでした。
この本に出会うまで、「過食・拒食」という概念があるということなど、まったく知りませんでしたし、ましてや新聞の発行元であるNABA(日本アノレキシア・ブリミア・アソシエーション)や、著者である斎藤顧問のことも、何一つ知りませんでした。
私たち人間はだれしも、「厳しい現実」を見たくありませんし、「安心して暮らしたい」と願っています。
だから、耐えられない現実に出会ったとき、それを「無かったこと」(否認)にしたり、わき上がってくる不安や恐怖を「意識の外に閉め出す」(抑圧)ことなどをして、自分を防衛します。
原発事故を前に「原発は安心安全なはず」と戸惑い、「(政府の言う)10キロ圏内の避難計画しか立てていなかった」などと言う報道を見ると、あるDV被害女性のセリフを思い出します。
彼女は夫との生活を振り返り、こう言いました。
かくしてだれもが、ますます自分の思いや願いにはふたをし、意見を飲み込み、多数に黙々と従うサイレント・マジョリティーに仕立て上げられていきます。
その総仕上げを担うのがマスコミです。
日本の大きなメディアは、権力を批判し、監視するジャーナリズムという役割を捨て、政府・財界と一体化し、自らも権力となってしまいました。もちろんフリーランスの人やネット上のメディアなどではジャーナリストたろうする動きは、ずっとあります。でもその影響力は大メディアとは比べものになりません。
今回は大手のメディアでも「福島原発事故発生時に東京電力会長が大手マスコミ幹部を接待旅行に行っていた」とのニュースを流しました、原発震災が起こらなければ、こうした報道は、まずされなかったことでしょう。
おかげですっかり、私たちの精神には「他人様のお世話になるのは恥ずかしいこと」という考えが染みこんでいます。
そして、「世間様に後ろ指を指されない人間でなければならない」という思いに縛られています。
自分の意見があっても飲み込んで、多数に合わせて、多数に迷惑をかけないように振る舞うことが「おとなの態度」と言われてしまったりもします。その多数の言っていることが、どんなに理不尽で、どんなにおかしかったとしても・・・。
日本の学校教育は、まさにこうした「多数(社会)に逆らわず、耐える人間」を育てることにずっと貢献してきました。
たとえばランドセル、制服、学習指導要領に校則などがその道具に使われてきました。子どもは「なぜ従わないといけないのか」も分からないまま、合理的な理由もないのに、これらを黙って身につけ、従うしかありません。
同書は、「助けてと言えない」のは、競争教育、過度の自己責任論の洗礼を浴びてきた30代の特徴と位置付けていますが、はたしてそうでしょうか?
今回の大震災・原発事故で、避難所に入ることを余儀無くされた人々のインタビュー風景を見るたびに、そのことを考えさせられます。
東北地方太平洋沖大震災と、原発事故によって被災された方、大切な方が被災された方、そして被災された地域に心よりお見舞い申し上げます。
前回のブログを更新した後、あまりにもいろいろなことが起こりました。
更新したのはつい昨日のような気もしますし、もう遠い昔のような気持ちもします。
この2週間あまりのうちに、私たちの日常はとても大きく変わってしまいました。
ほとんど震災の影響は受けなかった地域でも、停電や放射性物質・放射能汚染の被害、それらを恐れての買い占めなどなど、さまざまな生活面、精神面での負担が広がっています。
恐ろしい津波や原発の映像を何度も見せられることによるダメージもあります。私のクライアントさんの中にも、繰り返される映像によって不眠や過覚醒、食欲不振などに陥っている方もおられます。
私もごく身近で、そんな日本社会の残酷さを実感することがありました。つい数日前のことです。
夜8時過ぎ、ふいに家中の電器が消え、真っ暗な静寂がおとずれました。一瞬「ブレーカーが落ちたのかな?」とも思いましたが、とくに電力消費量の多い器具を点けたわけでもありません。
慌てて懐中電灯を探し、外に出て、他のお宅の様子も見てみようとしたところ、フッと部屋中の電気が点り、あちこちから「ブーン」という家電製品の放つ低い音が聞こえてきました。ほんのつかの間の停電でした。
外に出ると、いつもの風景。どの家からも灯りが漏れています。まるで何事もなかったかのようです。
唯一、停電があったことを確認できるサインと言えば、裏の公園の電灯が消え、公園が闇に包まれていたことでした。