「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(7/8)

2019年5月29日

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被災した方々の「現実の問題」の解決には、莫大なお金がかかります。

行方の分からなくなっている肉親を探したり、可能な限り今までと同じ生活を保てるようにしたり、無くした仕事や家、残ったローンの心配をしないようにしたり、将来につながる見通しのある生活を保障したりしなければならないのですから、当然です。

しかも一人ひとりまったく違うニーズを把握してからでないとなかなか前には進めません。
立ち直りまでの生活に膨大な時間がかかる方もおられるでしょう。
何重もの、金銭的、人的支えが必要な場合もあると思います。

安上がりな「心のケア」

数々の手間がかかり、時間がかかり、費用のかかる「現実の問題」に取り組むことに比べ、「心の専門家」を派遣して行う「心のケア」は、安上がりで、とても手っ取り早いことでしょう。
しかも一見すると、ちゃんと被災者一人ひとりと向き合っているようにも見えますから、多くの人が納得する行為でもあります。

こうしたやり方は、たとえば競争・格差社会をつくっておきながら「自殺者が増えたから『心のケア』をする」と言うこと。
そんな社会で子育てがうまくできない親を増やし、圧倒的に人手が足りない乳児院や児童養護施設の職員の配置状況はそのままにして、「入所する子どもが増え、大変なケースが増えたから」と心理職を置くこと。
前に述べたように正規教員を減らしてスクールカウンセラーを導入したりすること。

・・・そうした手法と、とても似ています。
本質的な部分には手をつけないでおきながら、あたかも「当事者のことを考えている」ような雰囲気がするところも同じです。

本質を見極めることが大切

社会全体の動き、ものごとの本質を見つめることは大切です。それをしておかないと、私たちカウンセラーは知らず知らずのうちに「現実の問題」を封じ込め、安上がりな「心のケア」に手を貸す要員になってしまうことにもなり得ます。

何しろカウンセラーはついつい「苦しんでいる人にどうか少しでも楽になってほしい」と、何かしら働きかけたくなります。自分が学んできた心理学や療法、臨床経験が「人の役に立つものであって欲しい」と切に願っています。それはもう、身につけた習性と言ってしまってもよいかもしれません。

しかし、もしそれがまったくの善意だとしても、結果として「現実の問題」を「心の問題」にすり替えてしまうおそれがあるのだとしたら、それは罪深いことです。

そんなことにならないようにするためには、日本社会の現状をしっかりと見つめた上で、多くの犠牲を出した、いえ、今も出し続けている東日本大震災と向き合い、カウンセラーにできること、やるべきことをきちんと整理し、被災者の方々を苦しめている根本的な原因を取り除くことのできる「心のケア」に取り組まなければならないのではないでしょうか。

それはときに、「カウンセラーだからこそ」の苦言であったりするかもしれません。(続く…

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Posted by 木附千晶