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生活も職も心も不安にさらされている人たちの問題に取り組んでいる作家の雨宮処凜さんの近著『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)によると、日本では今「16分にひとりが命を絶っている」(38ページ)そうです。

さらに同書は、生活困窮者の支援をしているNPO「自立生活サポートセンター・もやい」の湯浅誠氏の唱える「五重の排除」ーー「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分自身からの排除」という概念も紹介し、「この『自分自身からの排除』は、まさに自殺の問題と地続きだ」(42ページ)と書いています。

チュニジアで始まった反政府デモが、アフリカや中東諸国に広がっています。さらにアジア圏である中国でも、インターネット上で国民が抗議行動を呼びかけ、人権活動家たちが警察の拘束下に置かれる騒ぎになっています(参照)。

エジプトのムバラク大統領が退陣を余儀無くされた後、世界各地のいくつもの報道番組が「なぜエジプトで大規模デモが成功したのか」を取り上げていました。

そんな多くの番組の中で、とく印象に残った発言がありました。
正確な番組名(おそらくアメリカの報道関係者が製作したもの)を残していなかったので不確かな情報になってしまいますが、2月11日夜20時前後にNHKのBSで放送していた討論会でのある識者の発言です。

その識者は、「エジプトで、若者による大規模なデモが起きたのは教育に問題があったからだ」と言ったのです。

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そう、あくまでも「取材や執筆に活かせる知識を得たい」というのが、心理を学ぶ理由だったのです。

ところが大学院の授業の一環として、臨床実習が始まると、その気持ちに変わっていきました。

まず、それまで取材を通して経験的に感じていた「『ありのままの自分を受け入れてくれる居場所(人間関係)がどこにもない』ということこそ、人が創造的に生きられない理由に違いない」との思いがどんどん膨らんでいきました。

それと同時に、クライエント(患者)さんとお会いすることで、新しい驚きや喜びを感じるようになったのです。

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私が取材で会った子どもの中には、この「一時保護」そのものが、トラウマになっている場合もめずらしくありませんでした。

「人見知りをしなかった子どもが、男性を怖がるようになった」
「ひとりで留守番させようようとすると『警察が連れに来るかも知れない』とおびえる」

・・・そんな声も聞かれました。

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それは、オウム真理教(現アーレフ)事件の取材を続けている中でのことでした。

地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日。事件後、すぐに容疑者はオウム真理教に絞られ、出家信者たちが住んでいたサティアンや道場では、連日のように強制捜査が行われ、テレビも新聞も、雑誌も、街の話題も、文字通り「オウム一色」でした。

あらゆるマスコミがサティアンの前に張り付き、些細なことまでリアルタイムで報道し、「いかにオウムがひどい集団か」という情報が、真実かどうかも検討されないまま飛び交っていました。

新年、あけましておめでとうございます。

このブログを始めて5年目に入りました。長年、おつきあいいただいているみなさまに、改めてお礼を申し上げたいと思います。

「お花の種」を描いた子ども

ところで、つい最近のこと。
とある研究会に参加した際に、子どものセラピーをしているあるカウンセラーさんが、その方のクライエントである、ひとりのお子さんが描いた絵について、こんな話をしてくれました。

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子どもの権利条約に基づいて批准国の子ども状況を審査する国連「子どもの権利委員会」は、「ADHDについても薬物治療されるべきものとみなされており、社会的決定要因に対して考慮が払われていない」との懸念を示しました(2010年6月)。

つまり、国連からも日本のADHDを含む発達障害のとらえ方、治療法は疑問視されているということです。

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たびたびこのブログでも書いてきたように、こうしたことはもちろん、個々の親のせいではありません。
「幸せとは何か」を見失ってしまった社会の当然の産物です。

発達障害という“くくり”

それから発達障害という“くくり”もくせ者です。

この発達障害という“くくり”をよく耳にするようになったのは2003年頃から。

4歳児を全裸にして立体駐車場の屋上から突き落として死亡させた事件(長崎県)で補導された男子(当時中学1年生)が、脳の機能障害とされる広汎性発達障害のひとつであるアスペルガー障害とされた頃から頻繁に聞くようになりました。

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そしてさらに言えば、物理的な時間や余裕があっても、子どもの気持ちを受け止める大切さを見失っているおとなもたくさんいます。

前回も紹介した「子どもの声を国連に届ける会」のべつな子どもは、国連でのプレゼンテーションの中で、いじめについて周りのおとながどう反応したのかをこう語っています。

「クラスの男の子たちから『死ね』『っていうかうざくね?』などと言われ、教室に入れなかった。行き場所もなく泣きながら保健室に行くと、『熱がないなら戻りなさい』と入れてくれなかった。トイレに逃げると猫なで声で先生たちが『大丈夫なの?』『早く出てきない』と説得に来た。
両親に話すと、父は『そんなの社会に出ればよくあること。俺だっていじめられている』と言い、母は『全員殺してやる』という私の言葉に『全員もどうやって殺すの?』と言うだけだった」

勇気を振り絞って言葉にし、辛さを態度で示しても、こんなふうにおとなから返されたら、もう二度と相談する気持ちになどなれないでしょう。

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そうそう「こころのケア」で思い出しました。

最近、暗澹たる気持ちになったもののひとつに、さいたま市教育委員会が出したいじめに関する緊急アピールがありました。

アピールは群馬県や千葉県で、いじめを受けていた小中学生の自殺が相次いだことを受けて出されたもの。タイトルは「とても大切なあなたたちへ」で、市内の小中高校と特別支援学校全164校に配布したそうです。