「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(4/8)

2019年5月29日

戦争で親を亡くした子どもの研究から、「愛着(アタッチメント)」という「特定の養育者との情緒的な結びつき」の大切さを述べた児童精神科医にジョン・ボウルビィという人がいます。

ボウルビィは愛着対象(養育者/多くの場合は親)を失った子どもは、
(1)抗議(親が戻って来ることを期待して泣き叫んだりする)
(2)絶望(親が戻ってこない現実を認め、激しい絶望と失意を感じる)
(3)情緒的な離脱(親に代わる者の発見と結合)
という三段階を経て回復すると述べました。これを「悲哀の過程」といいます。

喪失体験に共通する理論

現在、この「悲哀の過程」についての理論は、近親者を失うという体験だけでなく、死に直面した人間の心理、身体機能の喪失、環境の変化に伴う反応などなど、さまざまな喪失体験に共通するものと理解されています。

さらに、大切な対象の喪失にともなってこのような段階的な過程を必要とするのは子どもだけではなく、私たちおとなにも同様だということも、分かっています。

永遠に一緒にいられるはずだと思っていた大好きな人を失う失恋体験を想像していただければ、その気持ちの変化は容易に想像できることでしょう。

封印したはずの感情が噴出することも

大事なものを亡くした人が当然たどる心理過程を考えたとき、今、日本中にあふれる「がんばれ!」の声が、周囲の期待を感じ取り、それに沿うよう振る舞おうとする子どもに向かって発せられたとき、いかに有害かが分かるでしょう。

かけがえのない“だれか”を失い、家や土地を失い、生活を失い、地震や津波、原発事故という恐怖に震える子どもたちに向かって「いつまでもクヨクヨせず、早く前を向け!」というメッセージがいかに残酷なものになるのかは、想像に難くありません。

おとなが善意で発するプラスの声かけは、子どもが「今、感じるべき感情」にふたをし、抗議や絶望の過程をきちんと味わう時間を奪いかねません。それでは辛い出来事をいつまでも過去のものにできず、将来、ふとした拍子に、思いもよらぬかたちで封印したはずの感情が噴出してしまうことにもなります。

「心のケア」の中身について考えたい

今、これまで以上に「心のケア」の大切さが叫ばれています。

これだけの大災害に見舞われたのですから、それは当然のことです。
でも、その中身についてはもう一度、立ち止まって考えてみる必要があると強く思います。

少なくとも、本当の「心のケア」とは、喪失体験をした当事者の思いや時間を無視して「がんばれ」と励ますことではないはずです。
さらに踏み込んで言えば、むやみやたらとセラピーをやったり、なんでもかんでも「心のケアとして解決する」というような種類のものでもないはずです。

つい最近、日本心理臨床学会がまとめた「『心のケア』による二次被害防止ガイドライン」でも、「安心感のない場で行うアートセラピーによって、けって子どもの心の傷が深くなる可能性もある」と指摘されています(『朝日新聞』2011年6月10日)。(続く…

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Posted by 木附千晶