「がんばらなくてもいい!」・・・そんな新しい社会へ(2/8)

2019年5月29日

安易な「がんばれ」の声かけは、被災者をよけいに苦しめます。

「早く元気になりたい」
「応援してくれる人に報いたい」
「いつまでも落ち込む姿を見せたくない」

多くの被災者の方はそう思っているはずです。そんな方に「がんばれ!」と呼びかければ、たとえどんなに辛い心境にあっても「がんばる!」と応えようとしてしまいます。

大変そうにしているおとなの前では、子どもが自分の大変さを絶対に出せないのと同じです。

いちばん心配なのは子どもたち

「がんばれ!」の影響がいちばん心配なのは、子どもたちです。

先ほども述べたように、子どもはおとなよりもずっと敏感に周囲の期待や希望を読み取り、それに添えるよう振る舞います。
おとなに愛され、世話をされなければ生きていけない「子ども」という存在が取らざるを得ない、当然の防衛策です。

そんな子どもという存在を考えたとき、被災地で展開されている「とにかく早く、通常通りの学校運営をしなければ」という動きが、とても気になります。

たとえば、土壌の放射能汚染が心配される中、福島県では多く学校がほぼ予定通りに入学式や始業式を行い、暫定的に上げられた国の安全基準を満たしているから「安全なんだ」という姿勢を崩さない自治体も少なくありません。

宮城県は例年通り4月1日付けで教職員の人事異動を発表し、原則、4月半ばまでには被害を受けた公立小中学校の再開を行うという考えを示しました。宮城県では300人近い子どもが死亡し、未だ行方不明の子も多くいます。亡くなった教師も、行方不明の教師もいます。助かった子どもや教師の中にも、家族や大事な人を失ったり、行方不明のままになっていたりする人もいます。

それなのに、通常通りの人事異動。そして教師の手が足りなければ「ひとりの教職員に前任校と新任校を兼務させる」という宮城県教育委員会の方針は、乱暴に思えます。

しかし、教育関係者ではない多くおとなたちにも「他の地域の子どもと学力差がつかないように」と、その姿勢を後押しする雰囲気が感じられます。

こうした状況について、宮城県に住むある高校生は、こんなふうに話していました。

「あまりにも子どもの目線がなくて悲しくなった。
小中学校の多くはいまだに避難所になっているし、親が行方不明の子もいる。

いつになったら普通の生活に戻れるのか目処も立たない中で、担任の先生まで異動してしまったら子どもはいったいだれに気持ちを受け止めてもらえるのか。
『スクールカウンセラーが心のケアにあたる』と言うけど、私なら初対面のカウンセラーよりも、よく知っている先生に話を聞いてもらいたい。

もし自分が小学生だったら、終業式も、離任式もないまま、先生といきなり会えなくなったら、すごく悲しいと思う」

「日常に戻る」ことは大切だけど

「日常に戻る」ことは、確かに大切なことです。
授業や部活を楽しみにしている子どもは多いでしょうし、大好きな先生と話ができたり、友達と思いっきり遊ぶことができる環境は子どもに力を与えてくれるでしょう。
何事もなかったときのように、学校に通い、学び、家でくつろぐ・・・そんな毎日を熱望している子どもはいっぱいいると思います。

しかしそれには、まずインフラをある程度整え、子どもが気持ちを整理できるような環境を(人間関係)を用意しなければなりません。

たとえば、ふかふかのお布団に眠ったり、プライバシーが保護された空間で暮らせたり、できたての食べ物を食べられたり、落ち着いて勉強できる場所が確保できたりて、「ここは安全なんだ」と感じられるような信頼できるおとなが身近にいて、はじめて可能になることではないでしょうか。

少なくともこうした基盤がまったくないうちから、被災していない地域の時間や都合に合わせて「日常生活に戻る」ように子どもたちを「がんばらせる」ことが、「日常に戻る」ことではないはずです。(続く…

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Posted by 木附千晶