「絆」って何?(7/7)
「傷ついても慰めてくれる存在がある」「恐い思いをしても戻ることができる場所がある」という確信は、子どもが外の世界を探索したり新しい物事にチャレンジする勇気をくれます。
こうした安全基地の感覚は、人間の成長度合いに応じて内在化され、そのうち母がいなくても自分を慰めたり、不安を沈めたり、勇気を奮い立たせたり、することができるようになります。
そして安全基地の内在化は、人間がだれかの言いなりになったり、従属したりすることなく、自分の人生を豊かにすることができる人間関係を選び取ること、自分を幸せにしてくれるひとときちんとつながりながら自分らしい人生を歩むことを可能にしてくれます。
「自由」をくれるものこそが「絆」
つまり本来あるべき“母ー子”関係を原点とする、人間を「自由」にしてくれる「絆」こそが、本当の意味で「絆」と呼ぶべきものです。
ここで“本来”とあえてつけさせていただいたのは、現実には実の“母ー子”関係であっても、「自由」を保障してくれるような、安全基地として機能するような関係はまれであることは重々承知しているからです。
本質を見失わずに
今、社会で喧伝されている「絆」は、はたして私たちに安心感や安全感をもたらすものになっているでしょうか。しがらみや支配から解放して自由にさせてくれるものだと言ってよいでしょうか。
もしかして少数の者だけが富を手にする格差社会にも物を言わず、和を乱さず(長いものにまかれて)、「すべきこと」を率先して行う(空気を読む)人間をつくり出そうとする「新しい公共」のように、私たちを縛るものにはなっていませんか。
本当であれば、社会で引き受けるべき子育てや介護を個人に押しつけるための方便になっていたり、「地域力」などの言葉で、相互監視社会を築き異端者をはじき出すものになってしまってはいないでしょうか。
東日本大震災以降、だれもが「つながりの大切さ」を実感している今だからこそ、「人間を豊かにする『絆』」の本質を見失わずにいたいものです。