これこそがまさに「ホスピタリティだ!」と思いました。
ちなみに、形や行動などで示す「マナー」は相手に不快感を与えないための最低限のルール。そこに「心」が加わると、「ホスピタリティ」になるのだそうです(『ホスピタリティの極意』)。
今回の旅行では、私もそんな南米の人々のホスピタリティにうんと助けられました。
これこそがまさに「ホスピタリティだ!」と思いました。
ちなみに、形や行動などで示す「マナー」は相手に不快感を与えないための最低限のルール。そこに「心」が加わると、「ホスピタリティ」になるのだそうです(『ホスピタリティの極意』)。
今回の旅行では、私もそんな南米の人々のホスピタリティにうんと助けられました。
確かにイグアスの滝がある国立公園内は、トレッキング用の遊歩道が整備されています。一部の区間ではトロッコ列車も走っています。
とはいえ、この国立公園の広さは東京都とほぼ同じくらい。ブラジル側が185,000ヘクタール、アルゼンチン側が65,000ヘクタールもありますから、足腰に自信の無い人、体力が心配な人、障がいがある人にとって、けっこう移動は大変です。
ところが、車いすユーザーの方たちが、いわゆる健常者とまったく同じように観光しているのです。公園内では、公園側が貸し出ししてくれるのか、他では見たことも無い頑丈なアウトドア用? 車いすも、たびたび見かけました。
京都旅行中、車いすユーザーと一緒だった東さんが、祇園でタクシーを止め、「車イスを乗せたいからトランクを開けてほしい」と言ったところ、運転手に「車イスは乗せられません」と言われたというのが、ことの発端でした。
東さんと一緒にいた友人が「お宅の会社の社長さんは友達や。このこと言うたら、あんたエライことになるで」という発言をTwitterに載せたことで、「脅迫ではないのか」、「そもそも介護タクシーを呼ぶべき」などの批判が相次いだのとのこと(『exciteニュース』2019年9月22日)。
こうした方法は、己の私利私欲を満たすために社会を一定の方向へと動かそうとする人々の“思うつぼ”にはまるだけではありません。危険因子を排除したつもりでいて、実は社会をさらなる危険へとさらしてしまう可能性があります。
何しろ私たちは、経済格差の問題や相対的貧困の問題が指摘され、「年金2000万円不足問題」に象徴されるほど、先行きが見えない社会に生きています。
「ワークライフバランス」だとか、「働き方改革」などの目標は掲げられていても、その恩恵に浴せる人はほんの一部です。
今回の事件で、私が恐ろしく感じたのは、こうした人々の負のエネルギーと、それをあおるマスコミ。そして、マスコミに提供された場を使って、感情のままに容疑者を罵倒する芸能人やそれに類するコメンテーターたちでした。
私も車を運転するので、自分勝手な運転にひやっとさせられたり、割り込まれていらっとした経験は多々あります。今回の容疑者の取った行為が、あおり運転の果てに相手の運転手を何度も殴るなど、身勝手極まりないものであることも明らかです。
しかしそうは言っても、社会を震撼させるほどの大事件とは言えません。それにも関わらず、なぜこんなにも注目されることになったのでしょうか。
馬の腸はとても長いため、体を動かせなくなると腸の胎動がすぐに止まってしまいます。そのうえ体が重いので、寝たままだと同じ場所に負荷がかかって内臓が壊死し始めます。いたずらに延命措置をすれば、馬は苦しんで死んでいくことになります。
7月18日午前10時半すぎ、京都のアニメ制作会社「京都アニメーション」の第1スタジオから出火し、従業員ら男女34人が死亡、34人が重軽傷を負うという放火殺人事件が起きました。
2016年7月26日に神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元同施設職員が侵入し、入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた事件を超える、平成以降最大の犠牲者を出した事件となってしまいました。
事件以来、スタジオの外に花束を置き、祈りを捧げる人の姿は止まず、被害者や家族を支援するためのネット募金には、数日で160万ドル(約1億7300万円)以上が集まったと言います。
各種報道では、一丸となって数々の名作を残してきたスタッフの尊い命が奪われたことを惜しみ、日本中から、いえ海外からも、亡くなった方々を悼み、アニメ界に与える打撃の大きさが語られています。
薄っぺらな印象論だけが先走っている
この事件でガソリンをまいて放火した疑いのある41歳の男性(容疑者)は、近くの路上で手足や胸をやけどした状態で逮捕され、病院に搬送されました。
その際、「パクりやがって」と言ったり、「小説を盗まれたから放火した」という趣旨の説明をしたことが報道されるも、「京都アニメーション」(同社)と関係は無く、アニメ会社の八田英明社長は「容疑者が小説を応募して来たことはない」と話しています。
容疑者は何らかの理由で逆恨みの感情を抱いていたのではないかとも言われていますが、本人が重体ということもあり動機はいまだ闇の中です。
そうしたなか、容疑者が2012年には茨城県坂東市でコンビニエンスストアに押し入り現金を奪ったとして強盗などの疑いで逮捕・起訴され懲役3年6か月の実刑判決を受けていたこと。生活保護を受けていて、精神的な疾患があるため訪問看護を受けたこともあったこと。大きな音を出したりして隣家の男性とトラブルになったり、警察が対応したこともあったことなどが報じられています。
「親戚」や「かつての同級生」や「刑務所仲間」などの「〜だった気がする」「〜な感じがした」などの薄っぺらい印象論だけが先走っています。
20リットルの携行缶二つ分の恨み
事件以前、容疑者は「失うものはない」「余裕が無いんだ」などと言っていたとの話もあります。「いったいどれだけたくさんのものを奪われ、恨みをため込んできた人生だったのだろう」と、彼の41年間について思いを巡らしました。
よほど「多くのものを奪われた」という感覚がなければ、世界中の人々に夢と希望を与えてきたアニメ会社を破壊し、人から心の支えを奪うなどというマネはできるはずがありません。
ぜひ生い立ちや動機の解明を
このブログのトップページにも書いたように、私たちはだれもが星屑に過ぎません。
私も、容疑者も同じです。宇宙のチリとして消えて行くしかないちっぽけな星屑が、「自分は唯一無二の存在」と感じられるためには、チリに過ぎない自分を「かけがえのない者」として受け入れてくれる他者が必要です。
容疑者の人生のなかにそんなだれかが一人でもいたのかどうか・・・。二度とこんな不幸な事件を繰り返さないために、ていねいな捜査や裁判、何よりも、容疑者が「語ってもいい」と思える環境をつくることによって、その生い立ちや動機をぜひ解明して欲しいと思います。
そんな「おとな都合」の社会から最も排除されがちなのは、「子ども」です。
自分一人では移動もままならず、何一つひとりではできない社会的弱者を体験させてもらうことになって、「ああ、子どものときってこうだった」と思い出すことが何回もありました。
おとなに大切なものを壊されて抗議すれば「だれが買ってあげたものなのか」と言われ、おとなたちが宴たけなわにお酒を楽しんでいるときに「早く帰りたい」と言えば「わがままだ」と言われたこと。