ヒトラー この悲劇的な事件を「容疑者の異常性の所産」に帰すことはたやすでしょう。事件後、逮捕された被告が「ヒトラーの思想が降りてきた」と話したなどの報道もありました。

 しかし、あの“異常”な、大量虐殺を平気でやってのけるヒトラーという人物をつくったのは、彼の過酷な幼少期でした。

 2012年に「生い立ちと人格」で詳述したように、幼い頃のヒトラーは、毎日のように父親にむち打たれ、名前も呼んでもらえず、犬のように指笛で呼びつけられていました。

 子どもの頃のヒトラーは、「何の権利も認められぬ名無しの存在」(『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(アリス・ミラー著/新曜社210ページ)で、それはヒトラー台頭時のユダヤ人の身分とそっくりでした。

 虐待を受けた者が、ストレスフルな環境に置かれると虐待者になってしまう「虐待の連鎖」については、よく知られていますが、ヒトラーはまさにその好例だったと言っていいのではないでしょうか。

ランドセル 国は、「子どもの相対的貧困率が12年ぶりに改善した」と胸を張りますが、沖縄県では5歳児のいる世帯の約2割が困窮のため「ランドセルが買えない」そうです(『東京新聞』18年7月13日)。

 また、17年11月、子どもの権利条約に基づく日本政府報告審査へのカウンターレポートを国連「子どもの権利委員会」に提出した『CRC日本報告書』では、「困窮が目立つひとり親世帯の総体的貧困率はバブル絶頂期の1991年から15年までほぼ同水準」と指摘しています。

 つまり、この国は、景気が良くても悪くても、子どもの貧困対策に本腰を入れたことなど一度も無い、弱者の痛みに無頓着な国だということです。

 推論でことを断じて生活保護受給者の差別を助長するような発言を繰り返すーー。これこそまさにヘイトクライムであり、相模原障害者施設殺傷事件で被告となった元職員が持っていたとされる「価値ある命」と「不要な命」を区別する優勢思想の現れと言ってもいいのではないでしょうか。

それを首長たる人物が堂々と行うのですから、こんな恐ろしいことはありません。

命を差別する首相

苦学生 しかし残念なことに、このような命を差別したり、役に立つものと立たないものを区別しようとするのは、吉村洋文大阪市長だけではないように思えます。
 
 何より、安倍晋三首相自身がその筆頭に立っています。前々回のブログでも書いた通り、安倍一強の長期政権のもと、大企業に優しく、労働者に厳しい格差社会が進みました。
 経済的に困窮する家庭が増えることは必至ですが、政府は2018年10月より生活保護費を削減する方針を固めています(生活保護費の削減)。

 今や進学費用や家計のため、アルバイトをせざるを得ない高校生ワーキングプアも増えていて、経済的に苦しい家庭の子どもを支援する公益財団法人「あすのば」の新生活応援給付金(16年度)を受けた2200人のうち、子どもと保護者約1500人から得た調査結果では、高校生の3割強が週平均3日、一日平均4.6時間アルバイトをして、スマートフォン代のほか、学校の費用や家庭の生活費などに充てているそうです。

かさむ家庭の教育負担

 収入の厳しい家庭が増加する中でも、「どうにかして“人並み”の学歴を付けさせたい」と願う親は多く、「学習費総額」は小中学校ともに増加傾向です(文部科学省 平成26年度『子どもの学習費調査』)。
 学習塾・予備校市場は少子化のなか拡大し、2015年度は前年比2.0%増の9570億円。早期英語教育需要の高まりを背景に英会話・語学学校市場は前年比1.0%増の3100億円になっています(『教育産業白書 16年版』矢野経済研究所)。

 奨学金利用者は増え、返還できず自己破産するケースが本人、連帯保証人、保証人へと広がって、延べ1万5000人にものぼっています(『朝日新聞』18年2月12日)。

 何しろOECDの統計によると、日本はまれに見る「教育費の公的支出度合いが低く、家計への依存度が高い」国。家庭が子どもにかかる教育費を負担する割合が3割を超え、データがある30カ国のなかで3番目に高いのです。

 とくに経済的に困窮する人が増え、それが「自己責任」として個人に押しつけられることが当たり前になってしまった昨今、「経済的に役に立たないもの」「自分の足で立つことができない者」への差別や悪意をむき出しにする人が増えているように思えます。

生活保護受給者への悪意?

生活保護 たとえば吉村洋文大阪市長です。

 吉村市長は「生活保護費は市財政の15%を占める」「保護費を目当てに大阪に来る人がいる」と、生活保護制度を問題視する発言を続けています(『東京新聞』2018年7月17日)。

『東京新聞』の取材によると、実際に市が負担している保護費と市長が言う金額にはだいぶ開きがあります。

 確かに、当初の市の一般会計の総額(1兆7千770億円)に対する生活保護費は一般会計の15.9%(2千823億円)にあたります。しかし、生活保護費はいったん自治体が全額を出すものの、その後、国が国の負担分(四分の三)を自治体に払います。そのため、市が実際に負担する額はかなり低くなります。

 同記事に載っている市福祉局総務課の回答では、現実に市が負担しているのは年50億~70億円で4%程度です。

推論から断定

「生活保護目的での転居が多い」との発言についてはどうでしょうか。この元になったのは市と大阪市立大学が行った受給者についての調査。それによると住民登録から1月未満で生活保護を受ける人が突出しているという結果が出ていたそうです。

 でも、調査では転居の理由は尋ねていないため、保護費目的だったかどうかはわからず、あくまでの市長の推論になります。

 また、同記事に登場する元ケースワーカーは「仕事を求めて来た人が、住民票を移す余裕もないまま職を探す。仕事が見つからず保護を受けるしかなくなり、受給の準備で住民登録をする。登録日の直後に保護を受けるのは何ら不自然ではない」とも話しています。

市長発言は印象操作

 こうした状況には触れず、印象操作とも言える発言を重ねる市長。その理由を尋ねたところ「(分析結果は)一ヶ月未満の受給者数が突出しており、市民目線からは疑義があるため、きちっと調査した方がいいと考えた」と回答し、断じた根拠には触れなかったそうです(同紙)。

 吉村市長は元衆議院議員で弁護士資格を持つ43歳。競争主義や自己責任を強調する政策を次々と持ち込み、生活保護の「適正化」として独自の政策を打ち出した橋下徹前市長の支援を受けて市長選に臨み、橋下全市長の路線を受け継ぐと表明している人物です。

赤ちゃん なぜ、ヘイトクライムが日常化しているのか、どうしてたくさんの法律をつくっても障害者差別が無くならないのか。
 置き去りにされた本質的な問題は、どこにあるのでしょうか。

 前々回のブログで紹介した、クローズアップ現代を見ていて胸に刺さった言葉があります。事件が起きた施設に重い知的障害がある息子さんを通わせていた垂水京子さんという方が、ご自身の息子さんについて語った、言葉です。

「心の底から、かわいいなと。何もできないけれども、笑っている顔、どこのイケメンや俳優よりも、私はかわいい。役に立たなくてもいいし、ちゃんと存在しているだけで幸せだと思う。役に立たなくて悪い?」

怒り  たとえば、移民や特定の外国人へのヘイトクライムの影に、自分たちの仕事が奪われる(た)ことへの不満や、優遇政策へのねたみなどが隠れていることはよくあります。

 どんなに頑張っても暮らし向きが良くならず、働いても働いても先の見通しが立たない状況にある労働者が、「外からやってきたあいつらの方がいい思いをするのはおかしい」とねたむ気持ちはよく分かります。
 
「外国人は出て行け!」と言いたくなったりもするでしょう。

 しかし、本質的な問題は「外国人がいること」なのでしょうか。外国人への優遇政策さえ無くなれば、ひとりひとりの生活は上向き、不安の無い将来が訪れるのでしょうか。

 確かに、ちまたにはバリアフリーの建物が増え、ユニバーサルデザインのものが珍しくなくなり、公共交通機関では障害がある人へのサービスが厚くなりました。
 ホテルなどの宿泊施設や行政機関でも、「盲導犬受け入れマーク」を貼ったり、「筆談に応じます」等のお知らせを置くなど、一見すると、日本は障害者に優しい国になったような気もします。

 しかし本質的なところは何も変わってはおらず、逆にいくつもの障害者に関する法律がつくられたこの10数年間で、差別感は増したような気がしてならないのです。

クローズアップ現代を見て

HATE そんな障害者差別について深く考えさせられたのは、昨年7月26日に放送されたNHKのクローズアップ現代を見たときでした。
 殺傷事件からちょうど1年がたったこの日、NHKは「シリーズ障害者殺傷事件の真実  “ヘイトクライム”新たな衝撃」という番組を放送しました。

 番組のテーマは、欧米で増加する人種や民族など、特定のグループへの偏見や差別を起点とするヘイトクライムと、同事件の犯人である元職員の思想の共通を指摘し、「ヘイトクライムは社会を分断する危険性が指摘されている」として差別のない社会をどう実現していくのかを模索するというものでした。

ヘイトクライムが社会を分断する?

 この番組を見て、正直、私は困惑しました。私には「ヘイトクライムが社会を分断する」とは思えなかったからです。

 私には、社会のメインにいる人たちが「すべてを経済合理性で割り切ろう」とせんがために、社会が分断され、差別が助長され、その結果、ヘイトクライムが日常化しているとしか思えません。

 反貧困ネットワーク事務局長で元内閣府参与の湯浅誠さんの著書のタイトルを借用して恐縮ですが、今の社会はちょっと油断すればだれもが困窮者となるような「すべり台社会」です。

 そんな社会でうっぷんをかかえながらも、メイン社会の端っこから滑り落ちないようしがみついている人が増えれば、スケープゴートを見つけてうさばらしをしたいと考える人が増えても当然なのではないでしょうか。

法律 もうすぐ神奈川県相模原市にあった県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、同施設の元職員が侵入して19人を刺殺し、27人に重軽傷を負わせた事件から2年が経とうとしています。

 事件の直後、元職員は「奴をやりました」と最寄りの津久井警察署に出頭し、逮捕後は、「障害者なんていなくなればいい」などの主張を繰り返していました。

 また、その後の調べによって、元職員が犯行前の2月に衆議院議長公邸を訪れ、「障害者は不幸をつくることしかできない。世界経済の活性化のためにも抹殺すべき」として具体的な犯行方法を記した手紙を渡してたり、同僚に「重度障害者安楽死させる」と話したことから退職に追い込まれ、10日ほどの措置入院になったことなども明らかになりました。

 これらが報じられると、「おそるべき優生思想」「命を差別している」といった批判や「精神障害者はやはり危ない」といった声があちこちから上がった一方、元職員に同調するような意見もインターネットの書き込みを中心に拡散し、社会問題となったことはみなさんもよく覚えておられるのではないでしょうか。

少年院 厳罰化の一途をたどっている少年法。こうした流れをつくったのは、2006年に山口県光市で起きた母子殺害事件でした。
 最高裁は、この犯行当時18歳の少年が起こした事件に対し、1審と2審での無期懲役判決を破棄し死刑判決を言い渡しました。

 その後、2009年に当時14歳だった少年が、殺害した小学生男児の首を校門に起き、「酒鬼薔薇聖斗の名で犯行声明文を書くなどした神戸連続児童殺傷事件が起きました。
 それをきっかけに2012年の少年法改正では「16歳以上」だった刑事罰の適用年齢が「14歳以上」に引き下げられ、16歳以上の少年が故意に殺害した場合には、原則、刑事裁判にかける(逆送)ことになりました。

 そして、2016年の佐世保小学生殺傷事件後の2019年の改正では少年院送致の下限年齢が「14歳以上」から「概ね12歳以上」になったのです。

 このような裁判員制度がはじまれば、少年法が厳罰化されていくことは、火を見るよりも明らかでした。
 そして今、それは、まさに現実のものとなりました。

 2016年6月、裁判員制度で初めて、犯行当時18歳だった元少年に死刑判決が確定したのです。