そんな毎日をごまかして、「輝いている自分」に酔いしれるためには、麻薬や覚醒剤が必要だったのかもしれません。
でも、心のどこかで「クスリを止めたい」とも思っていたのではないでしょうか。
でも、心のどこかで「クスリを止めたい」とも思っていたのではないでしょうか。
長い間、本人の意志の弱さは倫理感の問題と誤解されてきたのです。でも、依存症は、空虚感に端を発する、れっきとした病です。その根っこには、寂しさや不安などがあり、それを手っ取り早く埋めてくれる“何か”で紛らわそうとすることから、始まります。
多くの人がたくさんの喪失体験をした東日本大震災後、被災地ではパチンコ依存が増加したという、いくつかの興味深い指摘があります。
(東日本大震災48被災地でパチンコ店満席・否認の病気
被災地のアルコール問題・嗜癖行動に関する研究)
2019年に入ってから、有名人が違法薬物使用で逮捕されるニュースが続いています。
ざっと振り返って見ても、ピエール瀧さん(3月)、「KAT―TUN」の元メンバー田口淳之介と元女優の小嶺麗奈さん(5月)、バンクーバー五輪日本代表でプロスノーボーダーの国母和宏さんと元タレントの田代まさしさん(11月)と、決して少ない人数ではありません。
この春、足を骨折したとき、私は本当に不便を感じました。都内のわずかな移動でも、そのたびに肩身の狭い思いもしましたし、スーパーでの買い物はとっても憂うつでした(『排除の論理と子どもの気持ち』)。
なるべく出かける用事や、仕事を削って家に閉じこもっていました。自宅と職場の往復だけでも大変なので、間違っても松葉杖で旅行することなど考えもしませんでした。
「でも南米だったら、旅行できたかもしれない。たとえ松葉杖でも楽しめるかもしれない」
今回の旅行を終えて、私はそんなことを思いました。
イグアス国立公園のバスツアーのガイドさんも、トイレ休憩などで待たせがちな私たちの事情をすぐに察知してくれました。けれども私たちが気兼ねしないよう、“自然”にサポートしてくれていました。
たとえば集合時間を過ぎてしまったときには、「写真を撮ってあげましょうか」と声をかけてきました。その後、アルゼンチンの国情について聞きつつバスへ戻ると・・・私と同行人以外は全員着席していました。
同乗していた観光客たちも鷹揚で、待たされても嫌な顔などしません。それどころか、遅れて戻って行くと、「よく戻って来た!」(たぶんそんなポルトガル語やスペイン語)と口々に叫び、拍手喝采。口笛を吹きながら大歓迎したりするのです。
これこそがまさに「ホスピタリティだ!」と思いました。
ちなみに、形や行動などで示す「マナー」は相手に不快感を与えないための最低限のルール。そこに「心」が加わると、「ホスピタリティ」になるのだそうです(『ホスピタリティの極意』)。
今回の旅行では、私もそんな南米の人々のホスピタリティにうんと助けられました。
確かにイグアスの滝がある国立公園内は、トレッキング用の遊歩道が整備されています。一部の区間ではトロッコ列車も走っています。
とはいえ、この国立公園の広さは東京都とほぼ同じくらい。ブラジル側が185,000ヘクタール、アルゼンチン側が65,000ヘクタールもありますから、足腰に自信の無い人、体力が心配な人、障がいがある人にとって、けっこう移動は大変です。
ところが、車いすユーザーの方たちが、いわゆる健常者とまったく同じように観光しているのです。公園内では、公園側が貸し出ししてくれるのか、他では見たことも無い頑丈なアウトドア用? 車いすも、たびたび見かけました。
京都旅行中、車いすユーザーと一緒だった東さんが、祇園でタクシーを止め、「車イスを乗せたいからトランクを開けてほしい」と言ったところ、運転手に「車イスは乗せられません」と言われたというのが、ことの発端でした。
東さんと一緒にいた友人が「お宅の会社の社長さんは友達や。このこと言うたら、あんたエライことになるで」という発言をTwitterに載せたことで、「脅迫ではないのか」、「そもそも介護タクシーを呼ぶべき」などの批判が相次いだのとのこと(『exciteニュース』2019年9月22日)。
こうした方法は、己の私利私欲を満たすために社会を一定の方向へと動かそうとする人々の“思うつぼ”にはまるだけではありません。危険因子を排除したつもりでいて、実は社会をさらなる危険へとさらしてしまう可能性があります。
何しろ私たちは、経済格差の問題や相対的貧困の問題が指摘され、「年金2000万円不足問題」に象徴されるほど、先行きが見えない社会に生きています。
「ワークライフバランス」だとか、「働き方改革」などの目標は掲げられていても、その恩恵に浴せる人はほんの一部です。