オミクロン株

コロナの感染が止まりません。22年1月14日の感染者数は全国で2万2045人となりました(NHK「特設サイト 新型コロナウィルス」)。

沖縄県や東京都などで前の週の10倍以上になるなど、これまでにないペースで感染が拡大しています。元凶は、その感染力の強さを示す報告が世界中で相次いだオミクロン株です。


感染が拡大する沖縄県

宮古島

とくに感染が広がっているのは沖縄県です。

今年1月6日には、8月25日の最高人数809人を上回る981人が感染し、沖縄の直近1週間の人口10万人当たりの新規感染者数は全国1位の141.81人。2位は山口県の22.21人、3位は広島県の14.01人。ちなみに、5日時点での全国平均は4.84人ですから、これら3県の突出ぶりが分かります。

政府は、2022年1月9日から沖縄、山口、広島の3県にまん延防止等重点措置を適用しました。

感染爆発とも言える沖縄では、民間の新型コロナ検査施設に100以上が並んだと報道されていました(『東京新聞』22年1月8日)。私のところにも、宮古島に住む知人から「宮古も(本島に)もれず、軽いパニック状態」というメールが届きました。

いずれも大きな米軍基地がすぐそばに

沖縄県も、山口県も、大きな米軍基地を抱えています。広島県は、山口県にある岩国が目と鼻の先です。

沖縄県の米軍海兵隊基地キャンプ・ハンセンでは、昨年12月中旬には200人を超すクラスターが発生していたことが発覚。それに先立つ緊急事態宣言中の9月初めから、アメリカ側が軍艦関係者の訪日時の出国時検査を免除したり、入国直後の行動制限中に規則が十分守られていない実態が明らかになりました(『東京新聞』22年1月8日)。

信じられない米兵の行動

米軍

それどころか、「感染が確認された基地従業員や軍属からは『オミクロン株』が検出されている。しかも、その基地からマスクもせずに米兵が市中に出て、普通に買い物をして、酒をあおっていた」、「キャンプ・ハンセンの様子を双眼鏡で眺めると、クラスターが発生しているというのに、ほとんどの人たちがマスクをせずに作業や訓練をしていたという。そこからそのまま、同基地のメインゲートの前にある金武町の繁華街に出てくる。マスクもしていなければ、規定もなかった」 (『JBpress』22年1月7日)という報道まであります。

オスプレイ

だれが考えても、「感染拡大の大きな起因の一つが米軍基地であることは間違いない」(玉城デニー沖縄県知事:『東京新聞』22年1月8日)という気がしますが、日本政府は同記事でも「コメントは控えたい」(松野博一官房長官)などと、関連性を認めていません。

山際大志郎経済再生担当相に至っては、「因果関係だけ逝っても、感染拡大防止につながらない」(同記事)という、びっくりするようなコメントまでしています。

原因を突き止め、そこを改めることは、感染症拡大防止の基本ではないでしょうか。


本当に同盟国?

政府が及び腰になる背景には、「日米同盟がある」と言われますが、米軍に対して及び腰の日本政府、穴だらけのコロナ対策、それらを見越した米軍の横柄ぶりからは、「日米関係は、本当は同盟関係ではない」ことを明らかにしてくれています。

辞書によると、「『同盟』とは、個人・団体または国家などが、互いに共通の目的を達成するために同一の行動をとることを約束すること。また、それによって成立した関係」だそうですから。

止まない暴行事件

兵隊

過去にも、米兵・米軍の横暴ぶりは度々事件を起こしてきました。たとえば、止まない女性への暴行事件です。

ほんの少し、ネットで調べても「米兵の性犯罪、途切れぬ年表 『とっくに完結のはずが』」
『朝日新聞デジタル』2020年10月22日)ほか、沖縄の人たちが米軍の犠牲になってきたのかがよく分かる記事がずらっと出てきます。

日本政府への憤り

こうした事実を目の前にして、果たして米軍は「互いに共通の目的を達成するために同一の行動とる約束をした仲間」と呼べるでしょうか。

こうした米兵による事件が起こるたびに、報道を見るたびに、憤りを感じるのは米軍に対してではなく、日本政府です。

米軍は日本から出て行って欲しい

辺野古米軍基地内でのクラスター発生や、特権的地位である米兵の傍若無人な態度、「お願い」するしかない日本政府に対して、全国知事会も日米地位協定の抜本的見直しなどを提言してきました。

しかし、それでは生ぬるいと思います。

私たち国民、基地周辺で暮らす人々、とりわけ沖縄の人々にとって、米軍いることで得られるものよりも、その脅威と不利益のほうがはるかに大きいと言わざるをえを得ません。

この際、米軍には日本から、出て行って欲しいと思います。国民を危険にさらす基地など、金輪際いりません。

日本が大好きです。

たとえば四季折々に違う表情を見せる自然の美しさが好きです。豊かな水田が織りなす風景、たなびく雲を携えた緑の山、深く青く光る夏の海、錦織のように艶やかな紅葉、雪をまとった里山・・・。どれもこれも、私が愛して止まない祖国の姿です。

日本の伝統芸能も大好きです。能や神楽、地唄舞に三味線、和太鼓。とくに地域に伝わる、その土地にしかない、お祭りや音楽には心躍らされます。

何より大好きなのが食べ物です。いわゆる和食だけでなく、世界のどの国の料理もおいしく提供できる日本の職人技にはいつも感激します。

それはきっと、豊かな自然に恵まれた国の豊富な食材のおかげもあるますが、あらゆる命あるものを大事に“いただく”という日本人らしい感性や細やかさの賜ではないかと思います。

大好きだからこそ残念

しかし一方で、そんな大好きな日本というこの国が、いや、大好きな日本だからこそ、残念でならないと思ってしまうこともしばしばです。

いわゆる「島国根性」が気になってしまうことがあります。

「島国根性」を辞書等で引くと、「周囲を海に囲まれた島国に住んでいるため、視野がせまく閉鎖的でこせこせした性質、見解」(『コトバク』)とあります。

まさに、最近、私が日々、感じていることです。

「避難民400人受け入れ」のニュース

4月に入って、「日本のウクライナ避難民の受け入れが400人を超えた」というニュースを見ました(『FNNプライムオンライン』22年4月5日)。

そして後日、ウクライナに隣接するモルドバは、自国の人口約264万人の16%にあたる約41万人を受け入れているとの新聞記事を読みました(『東京新聞』22年4月13日)。

こうしたニュースを知って、悲しい気持ちになったのはきっと私だけではないと思います。

自国の人口の16%にあたる約41万人のウクライナ人を受け入れたモルドバの面積は九州よりやや小さいくらいの、文字通り小国です。
欧州で最も経済的に厳しい国情であるうえ、個人で避難民を迎える家庭では費用がかさんでいるそうです(『東京新聞』(22年4月13日)。

こうした話を聞くと、世界的に見れば、まだまだ経済大国に入るはずの日本が、たった400人(4月19日時点では661人)程度の受け入れで胸を張っている場合なのでしょうか。

そのほかウクライナに隣接するポーランドには265万人、ルーマニア70万人、ハンガリー43万人、スロバキア32万人、ベラルーシ2万人、ロシア43万人が避難しているとか。人数ではポーランドが圧倒的に多いけれど、人口比だとモルドバが圧倒的に高い割合になるのだそう(同記事)。


日本の隣国で有事があったら?

もちろんモルドバと日本をそのまま比べることはできません。ウクライナとの関係がまったく違います。

地理的条件も違います。モルドバとウクライナは陸続きですから、もともと行き来が多あり、親族などがいる場合も多いでしょう。民族的な同一性や文化の同一性が高いということも言えるかもしれません。

韓国や中国で有事があったら?

では、もし日本のすぐ隣にある韓国や中国で有事があったら?

陸続きではなくても、韓国も中国も日本のお隣の国です。歴史を見てみてみても、船を使っての行き来がずっとありました。宗教や文化も、共有してきました。

そんな隣の国から人々が脱出しなければならない状況ができたら、日本は数十万単位の人々を難民として受け入れるのでしょうか。民族的にも近い隣国の人々を救うために、どの程度、必死になるでしょう。

はたして、日本の人口の10分の1以上もの人を迎え入れるだけの覚悟があるでしょうか。

「きっと、日本ではあり得ない」

・・・そんなふうに思ってしまうのは、私だけではないでしょう。とても残念なことですが、日本は外国人に対して「温かい国」とは言えません。

それを象徴するのが、入管行政・入管法の問題です。21年3月には名古屋出入国在留管理局の収容施設でスリランカ人女性が衰弱死しました。

入管庁はこの事件について21年8月に調査報告書を出しました。女性は、1月中旬から急速に健康状態が悪化。食事が満足にできない状態になり、2月15日の検査は「飢餓状態」を示し、会話をまともに交わすこともできなくなっていたといいます。

厳格な難民認定の結果

そんな女性に対して、看守の対応について。『時事ドットコムニュース』(21年8月29日)には、信じられない話が載っています。

「死の5日前には、カフェオレをうまく飲み込めず、鼻から噴出させてしまい、見ていた看守は『鼻から牛乳や』とからかった記述がある。これは『チャラリ~』で始まるお笑いシンガーソングライターのヒット作のワンフレーズであることは言うまでもない。死の前日には、かすかに発した言葉尻をとらえて、接着剤のアロンアルファが食べたいのかなどと聞き返している」

しかも看守らは、この対応を「フレンドリーに接したいなどの思いからこのような軽口を叩いた」と弁解したそうです。

日本の難民認定の規則は厳格すぎると言われています。認定されるのは例年、申請者の1%未満で、欧米などの30~40%と大きく差があります。

立派な建前の裏で

近年では、外国人技能実習生(実習生)への暴行や、監理団体や雇用主に妊娠が知られると「中絶か帰国」を迫られる実態があるために、孤立出産した実習生が乳児の死体を遺棄するなどの事件も後を絶ちません。

たとえば『Globe.asahi』(22年2月3日)には、肋骨を3本折られたという岡山のベトナム人実習生が暴行される様子を映した動画も載っています。

また、22年1月には熊本県の自宅で孤立出産し、死産した双子の遺体を放置したとしてベトナム人の実習生が死体遺棄罪で有罪(福岡高裁)になりました。同様の事件が2019年1月には神奈川で、2020年5月には岡山県で、2020年11月には広島でも起こりました。

「日本で技術を学んで母国で役立ててもらう」という立派な建前の裏で、劣悪な低賃金労働、セクハラ、パワハラなどの温床となっているのが現実です。

「島国根性」と表される排他的で、特異なものや異質なものを敬遠する性質は、いったい何に起因するのでしょう。

その一つと考えられるのが、極端に強い同調圧力ではないでしょうか。
同調圧力とは、「集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること」(コトバンク)。

同調圧力

日本社会では、「多様性」だの「自分らしさ」だのという建前の裏に、「こうするべき」という同調圧力がしっかりと隠れています。

立場が上の人が言っていることや、マジョリティーに対し「自分はそうは思わない」ということはとっても勇気がいります。かく言う私も、日々、なかなか自分の意見を言えない場面に出くわします。

それが忖度や無責任につながっていると分かっていながら、なかなか抜け出せません。


正義の仮面をかぶって

コロナ禍では、この同調圧力が正義の仮面をかぶり大手を振ってのさばるようになりました。

外出している有名人らがやり玉に挙げられ、自粛「要請」中に営業を続けた店舗は嫌がらせを受け、マスクをしている・していない、あげくはその仕方や素材を巡ってもトラブルが起きました。

未だに、周囲との距離が十分にある青空の下でも、なかなかマスクを外せません。私自身、犬の散歩時にはマスクは欠かせないアイテムになっています(お友達犬と挨拶する可能性もあるのですが・・・)。

暴走する同調圧力の要因

では、同調圧力が暴走する要因はどこにあるのでしょうか。

「自分は我慢しているのに」
「私は自分より他者(大多数)を優先しているのに」

そんな犠牲精神と自分を捨てた喪失感が日本社会にはびこっている気がします。
いつも我慢し、不満を抱えて生きているから、好き勝手に生きている(ように見える)人が許せず、「隙あらば刺そう」とするのではないでしょうか。

さらにはこうした大衆心理が、同調圧力を利用して利益をむさぼる人々にさらに利用され、さらに息苦しい社会になっていく・・・という悪循環を感じます。

息苦しい社会への一石となるよう

入国したウクライナ避難民は1000人を超えたそうです(『東京新聞』5月24日)。この数が多いか少ないかはさておき、ウクライナ支援の広がりが、息苦しい社会に一石を投じるものになることを願わずにいられません。

最近、やたらと耳にすることが多くなった「SDGs」という言葉。Sustainable Development Goals・・・つまり、持続可能な開発目標のこと(外務省)。

政府や自治体、大企業も、こぞってこの言葉を発し、「環境に優しい」とか「だれひとり取りこぼさない」などと言っては、目標などを掲げています。

スローガンが一人歩きしてるだけ?

もちろん、悪いことだとは言いません。持続可能な社会になることは大賛成です。

だけど、たとえば廃棄ゴミを減らすと数値目標を示したり、「貧困をなくそう」というスローガンが一人歩きしているだけのような気がしてしいました。

もっと言えば、「表面上やっているフリをしたいだけじゃない?」という気持ちがしていたのです。

何しろ、アベノミクスに代表される政府の政策が貧困格差を広げているのは紛れも無い事実です。環境に配慮するといいながら、原発の増設が検討されているのも事実です。

こうした政府と一体化して大企業の内部留保も止まりません。格差もどんどん広がっています。

そんな、ちょっと引いた目でSDGsばやりを見ていたのですが、夏休みに愛犬と一緒に行っていた宮古島で「もしかしてこれこそ本当のSDGsでは?」と思うことがありました。

自然な循環システム

夏休みを取ったのは台風が何度も宮古島に到来した9月。輸送路が断たれ、島の中は品不足。とくに生鮮食品は、ほとんど手に入らないか、争奪戦という感じでした。水さえ、簡単には手に入らない状況だったのです。

そんな苦境を知った宿のご主人夫婦は、「いっぱい買い置きしすぎて水が余ってるから」と2リットルのペットボトルを10本以上、分けてくれました。

朝になると、「牛乳、飲む? スーパーの棚は空だったでしょ。近所の施設で余ったって聞いて取りに行ってきたんだ」と、半分に切ったフランスパンとおそらく自宅分をカットしたのであろうバターと一緒に届けてくれました。

なるほど。フランスパンもバターもまるまる1つもらっても困ります。余るくらいなら「半分こ」と、物を無駄にしない、循環させるシステムができあがってる気がします。

「物を無駄にしない、循環させる」と言えば、宿のご主人宅の愛犬に「お土産」とおやつを何種類か渡したときも、こんなことがありました。

「ありがとう。だけど最近、このコ、アレルギーになっちゃって、食べられる物が限られているの。試してみて、かゆがるようだったら、それは返すね」(ご主人)

そう、あっからかんと言われたのです。

好きでも無いお土産を「いらない」とは言えず、処理に困ることがたまにあります。そうやって無駄にするより、「返すね」と言われたほうがずっと経済的だし、とってもエコです。うちの犬も喜びます。

まさに自然との共生

台風や大雨、それにともなう停電や断水も、嘆くことはしません。

「こっち(宮古島)の感覚じゃ、台風とは呼べないようなときにも大げさな予報とかを出すから、そのたびに準備をしないといけなくて」(ご主人)

と、雨戸を補強したり、飛びそうな物を撤去したりと作業しつつも、「自然と暮らすのはこんなもの」と、とくに大変という雰囲気ではありません。

私が「明日は台風だから外には出られなさそうですね」と残念がって言うと、ご主人は「台風のおかげで海がキレイになるよ〜」と、笑いながらおっしゃっていました。

まさに自然との共生! そうした自然体の感性こそが、SDGs的な海や陸を守ることにつながるのではないでしょうか。

宮古流SDGs

大切なのは「気取らない、飾らない、率直な」やりとりだったり、「自然と共に生きるという当たり前の感覚」を育てることなのだと感じました。

そして「だれひとり取りこぼさない」ために必要なのは、相手の状況や立場への共感であり、「自分ができるやり方で、肩肘張らず手を差し伸べる」ことだと実感しました。

いちいちそこにスローガンや数値目標は必要ありません。わざわざ「SDGsだ!」と叫ばなくても、普通の生活のなかでそれが出来ている。そんな宮古流SDGsに心癒やされた夏休みでした。

先日、「もーもーガーデン」という、被爆した牛の牧場が福島県大熊町にあることを知りました。 大熊町は、東日本大震災時の原発事故で、今も町の半分が帰還困難区域になっている場所です。

そのため、立入ることができるのは日中のみ。しかも役所の許可が必要で、インフラ整備もされていません。

そんな大変な土地で、飢えに苦しみ、さまよっていた牛を柵内に囲み、牛の「食べて、出す」 力を借りて、①農地を再生し、②山林を保全し、③動物 (野生動物も)と人間と自然の共生を目指す事業を展開しているそうです。


不要とされた存在の持つ大きな価値

「東日本大震災後、5千頭が殺処分されたり、飢死を余儀なくされたりしていた牛たち。そんな『無価値』の烙印を押された命たちが、新たに幸せな人生を生きている。さらには、それだけでなく、逆に人間や自然に幸せをもたらすかけがえのない存在になっている」

これは、かつて私が『迷子のミーちゃん』(扶桑社)でも書いた、「不要とされた存在が、 実はとんでもなく大きな価値を持っている!」というメッセージと同じです。

私たち人間が、「経済的利益を生まない」と切り捨てたもの。そんな小さき存在(牛は大きいですが・・・)こそが、実は私たちの世界を、人生を豊かにしてくれるものなのだという事実を思い出させてくれます。

同日の一面には真逆の記事が

「もーもーガーデン」の取り組みに感動した理由は、実はもうひとつあります。

私がこの「もーもーガーデン」を知ったのは、『東京新聞』(23年4月18日)の裏一面 (最終面)でした。奇しくも、同じ日の『東京新聞』の一面を飾っていたのは、「価値が無いとされたものこそ、この世を豊かにしてくれる」という事実とは真逆の記事。

自治体を支える非正規の地方公務員の雇止め」の記事でした。

同記事は、2005年に 45万5840人だった非正規地方公務員が2020年には 1.5倍の69万73人になったという総務省の調査を掲載。 財政難を理由に非正規への置き換えが進んでいると報じていました。

「20年度の新制度に合わせて総務省が契約の自動更新は2回までとの方針を示し、これにならった自治体が多いため、 今年3月は今までよりも雇止めが行われた可能性が高い」とも指摘していました。

同じ日の新聞の表と裏に、「希望と絶望」「理想と現実」「共生社会と競争社会」の縮図が載っているようで、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。

皮肉と言えばいいのか、 シュールと言えばいいのか・・・。いまだにうまくこのときの気持ちを表現する言葉が見つかりません。

私も今の社会の一翼を担っている

人と、動物と、自然すべてが、生き生きと輝く空間をつくりたい」という事業ビジョンを掲げる「もーもーガーデン」。

その取り組みには、 100%共感するし、心から応援します。「そんな世界ができたら、なんて素晴らしいのか!」と、その実現を願わずにいられません。

しかし、記事にあった非正規地方公務員の雇止めだけでなく、目先の利益にとらわれて人や動物や自然を破壊し、限られた者だけで利益を貪ろうとする大企業や日本政府。そんな社会の在り方を結果的に支えている、 国民がいるのも事実です。

私もその一翼を担っているのだと思うと、苦いものしかこみ上げてきません。

311後も何一つ変わらなかった

あの東日本大震災(311)を経験し、 あれだけの命と自然が犠牲になったのに。命ほど尊いものは無いと骨身に染みて実感したはずなのに。この国の政策も、選択も、ほとんど何一つ変わっていません。

それどころか、311以後の復興予算の使い方、コロナ対策の在り方、きな臭い世界情勢とこれらにともなう経済逼迫への対応を見ていると、いっそう「目先の利益優先」という風潮が強まっているように見えます。

エネルギー政策が典型例

よく分かるのが、エネルギー政策です。未曾有の人災に見舞われた福島第一原発事故後、いったんは原発依存を見直す雰囲気となり、その後の政権では原発の新増設や建て替えは「想定しない」としてきていました。

ところが昨年末、岸田文雄首相は、(1)次世代原発を開発・建設、(2)既存原発の60年超の運転を認める、という「GX(グリーントランスフォーメーション)」基本方針を決定し、原発回帰の姿勢を鮮明にしたのです。

「ロシアのウクライナ侵略で世界的なエネルギー危機が生じているから」と岸田政権は言います。

理念も信念も無い国の一条の光

一見、正論のように聞こえますが、つまりは「事情が変われば前提を覆すこともある」「窮すれば約束も保護にする」ということです。煎じ詰めれば、「政権運営者としての理念も信念もなく、行き当たりばったりに過ぎない」ということではないでしょうか。

そんな理念も信念も無い国に暮らしているからこそ、過酷な状況の中でもぶれない理想に向かって進もうとする「もーもーガーデン」に一条の光を感じるのかもしれません。