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私が学生だった頃は、女友達とふたりだけで、北アフリカや中東をバックパックを担いだ貧乏旅行もできました。スリや置き引き、突然抱きつかれるなどの危険にはたびたびあいましたが、総じて人々は親切で、命の危険を感じたことなどほとんどありませんでした。

今やどうでしょう。海外旅行、とくにアフリカや中東を女性だけの少人数で旅するなんてとても怖くてできません。

時間がたっぷりあった学生時代、なけなしのお金で世界を見ることは私の視野を広げ、今の仕事にとっても役立っています。でも、今の学生はそういう経験をする機会がうんと減ってしまったのではないでしょうか。

経済戦争も過酷に

兵器を使った戦争だけではありません。
経済戦争も過酷さを増しています。「持てる国」と「持てない国」、「持てない人」と「持てる人」の格差はどんどん広がるばかりです。

格差や貧困は、犯罪や暴力を招きます。競争は「他者を思いやり、つながる」という最も人間らしい特徴を削ぎ落としていきます。

だから平気であれだけの犠牲を生んだ原発事故を教訓にすることもなく、平気であちこちの原発再稼働などできるのです。
収益が過去最高を記録した大企業が賃金に還元することなく内部留保に回すのも当然です。

こんな社会では、青息吐息の中小企業は生き延びるためにコストダウンに必死にならざるを得ません。
廃棄処分になるはずだったカレーハウスCoCo壱番屋の食材が不正転売された事件や、安いツアー企画で人を集めるために運転手に無理を強いるバス業界の問題が指摘されたことは記憶に新しいはずです。

真の幸せを得るためには

何でもかんでもポジティブに考えることは、その一瞬を乗り切るためには便利です。でも「それが本当にいいことか」を問うことなく、「いったい何を招くのか」と立ち止まることなく、進んだツケは必ず私たちに返ってきます。

真の幸せを得るためには、負の事実にきちんと目を向けることが必要なのです。

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。引き続き、このブログにおつきあいいただけると幸いです。

年賀状について

みなさんはどのようなお正月を迎えられたでしょうか。年賀状はちゃんと12月25日までに出されましたか?

私は今年も秋頃から何かとあって、名簿整理さえできず、またまた年賀状をサボってしまいました。
「2年続けて」というのは初めてです。今は「どうにか寒中見舞いでも」と考えています。

とは言え、そもそも年賀状を出さない人も増えていると聞きます。メールやLINEなど便利なツールがいっぱいでき、日頃から手紙を書くという習慣そのものが無くなりつつあります。

「時間とお金をかけて、何年も会ってもいない人に出す年賀状なんて意味があるのか?」とおっしゃる人もいます。
確かに「そんな薄い縁なんて無いのと一緒」と考えることもできますね。

でも私は逆に考えています。小中学校の同級生や、大学時代のクラブの仲間、仕事をきっかけに出会った気の合う人・・・。時が経って生活が変われば、なかなか会う機会が無いこともたくさんあります。

けれども、みなかけがえのない人生のなかで出会い、同じ時を過ごした仲間です。忙しい毎日のなかで、なかなか会うこともままならないのであれば「せめて一年に一度のやりとりだけでも」と、年賀状の存在意義を感じています。

日本最古の年賀状は?

常日頃はいわゆる保守派なものを批判するようなことを書くことが多い私ですが、実はわりと日本の伝統的なもの、古いもの、昔からの習慣、文化・・・そんなものが大好きだったりするのです。

年賀状博物館によると、日本で「年賀の書状」が取り交わされるようになったのは、7世紀後半以降。その出し主は不明のようですが、平安後期に藤原明衡がまとめた往来物(おうらいもの・手紙文例集)「雲州消息」には、年始の挨拶を含む文例が収められていることから、少なくともこの頃には、貴族階級の中には、離れた所にいる人への「年賀の書状」が広まっていたと考えられているそう。(続く…

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そんな日本の伝統や文化を愛する私ですが、年末にちょっと考えさせられる新聞記事を読みました。

「『日本スゴイ』ブームを切る」という、『東京新聞』(2016年12月23日)の記事です。
ネットなどでも話題になったようなので、ご覧になった方も多いかもしれませんが、今、改めて読もうとしても残念ながら『東京新聞』のウェブサイトでも全文は掲載されておりません。

記事の内容は

簡単に記事をご紹介しますと、出だしは「2016年のメディアは、伝統文化からハイテク技術まで『日本スゴイ』との賞賛であふれかえっていたがその評価は妥当なのか? どうして今、『日本スゴイ』ブームなのか? 社会の閉塞感の裏返しか、自信回復の表れか、はたまた排斥主義や偏狭なナショナリズムの反映か?」との問いかけから始まっています。

そして、この「日本スゴイ」ブームの起点は3.11であるという「ヘイトスピーチと拝外主義に荷担しない出版関係者の会」事務局の岩下結氏の「原発事故によって日本の技術がこてんぱんに打ちのめされたが、いつまでも引きずっていたくない。被害妄想からまず嫌韓本が広まった。これが批判を浴び、置き換わる形で15年ごろから日本礼賛本が目立ってきた」というコメントを紹介しています。

さらに第一次安倍内閣(2006年)が「愛国心」を強調していたことを指摘したうえで、戦時中にメディアがこぞって日本礼賛に走ったことを例に挙げ、「いつか来た道」を歩むことになるのではないかとの警鐘を鳴らしています。

そのうえで、「社会が閉塞する中で、日本をポジティブに紹介してくれる番組を視聴者が選ぶ状況になっている」(上智大学の音好宏教授・メディア論)や「一人一人が大切にされていると思えるような社会になれば、『日本スゴイ』なんて言わなくても済むようになるはずだ」(上智大学の中野晃一教授・政治学)などのコメントを紹介し、「『日本スゴイ』ブーム」は、「自信のなさの裏返し」という主張を紹介しています。

極端に揺れ動く

みなさんはどう思われるでしょうか。

個人的には「『日本スゴイ』ブーム」の背景については、いろいろな考えがあると思います。ただ、この記事を読んで私が感じたのは、「確かに日本人は『右から左へ』とか『善から悪へ』とか『大好きから大嫌いへ』というように、極端に揺れ動く傾向のようなものがあるなぁ」ということでした。

極端から極端へ動きやすいというか、振り幅がとても大きいというのでしょうか。(続く…

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このような振り幅の大きさは、柔軟性を欠いた窮屈な生きづらさにつながることがあります。
「こうでなければならない」という絶対思考やグレーゾーンや中間的な価値のあり方を許さない「0か100か」の思考、または現実検討能力を著しく低下させてしまう危険を呼び寄せてしまうことにもなりえます。

世の中には「完全な悪」もなければ、「完全な善」もありません。神様や仏様なら別でしょうが、あらゆる人間には善的な部分と悪的な部分があります。人間だけでなく、この世に存在するものすべては矛盾をはらんでいるものです。

たとえば子育て中の親は

たとえば子育てまっただなかの親のことを考えてみてください。
多くの親にとって、子どもは目に入れても痛くないほどかわいいものですし、「この子の幸せのためなら何でもしてあげたい」と、自分のエネルギーをせっせと子どもに差し出したいと思う気持ちに偽りはないでしょう。

けれどもその一方で、親の都合や状況もわきまえずに泣きわめいたり、出勤直前におむつを濡らしたり、寝る時間も、食べる時間もうばって好き勝手に振る舞ったりする子どもの面倒をみていれば、「この子さえいなければ」とか「本当に憎たらしい」と思う瞬間があるのも現実です。

だからこそ、虐待防止には親のケアが有効ですし、子育ての愚痴や悩みを吐露できる場所が必要だと言われているのです。

不都合な現実を見ない傾向

ところが人は、道徳心や「あるべき」論から。もしくは不安や恐怖を抑えるためや都合よくものごとを解釈するために、不都合な現実を見ようとしないことがあります。

無意識のうちに、ひとつの考えにしばられて「こうでなければならない」と柔軟性を欠いてしまったり、ある特定の人物を「絶対に間違えることはない」と信じて盲信しようとしたり、逆に「あいつは理解不能のモンスターだ」と断じて、切り捨ててしまったりするのです。

社会問題にも同じ構図が

こうした現実逃避の影響は、日常生活だけにとどまりません。

たびたび外交問題となる歴史認識についてや原発政策。昨年7月に起きた相模原障害者施設殺傷事件のようないわゆる“凶悪犯罪”と呼ばれる事件の被疑者・被告人へのバッシングから、はては芸能人のスキャンダルまで、同じような構図が見て取れます。(続く…

このシリーズの最初の記事へ それにしてもなぜ、こうした「白黒思考」になってしまうのでしょうか。身も蓋もない誤解を呼びそうな表現ですが、一言にまとめれば「そのほうが楽だから」でしょう。

私自身そうですが、人は易きに流れます。
「グレーゾーンに立つ」ということは、「宙ぶらりんのままでいる」ということです。これはなかなか居心地が悪い状態です。この世に存在するあらゆるものは安定を求めます。「どうにかして早く安定感のある場所に落ち着きたい」と思います。

そのうえ今の社会は人を急がせます。「少しでも早く」「できるだけ最短」で、「結果を出す」ことが求められます。
迷ったり、戻ったり、「間違えたかな」と立ち止まることは、「よし」とされません。

悩む必要を感じない?

幼い頃からおとなに干渉され、社会の「こうあるべき」を教え込まれ、「正しい」道筋だけを教え込まれてきた場合、葛藤したり試行錯誤したりという経験を持ちません。
そんなふうに育てられた人が、壁にぶつかったり、過ちを犯しながらも、自分の頭で考えたり、答えを探すということに価値を見いだせなかったとしても不思議ではないでしょう。

今どきネットで引けばたいていの答えはすぐに見つかります。悩む必要を感じない人も増えて当然でしょう。

多くの場合、人は慣れ親しんだやり方を選ぶものです。それが「良い」か「悪い」かはべつにして、親和性のあるものは人を安心させます。「今まで通り」である方が新しい方法を試すよりも落ち着きます。
暴力を受けて育った人が暴力をふるうパートナーを選んでしまうように。

しんどい作業

宙ぶらりんの状態を続けながら現実を見つめ、「自分だけの答え」を探し続けることは、けっこうしんどい作業です。
「どうして愛する親が自分を殴るのか」、「『お前のため』と言いながら、なぜ自分の尊厳を踏みにじるのか」、「『命は平等』と良いながら、どうして能力で優越をつけられるのか」、「『平和を追求する』と良いながら、武器を買ったり軍隊を増強したりするのはなぜなのか」・・・。

世の中は矛盾だらけです。そんな世の中を直視し悩みながら、自分の立ち位置を決めることは、そう簡単ではありません。(続く…

このシリーズの最初の記事へ さてさて「日本礼賛」についてです。

自分が生まれ育った国、属する国に愛着を持つことは人間ならば当然です。母国ならではの良さもよく分かっています。そんな母国の文化に誇りをもつことも至極最もなことです。
でもそれはが「母国が一点の曇りもない、何一つ恥じることもない、素晴らしい国だから」なのだとしたら、これはけっこう危険な話です。

絶対視は危険

盲目的に何かを信じたり絶対視しようとしたりすると、「完璧でなければならない」という呪縛にとらわれます。完璧なものなどあり得ないのに、「完璧であろう」とすれば、そこにはかならず無理が生じます。
たとえば間違いを隠そうとしたり不可能を「可能」と言い切ったり、トラブルを見ないようにするなど、してしまうのです。

東日本大震災時に起きた原発事故がいい例です。もし、原発の危険性を直視し、人々に周知した上で設置していたのであれば、あんな大惨事にはならなかったはずです。「人がつくるもの、やることに完璧などあり得ない」という、ごく常識的な考えのもとで、可能な限りの安全対策をしていたなら悲劇は最小限度で食い止められたでしょう。

だれもが不完全

人間は不完全な存在なのです。完璧な人格、完璧な人生、完璧な能力を持っていることなどありえません。
私たちはみな、不完全な環境、完璧でない親、機能不全な家族のもとに生まれ、育ってきたのですから。

私をはじめ、みんな何かが足りず、どこかが欠けているのです。うまくいかないことや自分の限界にジタバタし、世を恨んでみたり、自分を情けなく思ったりしながらも、えっちらおっちら生きています。

でも、だからこそ、自分と同じように不完全である他者を許したり、他者とつながったりしながら、慰め合ったり、足りない部分を補い合ったりしながら歩んでいきます。ダメな部分やうまくいかないことを抱えながら「さて、どうしよう」と悩みながら、失敗を繰り返しながら、傷ついたり傷つけられたりしながら。

「まぁ、こんなもんか」とやり過ごし、小さな春の日差しに幸せを見つけたりしながら、暮らしていくのです。(続く…

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 私は常々、「私をはじめ、人間はみな完璧な“純金製”になれない金メッキ」と思っています。

 確かに理論上は、“純金製”の人間・・・あらゆる能力を備え持ち調和が取れたバランスのいい人格者を育てることはできるはずです。

「包まれているものを出現させる」という発達(Develop)の語源によれば、「人は“人として”豊かに生きるために必要なすべての能力を持って生まれてくる」わけですから、あとは「その包まれている能力をきちんと表出させてくれる環境(親)」があればいいだけです。

 これは子どもの成長・発達を保障するための世界的な約束ごとである「子どもの権利条約」の29条:教育の目的(子どもの人格・才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること)にも通じる考え方です。

現実は厳しい

 でも、前回も書いたように現実は厳しいものです。理論通りにはなかなかいきません。親は子どもにさまざまな期待をし、知らず知らずのうちに「何かを教え込もう」とします。教師は「子どものため」と信じて社会が求める能力ばかり高めることを要求しますし、社会は「その発展に寄与できる人材」を求めます。

 そもそも子どもを取り囲むおとなたちが“純金製”ではないのですから、仕方がありません。 

 そんな環境で育てられた私たちが、よっぽどのことがない限り“純金製”になどなれないのは当たり前です。

金メッキでいい

 だから私たちは自分に金メッキを貼ります。経験を積み重ね、他者を観察し、人とやりとりしたり、本を読んだり、先人に学んだりしながら、「何が大切なのか」を考えて。
 自分の欠けた部分を補ったり、他者とうまくつきあったり、世の中と折り合いをつける方法を模索します。
 人格崩壊を起こしたり、孤軍奮闘して疲弊してしまわないように。

「そのままでいいよ」と抱えてくれる親ではなかったとあきらめ、代わりに「私はそのままで価値があるんだ」と思わせてくれるだれかを探します。「お前のため」と押しつけることがなく、ただ「私である」ことを受け入れてくれる居場所を求めます。

 そうやって100%ではないかもしれないけれど、「まぁまぁな環境」をどうにか自分でつくっていけばいいのです。(続く…

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傘をさしたり軒下を借りたりして雨風をよけながら。過酷な環境下ではメッキははがれやすくなってしまいます。

孤独な子育てや余裕のない生活が虐待のリスクを上げることでも明白なように、取り巻く状況が悪ければ人格を保ったり、人とつながったり、生まれ持った能力を発揮することは難しくなります。
だから金メッキの私たちは、できるだけダメージを与える人間関係を離れ、危険なものを遠ざけ、傷つく機会を減らして、メッキがはげないようにしなければなりません。

メッキを貼るお手伝い

“純金製”になれなかったことは確かに残念ですし、そうなれなかった生育歴や原家族を恨みたくなる気持ちは当然です。だからもちろん、その辛さや悔しさ、悲しみや怒りをきちんと感じ、整理していくことは大切です。

そうしてどこかの時点で「残念ながら自分は“純金製”ではないらしい」と納得することも必要です。「どうにかして“純金製”になろう!」ともがいても、足りないものばかりに目が行ってしまい、余計に自分を苦しめることになりかねません。

その作業をひとりで行うことは難しい場合もあります。だからセラピストの仕事のひとつは、そんな大変だった過去をしっかりと「過去のもの」として人生に統合し、悲しいけれど“純金製”ではない自分を受け入れ、もう取り返すことはできない過去を見つめ、上手にメッキを貼っていくお手伝いなのではないかと思っています。

「諦める」のでなく「明らめる」

誤解のないように申し上げておきますが、「諦める」ことは必ずしも悪いことではありません。その語源は「明らめる」・・・つまり「事情や理由を明らかにする」「はっきりさせる」であるとも言われます。(参照元:あきらめる – ウィクショナリー日本語版)(別ウインドー)

つまりそれは、盲目的に何かを礼賛したり、鵜呑みにしたりすることなく、傘や屋根を上手に利用しつつ何が起きているかを見極める努力をし、自らの人生、今の自分をありのままで受け止めていくということではないでしょうか。

セラピストとして傘をさしかけたり、屋根のある場所を一緒に探したりしながら、辛い過去を「明らめ」、バランスを取って生きていくことのお手伝いができたら、と考えています。

未曾有の犠牲者を出した東日本大震災から6年がたちました。

2011年3月11日2時46分。私は東京のとある福祉施設におりましたが、あのとき目にした揺れる町の光景や自分が着ていた服、寒々しかった天候まで今もありありと思い出すことができます。

その後、テレビを通して目にした川津波の映像、そして福島第一原発事故の様子。福祉施設の子どもたちが泣き叫ぶ姿などは、今、思い出しても胸がしめつけられるようです。

直接的な被害をこうむっていない私でさえこんな状態なのですから、ご自身や家族が被害に遭い、愛する命や土地を奪われた方たちの思いはどれほどのものかとお察しします。その爪痕は、まだまだ生々しく残っていることでしょう。

いまだに12万人以上が避難生活

警察庁のまとめによると、2017年3月現在で死者は1万5893名、行方不明者は2553名だそうです。いまだに避難生活を余儀なくされている方は12万3000人。内訳を見るといちばん多い都道府県は福島県で3万7396名、次いで宮城県の2万2605名となっています。
(参照元:復興庁 | 全国の避難者等の数(所在都道府県別・所在施設別の数)

「12万」と言えば中規模な都市の人口に値します。
(参照元:日本の市の人口順位 – Wikipedia

それだけの数の方が、6年の年月が経っても安住の地を見つけて根を下ろして暮らすことができずにいることに衝撃を覚えずにはいられません。

かき消された小さな声

ところがそんな数字とは裏腹に、今年の3月11日前後、盛んに報じられていた「被災地や被災者の今」は非常に前向きなものでした。少し乱暴にまとめさせていただくとしたら「辛いこと、悲しいことはあったけれども人々に支えられて乗り越えてこんなに前進できています」といった内容がほとんどをしめていたように感じました。

いまだに中規模な都市人口に匹敵する方々がさまよっているのに。たとえ新しい家や土地を手に入れたとしてもきちんとしたケアも受けられず、悲しみのなかで暮らしている方々もたくさんいるのに。
現状を放置し、「前へ」「前へ」と尻を叩くだけの国や行政への批判的な声はほとんど聞かれませんでした。

よしんば、そうした声を上げる方がいたとしても、その声はあまりにも小さく、大きな声にかき消されてしまっていたように感じました。(続く…

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東京でのオリンピック開催が決定したとき、世の大半は東日本大震災と原発事故の払拭を願い、「あれはすでに過去のこと」と忘れ去ろうとするお祭り騒ぎにわきました。すくなくとも、メディアはそうした状況をたくさん報道していました。

でも私には、オリンピック決定を受けた後、福島の浜通りに住む知人が送ってきた一通のメールが忘れられません。そこには「オリンピックに向けた復興にわく日本のなかで、このまま福島は取り残され、忘れられていくのだろう」という痛切な言葉が書かれておりました。

自主避難者の苦渋

また、福島県は「地域の除染やインフラの復興が進んでいること」などを理由に、避難指示区域以外からの自主避難者に対する仮設住宅や無償での公営住宅の提供をこの3月末で終了することとしています。でも、少なくとも私が知っている自主避難者の方々は「安心して故郷に帰る」などという状況とは、ほど遠いところで苦渋の選択を迫られているように見えます。

先日お目にかかった都内で自主避難している方は、「経済的な事情や行政からの圧迫などで福島に帰ることを余儀なくされている人も多い」と話していましたし、すでに自主避難先で進学した高校生は「父や祖父母を置いて母と子どもたちだけの自主避難だった。原発事故さえなければ、ずっと家族みんなで福島で楽しく暮らしていたと思うし、今もそうしたい。でも学校のこともあるし、今さら戻ることもできない」と語っていました。

前を向くことさえ困難

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つい最近、東日本大震災による津波で全校生徒108人中70名が死亡、4名が行方不明となり、11名の教師が命を落とした宮城県石巻市立大川小学校の遺構を訪れた際も、「復興」とはほど遠い現実を目の当たりにしました(写真)。

このブログでも何度か紹介しましたが、大川小学校の悲劇は学校という空間の中で、教師も一緒にいるという完全なる学校管理下で起きた出来事です。津波襲来まで51分もの時間があり、体育館のすぐ裏には、日頃から子どもたちが遊び場にしていた山があり、すぐ動けるようスクールバスも待機していました。

それにも関わらず、なぜ教師たちは「子どもの命を守るために逃げる」という選択ができなかったのか。

市の教育委員会調査や第三者機関による検証委員会も開かれましたが、いずれも「形だけのもの」に終わり(詳しくは『遺族を訴訟に追い込んだ大川小学校事故検証委員会』参照)、今もご遺族の方々の胸からは「どうして愛するわが子が命を落とさなければならなかったのか」という無念と疑問がぬぐい去れません。

残された家族や生き残った子どもの中には罪悪感や後悔のなかで、前を向くことさえ困難な状況が今も続いています。(続く…